ソリューヴ・アルカーディナルの告白

 

 ソリューヴはゆっくりと椅子から立ち上がり、南の窓に近づいて街の灯りを眺めた。夜の硝子窓は鏡となり、ユウの目に映る彼女の表情は万の愛おしさが滲む微笑みだった。

「あの決断の時もこの窓から外を眺めていましたね。【ヘーヴァンリエ】がわたしを誘うのでしょうか。こちらに来いと……」

 しばらくするとソリューヴは振り返った。

「ハイアードさんのお話に、わたくしは答えなければなりません。これからお伝えすることは、エスタブリッシュ女王とわたくしだけが継承している過去の話です。そして、【ヘーヴァンリエ】が弱まる謎を解くため、禁忌の山脈フォグリオンに赴く決断の根拠にも繋がります」

「おお……それは……いや、しかし、よろしいのですかな、ソリューヴ様。王族だけが知ることを許されているのでは」

 ハイアードは期待を込めながらも確認するような口振りだった。

「全ての判断は、エスタブリッシュ女王から、わたくしに委ねられています」

「……わかりました……その話、お聞かせください」


 ソリューヴは静かに息を吐いてから、物語を奏でた。

「王族が所有する本来の【落ちる星の物語】は、アルティスティア建国時の真実の物語です。かつてこの世界は、高度な技術によって多くの国々が栄え、【人に似た生き物】や【空飛ぶ船】が実在していました。しかし互いに憎み合って大きな戦禍となり、世界を飲み込んだ戦いは沢山の人々の命を奪って……人は滅びる瀬戸際まで追い込まれてしまいます。しかし瀬戸際で踏み止まり、かろうじて生き残った人々が救世主を中心に再び一つの国を作りました。それがアルティスティアです。今、シーレが手にしている【落ちる星の物語】は、本来の内容を隠して概略化させ、童話に仕立てたものなのです」

「おおおぉ、や、やはりそうですか。ようやく私は辿り着いたのですな……」

 自身の推論が王女の言葉で裏付けられたハイアードは、歓喜に溺れ頭を抱えた。

 シーレは瞳を見開いて「ちょっと待って、ソリューヴ。じゃあ、救世主というのは……」

「はい。想像の通りです。救世主はアルティスティアの初代女王モアレアルです。彼女は人が間違った繁栄を極めた時代の生き残りの一人です。そして、彼女はまた、【人に似た生物】を操る、特別な技術を使う者だったと伝わっています」

「……とんでもない真実ね。なんだか興奮で身体が震えてくる」

 肩を竦めたシーレは本を開き、【人に似た生き物】の場面で手を止めた。

 人間に話しかけて手を伸ばす、むしろ人そのものが、そこには描かれていた。

「しかし、なぜ概略化してまで、本来の歴史を隠す必要があったのですかな。それにより伝えられた技術もあるはず」

 ハイアードはソリューヴにもっともな疑問を投げかけた。

「人の手に余る技術だからです。過去の人々は制御できなったのです……ゆえに世界を壊した技術をモアレアルは封じました。再び同じことが起こらないように。これ以上、命が失われないように」

「と言うことは……いや、まて……【落ちる星の物語】の作者は不詳とされていたが、もしや初代女王モアレアルが……」

 ハイアードが何か落ち着かない手振りを見せながら、再びソリューヴに尋ねた。

「はい。禁忌の歴史書としてモアレアルが中心となって編集したようです。本来の【落ちる星の物語】は、アルカーディナル家が所有する《宇》編と、ユウのお母さんが持っている《陸》編に分けて二冊だけ作成されました。しかしモアレアルは悲劇の歴史が失われることで、人が再び過ちを繰り返すことを恐れました。そのために技術的な情報を消去し、『力に溺れるな』という教訓を伝える童話として再編集をしたのです。それが概略の【落ちる星の物語】です。ただ実際には英雄の物語として伝わってしまいました。思いは伝わりにくいものです」

 ついにハイアードは立ち上がり、興奮した様子で辺りを徘徊しながら独り言を呟く。

「なんという場面に……私は遭遇しているのだ。いま……まさに歴史の真実が……今まで全く出会わなかった無数の点が集まり線をつくり、輪郭を表すとは……歴史学者として、これ以上の瞬間はない」

「しかし……依然として沢山の謎が残っています。【落ちる星の物語】の《宇》編に描かれている不思議な絵は何を意味するのか、登場する【人に似た生物】や【空飛ぶ船】はどうなったのか。真っ黒で何も書かれていない頁は何を意味するのか。口伝もあったと思いますが、大半は歴代の女王たちの判断や事情によって失われてしまっています。ユウが手につけているそれは、【制配】という名前で合っていますか?」

 ソリューヴはユウにその名を問いただすが、不思議と驚きは生まれずに、むしろモアレアルの末裔である彼女が【制配】を知っているのは当然だとユウは思った。ユウは【制配】を見つめて、ようやく導きに従う覚悟を決める、いや、決めろと、【制配】は迫る。

「合っているよ……それにハイアードさんの話を聞いて、おそらく本に出てくる主人公の末裔が僕なんだと……思う……」

「千年を超えての物語の血脈同士が再会するとは……まさに円環の血脈ですな。論理の外ですが、導きなのかもしれません、ユウさん。おそらくアルカーディナル家とスリーク一族は意図的に交流を断絶したと思われます。二冊が揃わないようにと」

 ハイアードは感慨深い口調だった。


「でもソリューヴ。この本と【ヘーヴァンリエ】は、どんな関係があるの? 今までの話だと、フォグリオンへ行く決断の根拠が見つからないわ 」

 シーレの疑問は実にもっともらしい。

「《宇》編の絵の一枚に、フォグリオン山脈の麓から中心に向かって線が描かれている地図が発見されています。そして線の到着地点には黒い長方形が描かれていました。人工物を思わせる長方形です。この絵は概略の本には存在しません。そして————」

「————フォグリオンは【作られし山脈】だからですな」

 ハイアードが横から口を挟んだ。ソリューヴは頷いた。

「《陸》編にも書いてあるのですね……。本来の【落ちる星の物語】には、フォグリオン山脈について奇妙な一節があります。それは、【作られし山脈】という記述です」

 ユウは母との最後の夜を思い浮かべる。

「僕の母さんは、フォグリオンには過去が封印されているといっていた……」

「フォグリオン山脈は過去の時代に作られた……でも山脈を作るなんて、ちょっと……」

 シーレは自分で言いながらも真実味の薄さを感じたのか、顔を横に振った。

「それ以上の記述がないので詳細は不明ですが……しかし、高度な技術が存在した《落ちる星の物語》の時代に、地図が導く場所に、【ヘーヴァンリエ】に繋がる何かが……あって欲しいのです……」

 ソリューヴは、わずかな可能性の粒を掴むように、シーレにぐっと問いかけた。

「今の……わたくしたちにできることは……過去の破片にしがみ付くしかないのです。何としても……何としても……」

 ソリューヴは下を向き、声を詰まらせながら辿々しく言葉を並べた。やがてか細い体は小刻みに揺れ始める。

「……アルティスティアの国民、いえ……大陸全ての人々の生命を、何としても、守らなければならないのです」

 ソリューブは椅子の背もたれに両手を掛けて、その場にしゃがみ込んだ。


 シーレはごく自然に椅子から立ち上がり、赤髪を揺らしながら、ゆっくりと王女の元へ歩み寄った。そして自身の手を彼女の手の甲に優しく重ねる。

 ソリューヴは顔を上げてシーレを見つめた。

 下眼の縁は、滲んだ水膜をかろうじて塞き止めている。

「ソリューヴ。大丈夫よ。シーレ・ディスクリーンは、王女としての覚悟を確かに受け取った。どんなに困難でも立ち向かうことで開ける道があるはずよ」

 崩落したソリューヴは子供のようにシーレにしがみ付き、泣きじゃくった。

 ユウはしゃがみ込む二人のそばに近づいて膝をつく。

「僕も過去に向き合う必要があるみたいだ。過去のスリーク一族は、【落ちる星の物語】に描かれている戦争を起こしたらしいんだ……その償いとして南風【ヘーヴァンリエ】を、本来の姿に戻す義務があると母さんから言われている。どうしたらいいか、全くわからないけど、この【制配】がフォグリオン山脈へと導いてくれる……」


 これでいいんだろう、母さん。

 ユウは左手で【制配】を強く握りしめた。

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