ダストリアの蠢き
不規則に下から突き上げる身体への物理的振動は、現実世界からの手招きで、ユウの意識を呼び戻そうとしている。
身体と意識が重なり始め、ユウが目覚めた頃にはアルティスティアを離れてから三時間が経過していた。
ユウは馬車の窓を開けて外の風景を眠そうに眺めた。
窓から入り込む空気はユウの顔を緩やかに撫でていく。
鼻孔が捕まえた春の匂いは、道路の両脇を埋め尽くす小麦畑から生まれていた。
青い穂の海は北へ小さくお辞儀をしていて、風向きを教えてくれる。
「おはよう。ユウ。言うのは二回目ですね」
隣のソリューヴがユウに声をかけてきた。目元に早朝の別れの痕跡は残っていない。
いつもの通りの白肌に浮かぶ深赤の瞳に、ユウの口元は微かに緩む。
「おはよう。朝早かったから寝ちゃったよ。みんなも寝てたよね……あれ」
馬車の中を見渡したが同胞はいない。
エルシスは腕組みをして目を閉じているが寝ている様子はなく、ハイアードに至っては過去の長旅で身に付けたのか、器用にも本を読んでいた。
「ユウぐらいよ。この揺れの中で寝られるなんて。普通じゃないわよ。あなた」
ソリューヴを飛び越えてシーレから悪態が放たれた。
「そうかな。石畳よりは確かに揺れるけどさ、別に寝られるよ」
ユウは眠たそうに片目を擦った。残る目の先に映るシーレはユウの発言に不満そうだった。
御者台に座るケレングが振り向いて「いいかな、三人とも。話しておかなければならないことがある」
ケレングの低い声が馬車の軋みと重奏して、ずしりとユウの身体に響く。
「昨晩に話した通り、交易都市アティックを訪れたあと、進路を南西に変えてアルティスティア第二の都市ウィムフレアに入る。そこからフォグリオン山脈の足元に続く荒涼の大地、イーリーを越えれば《落ちる星の物語》に描かれている道の入り口に辿り着く。しかしだ、状況が変わった」
「……どうしたのですか、ケレング様……」
どこか寄りすがるようなソリューヴの声音であった。
「隣国ダストリアの偵察部隊が既にアティックに侵入している。ケイからの連絡だ。これが意味する所は大規模侵略というより、別の目的を持って動いているということだ」
「どういうこと? ケレングさん。アティックはスリード大陸の様々なものが集まる街だとは思うけど……物資か何かを狙う……」
シーレはいまいち解せない表情でケレングに詰め寄る。
「いや違う。狙いは……おそらく、ソルーヴ様だ……」
「そうですか……わたくし……」
無彩色の悲しい声。ケレングはソリューヴを見つめた。
「ダストリアは欲望に従いこの国から分岐した人々の末裔。武力を持って周辺国を併合し続け、今ではスリード大陸で最大の軍事国家です。国王レイティクの最終目的は大陸全土の支配。スリード大陸の母たる国、人々の魂の生まれた場所であるアルティスティアを先に落とし、その権威と象徴を背景に大陸全土の人心を抑え、他の三国、ヌーシア、リトルエ、バージェリに首を垂れさせる。そして」
「そのための、権威と象徴がわたくしなのですね」
悲哀さが漂う声調が周囲に響いた。
「はい、ソリューヴ様……」
ケレングは落胆がこもった声を出した。
「しかし、この旅にソリューヴ様が同行することは公表されていなはずでは。新聞にもケレング団長以下、数名とだけ書かれておりましぞ」
馬車の後部からハイアードが顔を覗かせた。
「そうだ。つまりこれは軍の失態……軍から情報が漏れていると思われる」
「それは……もしや、あの会議でのわたくしの発言が……」
ケレングは顔を大きく横に振った。
「ソリューヴ様に責任はありません。あの場の発言は厳に秘すと通達を出しています。それを……完全に軍の問題です、。お詫び申し上げます」
「でも、そうなると事態は深刻よ。上層部から問題が漏れたってことでしょ? 一人が密通しているという話ではなくて、上層部を含めて組織的な可能性を考える必要がある」
シーレの指摘は的確だった。
ソリューヴはうつむき加減まま肩を小さく震わせた。
「残念ながら……その通りです。既に私の最も信頼出来る同僚に内偵を依頼してあります。ハリグレク司令官にも繋ぐように頼んであります」
手綱を握るジュリススディスが前を向いたまま、大声で対応を告げた瞬間、
あ、と小さく声を出して、ユウは妙案を思いついた。
「そうだよ、ソリューヴは目立ちすぎる」
ソリューヴはユウを見つめ、きょとんした表情で瞳をぱちくりさせた。
「今の話を聞いて思ったんだけど、対応策が必要だ。だってさ、その瞳にその髪の色、それで名前がソリューヴ。三点組み合わせで、アルティスティアの第三王女確定だよ」
「え、でも……瞳と髪の色は変えられないし、まっ、まさか髪を切れというのです?」
あらぬ方向へと先回りをしたソリューヴ。瞳をうるうるとさせながら長年連れ添った菫色の相棒を両手で隠す。その隣で今にも燃え盛りそうなシーレの赤髪を感知したユウは、今朝の過ちの再来を回避すべく、必死に唇を動かした。
「ち、違うよ。名前だよ。これからはルティアと呼ぼう。そうすれば最後の一点が揃わないから、別人と言いきれる……ダストリアを惑わすことができるんじゃないかな」
「確かにそれはいいかも。幼名だからほとんどの人は知らないでしょ。どうルティア?」
どうやらシーレは乗り気のようだ。赤髪の落ち着きにユウは心から安堵する。
「はい。そうしましょう」
気丈に振る舞おうとするルティアに、ユウは、今はそれでいいと心で呟き、微笑んだ。
一週間後のユウたちがアティックに到着する日の午後、黄土色の服を着た中性的な男性が街の中心部を歩いていた。
先行してアティックに入り、後発の到着に備えるアジャイル・ケイは、三月が終わる頃とはいえ、未だ肌寒い季節にずいぶんと軽装だった。
その姿勢を試すかのように、南風は周囲の建物を勢いよく蹴って強風となり吹きつける。しかし彼は寒そうな態度を一向に見せなかった。肩に届く長い銀色の髪を手櫛で整えながら、ケイは軍の施設に向かっていた。
「え〜ん、おもちゃが壊れちゃったよ」
どこからか子供の鳴き声が聞こえてきた。ケイは何気なく耳だけで追う。
「あらあら、どうしたの」
親だろうか、どこか耳が記憶している懐かしい音調だった。
「これがね、うんとね、ひっく……壊れちゃった……」
「じゃあね、お姉ちゃんに見せてみて。はい、ありがとう。あ、ここか、お馬さんの足のネジが取れたのね。これならすぐ直るわよ」
「え、ほんと! でもね、取れたネジをね、どうやって?」
「これでね……よいしょ。ほら!」
「お姉ちゃん凄い、爪で!」
最後のありえない単語でケイは驚き、声の方向に振り向いて言葉を失った。
深赤色の瞳、陶器のように透き通った白肌、菫色の髪。この国の象徴であり太陽のような笑顔で人々を照らし続けるあの人がいた。
「……いや、違うか?……」
よく見ると髪は肩口で止まり、毛先はくるっと内側に流れていて、表情は《陽愛》という言葉には程遠い。むしろ白い肌は冷たい雪のようで、触れると指先がひんやりとする感覚をケイに想像させた。
「お姉ちゃん、ありがとう!————」
子供はまるまるとした笑みで、母らしき女性の元にかけていく。その光景にケイの頬も自然に崩れた。はっ、としてケイが周囲を見渡すと、瓜二つの顔を持つ女性は既にその場所を離れ、人混みの中に消えかかっていた。
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