【星の落ちる物語】
母に言われた王女との面会が、思いのほか、早くユウに訪れた。
会いなさいと言われたからこれでいいはず。
羊飼いのように先導するソリューヴの後をユウは追った。
同じ一階にある謁見の間に入ったユウは、あまりに奇妙な構造にたじろいだ。
五〇〇人は入ろうかという広大な空間ではあるが、城壁の内部で見た巨大な柱が床を突き抜け、さらに天井さえも貫いている。
それはまるで障害物のように中央に鎮座していた。
北側を背に玉座があり、ソリューヴと同じ黒色の衣装を着たエスタブリッシュ女王が座っていた。ソリューヴは少し離れて女王の正面に立ち、その後ろにユウ達が横一列に並ぶ。
神官の礼節に則った挨拶を捧げ、ソリューヴは女王に言上する。
「エスタブリッシュ女王様。わたくしの後ろに控える防衛師団の三名、および民間からの三名、そして私、ソリューヴ・アルカーディナルの七名がフォグリオン探索の務に赴きます。先行する偵察兵士、アジャイル・ケイが不在の件、お許しください。調査団の派遣にエスタブリッシュ女王様のお言葉を」
神聖国家アルティスティアの女王は、黒髪を綺麗に纏め上げた気品ある顔立ちをしていた。年の離れた姉妹だが、目つきや顔全体の作りはソリューヴと似ている。
母が会えと言った人物との遭遇。
何も感じるわけではないし、これから起こるとおも思えないが、一つだけ頭に浮かんだことがあった。母は王女と会えと言ったが、それは王家という意味であり、王女ソリューヴとの出会いを意味しているのかもしれない。
「第三王女ソリューヴ。調査に赴く兵士たちと民間の皆様、よくぞこの場にこられました。この度の任務、決して平坦なものではないでしょう。禁忌を破る行為を皆様に背負わせてしまうことをお許しください。国民だけではなく大陸全ての人々の為に、そのお力をお貸しください。皆様にモノリス神の加護があらんことを」
言えない言葉が低い音調の裏に潜んでいるような女王の声。冠は姉としての口を塞いでいるようであった。ユウは少しだけ寂しさを覚えた。
「エスタブリッシュ女王様。このケレングが必ずやソリューヴ様と、ここにいる全ての者をアニアース城までお連れいたします。禁忌の山脈フォグリオンにて、【ヘーヴァンリエ】の謎を解き明かしてまいります」
「調査団長ケレング。頼みましたよ。皆様もどうかご無事で」
「はっ。お任せください。我々は明朝、アニアース城から馬車にて出立し南下、南東の交易都市アティックに向かいます。予定通りだと二ヶ月以内には戻れるかと」
「エスタブリッシュ女王様におきましても、健やかなる日々を国民と共に」
ソリューヴは深々と頭を下げ、つられて後方の一列も続いた。
再びソリューヴから順に謁見の間を後にした。
夕食は旅路の説明を兼ねて、全員で取ることになった。
案内された部屋は巨大な空間だが、その中に小さなテーブルと椅子たちがぽつんと置かれていた。高価そうな銀食器に美しく盛られた料理たちも、少し寂そうに見える。
ユウが部屋に入ると、白いワンピースに着替えたソリューヴを中心に右隣にケレング、両端に先ほどの男女の兵士が座っていた。ソリューヴの背後の窓越しに、アルティスティアの暖かい夜景が見える。
ユウはソリューヴの向かいの席に座り、しばらくするとシーレとハイアードも案内されてユウの左右に席を取った。全員が揃うと給仕がそっと扉を締めて、部屋の中は調査団に参加する者たちだけとなった。最初にソリューヴが口を開いた。
「皆さんの好みに合うかどうか分かりませんが、明日からの旅路に備えられますよう、栄養価の高いものを中心に取り揃えました。旅の目的ゆえ、宴という訳にもいかず、静かな食事となりましょうが、お寛ぎください」
「本来は客人には、それ相応のもてなしをするのが通例だが、ここでの会話は我々以外には聞かれる訳にはいかないのでな。料理は先に全て用意させて貰った。飲み物は各自、近くの容器から取り分けて楽しんでくれ」
ケレングは頭をかきながら申し訳なさそうだった。
「硬い様式の食事なんてまっぴらよ。この方が気楽でいい」
シーレは宮殿内でもいつもの調子だが、その方がユウも気楽に振る舞える。
「それはそうだな。俺も育ちが荒いからどうも畏まった食事だと食べた気にならん。そういえば自己紹介が済んでなかった。先に軍の二人、エルシスから」
ケレングの指示に、両端に座る二人が整然と動作を合わせて立ち上がった。
「はい。私はエルシス・グロブーシュと申します。この旅におきましては主に資材調達、作戦立案を担当します。何か必要な物がありましたら取り揃えてまいります」
エルシスの石のように硬い言葉遣いに対して、ジュリスディスは活気ある声で続いた。
「ジュリスディス・ニトーマです。馬車の扱いなら任せてください。剣技もケレング団長に鍛えて貰っています。主に護衛任務を担当します」
「二人とも俺が選んだ、実力、経験共に軍では有数の兵士たちだ。必ず役に立。つ。そして、彼はハイアードだ」
ケレングの紹介にハイアードは立ち上がった。
「謁見前の会話で、何やら旧知のように感じてしまいますな。私はハイアード・パークといいまして歴史学者をしております。ユウさん、シーレさん、よろしくお願いします」
ケレングが「とりあえず食事にしようか」と前段を締めくくった。
シーレは待ってましたとばかりに、薄く切られた牛肉をフォークで豪快に突き刺す。赤や黄色の果肉をふんだんに使ったソースを絡めた牛肉は見た目も見事で、その味は目を弓のように細めて嬉しそうに食べるシーレの笑顔で一目瞭然だった。美観を備えた万能な料理たちはそれぞれの口を塞ぎ、会話を奪っていく。
ささやかな宴の中頃でケレングが沈黙を破った。
「改めて、調査団への参加を心より感謝したい。しかし、聞きたいことは山ほどあるだろう。ソリューヴ様も、今日は答えられることには、全て答えるつもりだ」
「それなら、最初にいいかな」
シーレがソリューヴを見ながら、右手を小さく上げる。ソリューヴは頷いた。
「先に一つ。私たちは軍ではないし、あくまで表向きは生態調査団でしょ。そうなると明確な上下関係がわかる語尾、具体的には『様』は、やめましょうよ。だって仲間でしょう」
にっこりと同意をうながす笑みを浮かべ、ソリューヴに視線を流したシーレ。
ソリューヴは歓喜で潤った瞳でシーレのそれに飛びついた。
「それは名案! シーレさん。いや、シーレでいい?」
シーレは綺麗な歯並びを見せながら、「もちろんよ。ソリューヴ。その口調のほうが、脱走を企てるあなたには相応しい」
ソリューヴの隣でケレングは大きな頭を抱えた。
「ええい、好きにしてください。私は今更言われて困りますから、このままですぞ」
ちらっとケレングを一瞥したソリューヴであったが興味はそこにあらずの様子で、得意げにシーレに向き合った。
「シーレ。あれは逃亡ではありません。お茶を飲みに行っただけです」
「なんとも面白い人たちが集まったようですね。ケレング殿。危険な旅ではあろうが、良き出会いや発見もあるでしょう」
ハイアードがいつもの癖をしながら、意外にも気の利いた言葉を連ねた。
「それでは……私の思う所もお話ししましょうか。これから話すことは、ここにいる皆さんも知りたいと思っておられるだろうし、むしろ知るべき真実も含まれています。特にソリューヴ様とユウさんには、大きく関わりが有ると……よろしいでしょうか。ソリューヴ様」
和やかな空気を断絶し、皆に迫るようなハイアードの言葉。ソリューヴはゆっくりと覚悟を決めるかのように頷き、ユウもそれに続いた。
【制配】を見た時のハイアードの反応から、ユウは過去の歴史についての話だと確信していた。緊張で足先が熱くなっていく。フォークを放した手はテーブルの下で不安げに動いた。
ハイアードは水差しの容器からコップに水を注いだ。
注がれる水は淀みなく流れ落ち、揺れていた水面はやがて静閑な水平を作る。
「さて……少々、長話になると思いますが、どうかお付き合いください。皆様」
コップを手に取り半分まで水を飲み、ハイアードはゆっくりと語り始めた。
背後の壁に取り付けられた洋燈の明かりがぼんやりとハイアードを照らし、特別な物語を演出している。
「学者というのは事実という点を集め、それをつなぎ合わせて線に変え、全体を見るものです。今からお話しすることは、まだ私の中で点として存在しているだけです。しかし今日ここに集った方々の知識を繋ぎ合わせことで、新しい線が生まれ、特異な輪郭が見える気がするのです。私自身も話しながら思考していきます」
過去へと誘うような独特な語りが一層の幻想感を漂わす。自分自身が知り得ない真実へと導かれる予感に、ユウの肩は小さく震えた。隣を見るとシーレも真剣な表情で耳を傾けている。
「最初に、この大陸の歴史からお話ししましょう。ご存知の通りアルティスティアは、約一〇〇〇年前に初代女王モアレアルによって建国されました。その後も人々は新たな大地を耕し生活圏を広げ、現在のスリード大陸の国々となっていきました。しかしそれ以前はどうだったのか? これが不思議なことに、一切の記録が残っていない。まるで遮断した様に途切れています。私はこの大陸中を巡り歴史的検証法で調べたが痕跡は見つからなかった。しかし、一つだけ気が付いたことがあります」
ハイアードの話は理路が通り整然としていたが、語る顔つきは暗闇に落ちていくようだった。
「それは我々が使う言葉、ニアス語の不可解さです。言語というのは、ある集団で共有される自然への認識、もしくは人の感情や動作を、発声や文字で表現される『単語』に置き換え、体系化することで発展していきます。つまり『単語』には起源があるということですな。しかしニアス語の中には起源が見つからない『単語』が無数にある。皆さんも使うでしょう。テーブルやワンピース、ポケット。これらの単語は別の集団で生まれたものとしか思えないのです。そして我々はそれらの単語をごく自然に取り入れている。さて、ここで『消滅した一〇〇〇年以上前の歴史』と、『ニアス語の不可解さ』を掛け合わせると、どうなるでしょう」
早まる鼓動はしんしんと叫ぶ耳鳴りへと変化する。ユウはハイアードの言葉を待った。
「一〇〇〇年以上前、複数の集団が存在し活発に交流をしていた。しかし何故かアルティスティアを作った人々の集団だけが生き残り、滅びた集団の単語がニアス語に残った、と推論することができます。集団は国と言って差し支えないでしょう。国は人の集まりと定義できます」
重たい沈黙がその場にうっすらと漂う。解釈には確固たる根拠ないが、辻褄は合っているとユウは感じていた。
「多数の国が存在していたが滅び、アルティスティアの人々だけが生き残ったということか。続きを頼む。ハイアード」
ケレングはハイアードに次章を急かした。
「次は皆さんも気になるでしょう【落ちる星の物語】です」
その本の名は、漂う沈黙を冷気に変えて、ユウの頬をぴりぴりと刺激した。
「あの物語は、言わば子供の童話です。童話は時に過去の民話、伝承、逸話から生成され、多分に子供に教訓や道徳などを教える要素が含まれている。そして子供は親から読み聞かされ、楽しく話を聞くうちに無意識にそれは価値観の一部となる。実によくできたものです。では【落ちる星の物語】はどうでしょう」
シーレは【落ちる星の物語】を鞄から取り出してテーブルの上に置く。
「この物語は、主人公の住む国で大きな戦争が起こり、世界が滅びそうになった時、かつての仲間が救世主として現れ人々を救った話。世界はほとんど壊滅されてしまうけど、生き残った人々が新しい国を作るところで話が終わるの。そして、救世主の英雄的な考えを強調しているように感じるわ。要は苦しむ人を助けなさいということね。私も子供の頃、母に読んで貰ったけど、そのように読み聞かされている」
ハイアードは同意を示すように軽く頷いた。
「そうですな。それが人々の一般的な理解だと思います。しかしこの本には、今の世界とかけ離れている内容が余りに多い。もちろん童話ゆえの創作と言えば、それ以上の考えを巡らすこともないでしょう。だが物語に登場する【人に似た生き物】や【空飛ぶ船】など、想像にしては荒唐無稽過ぎるとは思いませんか」
「そう。私もずっと不思議に思っていた。あの本の記述や描写はあまりに細部が正確過ぎるのよ。空を飛ぶという空想はするけど、あれだけ具体的に『空飛ぶ船』を描けるなんて、実物を見たとしか思えない」
シーレは本をぱらぱらと捲り、空を飛ぶ大きな船に救世主と主人公が手を振る場面で手を止めた。
その描写はユウを過去に引き戻す。幼い頃、母は何かを教えるようにこの本を読んでくれた。
だが追憶の中でユウは微細な違和感を覚えた。主人の輪郭線が記憶と現実の絵で上手く重ならないのだ。柔らかい幼少期の記憶では手に何か……そう、そうだ。
「僕が読んでもらった本では、この主人公、手に何か黒いもの付けていたと思う。手袋とか。子供の頃の記憶だから正確ではないかもしれないけど……」
いや違う、と自分の腕に取り付いた黒い物体をユウは見つめた。これ、なのか。
ハイアードはユウの言葉を見逃さなかった。
「……おそらくユウさんが読んでもらった本は、本来の【落ちる星の物語】です」
「本来って…… 【落ちる星の物語】はこの一種類しかないはずよ」
シーレは本を持ちながら、ハイアードにもっともな疑問を呈した。
「……少し話しを逸らしましょう。五年前、夏頃だったと記憶していますが、私の元に一人の女性が尋ねてきました。そして一冊の本を見せて、何とも不思議なことを言うのです。『この本と同じ物を見たことがありますか』と。その本とは【落ちる星の物語】です。私が『この大陸の本屋なら、どこでも買うことができます』と答えると、しきりに中身を見てくれと言うものだから本を手に取り……その時、私はとてつもない衝撃を受けました」
ハイアードは一度、話を区切り、水を口に流し込む。
「我々が知る本の内容は、ごくわずかな概略的な物語に過ぎなかったのです。見せて頂いた【落ちる星の物語】は童話といより歴史書でした。そこには概略化によって失われた本来の物語が、事実であったとしか思えない記述と描写で収められていた。私が内容について尋ねると『この本は千年前の世界に繋がる昔話』だと。その女性は持参した本と対になる本を探していると言っていました。その心当たりがないか尋ねる為に、私の元に来たようです」
「それって、つまり……ええと……【落ちる星の物語】は三種類ある……?」
シーレは答え合わせをするような視線でハイアードを見つめた。
「そうです。私の考えは、真実の歴史が書かれた二冊の【落ちる星の物語】から、意図的に一部を抜粋したものが、私達が知る【落ちる星の物語】ではないかと」
ユウは思い出した。母は確か五年前の夏に、アルティスティアに一ヶ月滞在していたはずだ。もしやと思いその名をハイアードに問いただした。
「ハイアードさん、その女性の名前……カスミじゃないですか……」
「察しの通りです。そうです、カスミさんと名乗られていました」
「ユウ、もしかして……お母さん?……」
シーレは驚いた表情でユウに話しかけた。
「ああ、母さんだよ……カスミ……スリーク」
「カスミさんが持ってきた本来の【落ちる星の物語】の主人公は、黒いものを手に付けていました。そこには時を告げる黒い布と記述されていた。おそらくユウさんが身に付けている、それではないでしょうか」
ハイアードは【制配】を指差す。痩せた彼の指は過去から現れた亡霊のように見えた。
ああ、そうか、とユウは小さく呟いた。
物語の主人公はスリーク一族で、自分はその末裔。
ようやく気づいたかと【制配】は途端に存在感を強めて、ユウの右腕にのしかかる。
「不思議なものですな。今日、私がこのような妄想に近い過去の話をするのは、必然であるとさえ思えますぞ。ここでカスミさんが持つ【落ちる星の物語】が真実だという前提で、先ほどの推論と繋げて線にしましょう。この場合は重ねると言ったほう正確でしょうか。答えは……」
ユウはただ静かに耳を傾ける。
「千年前、世界には多数の国が存在していたが戦争で滅び、わずかな人々だけが生き残った。彼らはアルティスティアを建国し、その歴史を本に収めたものが本来の【落ちる星の物語】。しかし抜粋された概略の【落ちる星の物語】が意図的に広められた、となります。そして、ここからが、さらに重要です。【人に似た生き物】や【空飛ぶ船】が実存していたのなら、千年前の世界には、たいへん高度な技術があったということです。」
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