第二章 1000年前の物語

真実を探す旅

 ユウの手元に生態調査団の合格通知が届いたのは、応募から二週間が過ぎた時だった。通知にはなぜかシーレの名前も書かれていて、もはや組のような扱いだが、例の立ち回りの一件を考えるとそれも仕方がないだろうか。

 シーレは用事があるらしく、あの日以来会っていないが、舞い込んだ通知に歓喜している姿がユウの目に浮かんだ。

 出発は明後日。だがアルティスティアの女王エスタブリッシュとの謁見が控えているため、明日の昼までにアニアース城に入らなければならない。ユウは荷物をまとめ早々に床について明日に備えた。

 

 翌日、朝食代わりのパンを齧りながら身支度を終えたユウは、足早に宿を後にした。港から城へと続く道路を一気に登り切ると、視線の先にはアニアース城と彼女の姿。こちらに気付いて手を振るシーレは、今日も赤い服を着ている。

「ユウ。おはよう。久しぶりといっても、二週間か。どう元気だった?」

 シーレの変わらぬ声の調子にユウは安堵する。過ごした時間はたった二日間だが、ひどく懐かしく感じた。

「おはよう。シーレ。元気だけどさ。ちょっと街に飽きてきて」

「はは、それは、それは。一人だと……つまらないわよね……そっか」

 シーレは陽気な軽口を放りなげる。ユウは二人なら楽しかったかも、と言いそうになって慌てて口を閉じた。

 シーレは言葉を飲み込んだユウをじっと見つめていた。

「……ところで合格通知、届いたわよね? 私たちの名前しかなかったけど、二人だけなのかしら?」

「どうかな、流石に二人だけということはないよ。多分、防衛師団事務所での派手なアレがあったから、おれたちは二人組扱いなんじゃないか」

 何なのそれ、とシーレに否定されるとユウは思ったが、シーレは意外にも何も言わず下を向いて黙り込んでしまった。

「どうしたんだ? シーレ……」

「ありがとう。あの時庇ってくれて。まだお礼言えてなかったから……」

 小さく唇が伝えた感謝の言葉。

 シーレはうつむき加減のままアニアース城に歩いて行った。

 ユウは彼女の赤面のような赤い服を追いかけた。

 

 指定された集合場所に、見覚えがある巨躯がこちらに背を向けて立っている。

「ケレングさん……? ですよね」

 シーレが名前を叫ぶと、ケレングはがばっと振り返って、右手を軽く上げた。

「おお、来たか。二人とも。待ちかねたぞ」

 どうやら二人を出迎える為に、城外で待っていてくれたようだ。

「ありがとうございます。この度は選んで頂いて」

 ユウとシーレは姿勢を正してケレングに頭を下げた。

「何を言うか。二人とも剣技も十分だし、それにだ……」

 ケレングは含みをおいて「ソリューヴ様が強く推薦したんだ。お前たち、気に入られているな。ははっ」とユウの背中を勢いよく叩いた。ユウは前につんのめる。シーレは、あぁ、やっぱり、という渋い顔をした。

「選考前に、会っちゃったからね。ズルしちゃったのかしら」

「それを我々は『モノリス神の導き』と言うんだよ。縁があるから出会う。会うべきしてソリューヴ様に出会ったわけだ」

「そうゆうものかしら」

シーレは溜め息を吐いて小さく肩を竦めた。

「二人とも中に入ってくれ。先に他の調査団員と面会だ。宿泊する部屋は後で案内する」

 重厚な装備の警備兵が煉瓦色の扉を開けた。城内から冷たい空気が流れてくる。城壁の内部には生活物資の倉庫、駐屯する防衛師団の兵舎などが、整然と配置され、巨大な柱を中心に多くの支柱が宮殿を支えていた。

「すごい柱の数ですね」

 ケレングの後ろからユウが驚嘆の声を上げる。

「ああ、中心の柱が塔と繋がっていて、この城全体を支えている要だ。この城は基礎となる城壁と、その上に三層の宮殿、そして塔という構造だ」

 ケレングが黒い柱を指し示しながら説明した。

「ここは城の心臓部。あらゆる人、物がここに集まり、城の隅々まで届けらてれいく。ああ、そうだ……。あそこに、大きな搬出入用の扉があるだろう?……」

 振り返ったケレングがニヤつきながら、なぜか嬉しそうにユウたちの顔を眺めた。

「二人がソリューヴ様と会った日、実は……その時は外出ではないのだよ」

 ユウとシーレは互いに顔を見合わせたが、シーレは何かに気づいたようだった。

「外出ではなくて逃亡だ。退屈で仕方なかったのだろう。荷物の山の後ろに身を潜め、警備兵の隙をついてあの扉から逃げたのだよ。我らの王女は」

 ケレングは目を細めて、かっかっと大声で笑った。

「あー、やっぱり。道路にいた騒がしい兵士といい、おかしいと思ったのよ。大体、王女様が一人で来店なんて、普通に有り得ないじゃない……」

 シーレは天を仰いだがそれでも嬉しそうで、王女の行動に共感しているような、そんな印象をユウに与えた。

「あの王女様は、見た目と違って自由奔放なのだよ。むしろ淑女を求めると荒が出る。まあ、そこも含めて、国民に愛されている訳だ」

 ケレングはさながら孫を可愛がる祖父のようにであった。


 ユウちたは宮殿一階の【赤】という名の部屋に案内された。

「ここだ。女王様との謁見の前に、二人に伝えなければならないことがある」

 ケレングは打って変わって重たい雰囲気を漂わせた口調だった。扉を開けて中に入ると、大きな長方形のテーブルの向こう側に二名の兵士が座り、手前側の奥端には、金髪でおかっぱ頭の痩せた男性が座っていた。横顔を見る限り四十代半ばの雰囲気だ。襟の無い灰色のシャツとゆったりとした同色のパンツを履いている彼は、ユウたちと同じ民間から選ばれた人物のようだった。

「二人とも、そこに座ってくれ」

 ユウとシーレは金髪の男性と同じ列に座った。ケレングは立ったままだ。

 軽く咳払いをしたケレングは真剣な表情で話し始めた。

「最初に伝えることがある。山脈付近の生態調査団の募集という概要であったが、本当の目的は別にある。騙すような真似をして申し訳ない。我々には事実を公にできない理由があるのだ。実はここ数年、フォグリオン山脈から吹く南風【ヘーヴァンリエ】が何故か弱まりつつあるのだ。これは何を意味するか、わかるだろう……」

「南風がなくなると、人を殺す毒風【ヴァリ】の侵入を防ぐことができない」

 金髪の男性が下がり気味の眼鏡の中心を指先で押し上げた。

「そうだ。さらに【ヘーヴァンリエ】は、植物や果物の生産に大きな影響を与える。風の弱まりと共に、作物の収穫量は下降傾向が続いている。もしこの事実を国民に公表すると、大きな混乱を引き起こす可能性が高い。ゆえに我々は事実を隠し、この謎を解く有能な人材を探す必要があったのだ」

 ケレングは真摯な眼差しでユウを見つめた。

「我々の真の目的は禁忌の山脈フォグリオンに踏み入り、【ヘーヴァンリエ】が弱まる謎を解くることにある。もし【ヘーヴァンリエ】が失われれば、アルティスティアだけでなく、スリード大陸の全ての人間が【ヴァリ】によって死んでしまう。正直に言おう、危険な旅になるかと思う。この話を聞いて今この場で辞すことも可能だ。もちろんその時は、他言無用でお願いしたい……だができればその力を、我々に貸して頂きたい」

 母から託された一族の役目はケレングたちの責務と重なり、ユウの眼前に明確な形となって現れた。突然の展開にユウは戸惑う。まるでフォグリオンが手招きをしているようだった。これが導きということか、と【制配】に意識を向ける。

「私は参加します。私はこの世界が単純に好きよ。だから救いたい。嫌なこともあるけど、生きていれば沢山のことに出会える。それは私の生きる目的でもあるから」

 シーレは気持ちいいぐらいに迷うことなく、はっきりと意思を伝えた。

「もちろん、あの禁忌の山脈、フォグリオンに入れることにも心踊るけどね……」

 声帯を振動させない小声で、シーレはユウにだけそっと耳打ちをした。

扉が軋む音が聞こえた。

「ようやく来たか……」

 ケレングの声に応えるように、二名の兵士は即座に立ち上がった。

 彼女はゆっくりとした足取りで微風のように部屋に流れ込む。刺繍が施された大きな襟が特徴的な黒いワンピースに神官にふさわしい厳粛な表情は、街で出会った少女のそれではなく、アルティスティア第三王女ソリィーヴ・アルカーディナルのものだった。

 ソリューヴはケレングの隣に立った。

「今日はお集まり頂きまして、心より御礼申し上げます。既にケレング様から説明があったかと思いますが、禁忌の山脈フォグリオンへ赴き、【ヘーヴァンリエ】が弱まるという謎を、どうか一緒に解いてくださいますよう、心よりお願い申し上げます」

 ソリューヴの言葉は一片の曇りもない、心からの懇請の響きを帯びていた。

「ひとつ、お聞きしてもよろしいかな。ソリューヴ様」

 金髪の男性が裏を覗くような視線をソリューヴに向けた。

「……はい、ハイアードさん。お聞かせください」

「私はどうも歴史や伝承を研究しているためか、それらの意味や成り立ちが気になってしまうもので……約八〇〇年前、モノリス神の信託としてフォグリオンは禁忌の山脈となた。それは【ヴァリ】から人々を守る南風【ヘーヴァンリエ】を生み出す山脈だからですな。そしてこの禁忌の誓いは長い時間を経ても、近隣諸国を含めて頑なに守られている。隣国ダストリアなどは、さして気にもしていないが、モノリス神を信じる民も多く、彼らとて簡単に破れるものではない。ソリューヴ様。エスタブリッシュ女王様は、如何なる理由でこの禁忌を破られるのか。お聞かせ願えますでしょうか」

「……エスタブリッシュ女王自身による決断です。弱まってしまった【ヘーヴァンリエ】を再び在るべき姿に戻すことは、モノリス神の神託を受けるアルカーディナル家の使命だからです。禁忌を破る愚行かもしれませんが、その責任、全てわたしが引き受けます」

「ふむ。女王様がご自身で決められた訳ですな……」

 ハイアードは考え込むように下を向き、いつのまにか膝の上に置いている本をめくり始めた。

「この旅はわたくし、ソリューヴ・アルカーディナルも同行します」

「いやいや、ちょっと待ってよ、ルティア……いや、ソリューヴ様。仮にもあなた王女よ。自ら危険に飛び込んでどうするのよ。バレたら国民が黙っていないわよ」

 シーレが飛び出すように立ち上がり、両手で勢いよくテーブルを叩きつけた。

「シーレさん、王女だからこそです。未熟ではありましょうが、モノリス神の神官でもあるわたしが命を賭けずして、なんといたしましょうか。今がその時なのです」

「くっ、ふふ……」

 ケレングから堪えるような笑い声が聞こえてきた。ソリューヴも何故か苦笑いをしている。

「すまん。シーレ。まさか自分の姿を見ることになろうとは。エレシス、あんな感じだったか」

 ケレングは男装の麗人と呼ぶに相応しい女性兵士に尋ねると「はい、先日の会議とほとんど同じかと思います」

「机の叩き方もそっくりです。そりゃ、同じ反応になりますよ……」

 もう一人の男性兵士は、やせ気味の頬をかきながら微苦笑を浮かべた。

「実は調査団員の最終選考会議で、俺が同じ態度取ったのだよ。ソリューヴ様がいきなり同行すると言い出した訳だからそりゃあ慌てるだろう。その時もソリューヴ様は同じことを言われた。王女が命を賭して国民を守るなら、防衛師団も当然に王女様を守る為に命をかける」

 ケレングは力強く語尾を閉めた。

「軍はそれで筋が通るけど。ユウは……どうする?……」

 シーレはやれやれと椅子に座って、遠慮気味にユウ視線を向けた。

「僕は……参加します」

 母から突然に告げられた一族の罪は確かに重たいが、遠い過去の話だけに釈然としないし、南風を元に戻すなど現実味がない。だが【制配】の導きから逃れることができないなら、その中で自分なりの答えを探すしかないとユウは思い始めていた。そして少なくても母の願いに沿う形となり、王女との謁見が叶う。

「ユウはお母さんから王女様に会いなさい、と突拍子もないことを言われているんだよね。まさかこんなに早く叶うとは」

 シーレは感無量と腕を組んで、二度深く頷いた。

「あ、はい。そうなんです。理由も言わずにとにかく会えと。普通に考えて不可能なのに、その一点張りで……はは」

 ユウは意味不明な話を誤魔化すために頭をかいた。その拍子に服の袖口が下がり右腕に巻かれた【制配】が姿を現す。

 がたんと激しい音がした。

 音の方向にユウが視線を向けると、ハイアードが椅子を後ろに倒して立ち竦んでいた。震える右手をユウの方に向けて、もごもごと何かを言おうとしている。

「そ、それは……時を告げる黒い布では……な、ないですか……」

 その言葉に意外にもソリューヴが反応し、深赤色の瞳は大きく見開いた。

 ハイアードは膝の上から床にころげ落ちた本を拾って、丁寧に埃を払い、テーブルの上に置いた。

「……ソリューヴ様、もう一つだけお聞きしてもよろしいかな」

「……はい。お聞かせください」

「今の私には辻褄があう根拠は何もなく、ただ歴史を長年研究して来た者の感といいますか、何やら胸騒ぎがすることがありましてな。今回の旅には王族が所有する【落ちる星の物語】にも関係ありますかな……お聞かせ願いたい」

 ソリューヴの瞳は肯定するように赤みを深くした。

「はい。その通りです。王家が所有する《落ちる星の物語》をわたくしが持ち出します」

「分かりました。このハイアード、微力ながら謎解きに同行いたします。歴史の真実を求めるものとして、これ以上の機会はありますまい。ただ私は軟弱な学者ゆえ、軍の方々、旅路の警護をお願いしますぞ」

「それは任せろ。どうやらこの人選は最良のようですな。ソリューヴ様」

 ソリューヴは応えて深く頷いた。扉が外から叩かれ、警備兵が姿を現した。

「皆様、エスタブリッシュ女王様が謁見の間に来られます。そろそろ移動を」

「いろいろ疑問が残るだろうが後にしよう。女王様がお待ちかねだ」

 ケレンの言葉にユウたちは立ち上がった。

 

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