決断に潜むものは闇か光か

 ルティアの脱走から数日後。

 アニアース城の会議堂では、生態調査団員の選考が行われようとしていた。

 団員は最大で八名。軍属の人物が四名、残りを民間から採用がする予定である。指揮を執る第三王女ソリューヴとケレング調査団長以下、関係する人物たちが一同に集まっていた。

「ソリューヴ様、会議を始めてもよろしいでしょうか」

 進行役のケレングはソリューヴに確認を取るような目線を送る。

「はぁい、お願いします」

 畏まった会議が苦手なソリューヴ。

 とっさの返事は裏返って、慌てて打ち消すそうと頷いてみせた。視線をケレングに向けると彼の頬は固そうだった。

「……わかりました。それでは最初に、エルシスから最終候補者の説明を。軍属の四名は既に決定しているから、民間の者だけでいい」

「はい、現在の候補者は以下の通りです————」

 ケレングの隣に座る長い黒髪の女性兵士は、補足説明を加えながら候補者の名前を読み上げた。その中には当然、ユウとシーレの名前も含まれている。

「ケレング。この資料にあるユウ・スリークとシーレ・ディスクリーン。この二名の人物を、お前が既に選考済みと記載されておるが、明確な理由を説明してくれるかのう。面接もしていないと聞いておるぞ」

 南方面防衛師団長ハリグレク・ジェレンダが二人の書類を示しながら、問いただしてきた。

「ああ、そのことか。先日、西方面防衛師団の事務所を訪れた時に、偶然二人に会ってな。彼らはちょうど、調査団の申し込みに来ていたのだが、運悪くあのギリンに絡まれたんだ」

「ははっ。それは不運だの。あやつは気性が荒すぎて問題ばかり起こすが、しかし国への忠誠心も確かなもの。戦場では敵兵を雑草のように蹂躙する、まさに狂戦士じゃ」

 ハリグレクは軍の精鋭を誇るように、腕組みをしながら反り返り、高笑う。

「しかし、だ」

 ケレングは言葉を一度、区切った。

「ギリンがシーレ・ディスクリーンの赤髪をからかった時、ユウ・スリークは実に滑らかな動きで剣を抜き、鋒をその狂戦士の喉元に突きつけた。ギリンは全く動けなかったよ」

「おお、あのギリンが……まさか」

 他の出席者たちの顔色が変わり、驚きの声が湧き上がった。

「調査団に参加する民間人に剣技を期待していないが、彼は技量だけなら軍でも通用するだろう。旅では必ず役に立つ。それにシーレ・ディスクリーンはあの一〇〇百年前の国の英雄、赤髪のディスクリーン家の末裔だ。ここにいる各防衛師団長は知っているはず。ことの最後に余興でギリンの鼻先に突きつけた彼女のレイピアの鋭さは実に見事だった」

「それに」

 待ちかねた瞬間にソリューヴは鋭く口を挟んだ。

 王女の片鱗を取り戻した神妙な面持ちで、二人の後押しを図ろうとする。

「シーレさんは薬草に深い見識があり、フォグリオン山脈へ向かう道筋でも必ず我らの助けになるでしょう。ユウさんとシーレさん、二人とも適任かと」

「ソリューヴ様。えらく親しげな表現をされましたが……お知り合いの方ですかな」

 ケレングは不思議そうに眉をひそめた。

「先日、街に用事があり出かけたところ、わたくしも偶然、二人にお会いしました。縁はこの世界の真理による見えざる導きであり、未来へと続く連鎖です。モノリス神の神官として、この縁に感じるものがあります」

「そうですか。モノリス神の神官としてのお言葉なら、二人には選ばれる必然がありましょう。もちろん、二人の技量は私が保証する」

 ケレングの言葉は、他の出席者を説得するような語気を帯びていた。

「ソリューヴ様がそう言われるなら、異存はありませぬ。他の師団長もよろしいかのう」

 ハリグレクの言葉に、他の師団長も押されての同意の頷きをした。

 ソリューヴは息を大きく吐き出す。

 しばらくは安堵の表情を浮かべていたが、やがて真摯さを取り戻し、この調査に未来を託す思いで言葉を紡いだ。

「他に適任の方はいますでしょうか。今回、表向きは生態調査という位置付けではありますが、本当の任務は、南風【ヘーヴァンリエ】が弱まる謎の調査です。自然現象ではありましょうが、この謎を解かない限り、我々の未来は見えにくくなるでしょう。その為に多様な知見が必要なのです。禁忌の山脈に立ち入るという罪を犯そうとも、我々は行かなければなりません」

「ソリューヴ様、私から一名、推薦させて頂けますでしょうか」

 末席に座る精悍な顔付きの男性兵士が、その意に応えるかのように手を挙げた。

「ジュリスディス。それはどの者だ」

 ケレングは詳細な説明を求めると、ジュリスディスは立ち上がり、候補者リストの最終ページを指し示した。

「彼はハイアード・パークと言いまして、歴史学者です。アルティスティアのみならず、スリード大陸の歴史にも精通しています。謎を解くという任務にはうってつけの人材かと思われますが、いかがでしょうか……」

「だが学者だろう。旅は長く道も険しい。身体がもつのかね」

 出席者の一人、東方面防衛師団長バラント・キタザワから疑問の声が上がる。

「彼は史跡調査の名目で、スリード大陸の各地を転々としていましたから、足腰に問題は無いかと思います。戦いには向いていませんが」

 ジュリスディスの返答に、それ以上に異議は出なかった。

「私を含め四名の兵士が同行するから、彼の安全は保たれよう。禁忌の山脈に行くのだ。知識が多いほど役立つ。エレシス、他はどうだ」

 ケレングの問いかけに「応募者は多いのですが、これといった人物は他に見当たりません」とエルシスは淡々と答えた。

「無理に選ぶこともない。適任の人物がいなければ、三名で————」

 

 ケレングが話を纏め上げようとしていた。

 今こそ、自身の決断を伝えなければならない。彼の地へ、わたしはあの本と共に赴く。

 それこそが王女の責務であると、揺るがない決意を深赤色の双眸に秘して。

「————いえ、最後にもう一人。それは、わたくしです」

 ソリューヴの言葉は雷鳴さえも追い払う暴風のように、その場を駆け抜けていく。

「なりません! ソリューヴ様。なにを……」

 ケレングは潔癖な拒絶を示し、激しく両手をテーブルに叩きつけて立ち上がった。

「指揮を取ると行っても名目上のこと。仮にもアルティスティアの第三王女、継承権第一位のソリューヴ様が、調査団に同行するなど前代未聞。ましてや禁忌の山脈は未開の地。どのような危険があるか想像もできません。ここは軍に任せてください」

 ケレングの優しさが混ざったような激昂に、ソリューヴは真意を持って応え、この場の調整者たる彼の心を動かさなければならないと思った。

 ゆっくりと椅子から立ち上ったソリューヴは、会議堂の全ての参加者の顔をしっかりと見渡してから、着ている白いワンピースの袖口を愛でるように触りながら語り始めた。

「ケレング様はご存知でしょうか。この絹でできている服がどのように作られているか」

「いえ……それは、存じておりません」

 ソリューヴは会議堂の南の窓に近づき、遥か先の見えない大地に思いを馳せる。

「それは、アルティスティアから約五十キロ南下した小さな町で、農家の方が大切に蚕を育て、糸を紡績することから始まります。そしてアルティスティアまで運ばれ、織物専門の工場で生地に変わり、最後に縫う方が、服の形に仕上げるのです。きっと想像を超える沢山の苦労があったことでしょう。だからこそ、生地は真珠のような輝きを放ち、この服は着る者の心を癒す優しさを持ち得たのです。わたくしがこの服を、どのようにして手にすることができるか、ご存知でしょうか」

「それは……王族に対する国民からの献上品として」

 ソリューヴは振り返り、一歩たりとも退かない決意を瞳に込めて、ケリングを強く見すえた。

「そうです。ケレング様。わたしは、献上品に込められた真心で十七年間、ここまで育てて頂きました。その恩義を国民にお戻しする時が来たのです。南風【ヘーヴァンリエ】が弱まり、国民の未来が脅かされている今、モノリス神の神官と王族の地位を与えられているアルカーディナル家がその真心に答え、命を賭して国民を守らず何としましょうか。わたくしがフォグリオン山脈に赴くことは使命なのです」

 ケレング様、どうかお聞き届けを。ソリューヴは心底から湧き出る強い懇願の祈りを、ケレングに捧げる思いだった。

 甲高い音が鳴り響いた。

 ケレングは踵を鳴らして軍靴を揃え、姿勢を真に正す。左手を後ろに回し、握りしめた右の拳は足元に向けて突き出されている。

 剣を下げる仕草の敬礼は、ソリューヴの覚悟への絶対の忠誠を示していた。

「その意、しかと受け賜りました。全てを王女様の意に従いて」

 堂々とした力強い言葉に全ての者は鼓舞されて一斉に立ち上がり、ケレングに続く。

 ソリューヴは瞳を滲ませながら、太陽のごとく光り輝く暖かい笑顔を、その場の全ての者に送り返した。

 

 民間から選ばれる生態調査団員は、ユウ・スリーク、シーレ・ディスクリーン、ハイアード・パーク、そして最後に王女ソリューヴ・アルカーディナルが名を連ねた。

 参加者達が各々に会議堂を後にする中、ケレングが逆流してソリューヴに近寄った。

「ソリューブ様。ご紹介しましょう。先ほどから会議に参加していたこの者たちも、軍属として調査団に参加いたします」

 二名の兵士がケレングの左側、半歩下がった場所に立っている。

「女性はエルシス・グロブージュ、主に調達、作戦立案を担当します。男性はジュリスディス・ニトーマ。馬車の扱いに長け、剣技においては私に引けを取らない者です。二人とも、私が防衛師団最高司令官を拝命していた時の直属の部下です。そしてなにより、最も信頼できる部下の二人です」

「まあ、そうですか。エルシスさん、ジュリスディスさん、初めまして。ソリューヴと申します。その手とその力を、この国のために、お貸しください」

「はい」「はっ」

 エルシスとジュリスディスは力強い返事をソリューヴに返した。

 ソリューヴはケレングに姿勢を向けてゆっくりと頭を下げた。

「先ほどの深い配慮に、心よりお礼申し上げます。ケレング様の助力がなければ、皆様の理解を得ることはできなかったと思います」

「いえ、ソリューヴ様。私の方こそ、未来を見誤っておりました。王女の覚悟に揺るぎない忠誠心を持って応えることこそが我らの存在意義。この任務を完遂し、必ずソリューヴ様をアニアース城までお連れいたします」

 勇力溢れるケレングの言葉に、暗闇に沈む道が照らされていく思いがした。

「時間を取らせてしまいましたな。お疲れでしょうから部屋までお送りしましょう。エルシス、ソリューヴ様を」

「いえ、ケリング様、一人で大丈夫です。それでは皆様、失礼いたします」

 ソリューヴは丁寧な会釈を残してその場を後にした。


 城内にある自室に戻り、扉を閉めて背中から寄りかかる。

 全身の筋肉がそぎ落ちたかのように、ソリューヴはずるずるとその場に沈み込んでいった。普段ならワンピースの裾が汚れるからと気にするはずだが、もはやその余裕は微塵もない。しばらくすると肩は揺れ始めて、嗚咽混じりの声が唇から漏れる。

「二人を……巻き込んで……しまっ……」

 二人との突然の遭遇以来、ユウが持つ【制配】の存在が、ソリューヴの意識に巻き付いて執拗に迫る。

 お前にはこれが必要だろう? ならば手段を選ぶな。たとえ運命が犠牲を選んでも全てを背負え。それが統べる者の責務ではないか。

 辿り着いた未来で開く窓の先には、眩しい太陽が昇るのか、それとも暗闇色の空が覆い被さるのか。ソリューヴには分からなかった。

「これで本当にいいの?……ねえ……教えてよ……」

 髪の毛をかきむしりながら、とぎれとぎれに呟き、迷い急ぐ脈拍は脳内で響く。

 縦長の窓から陽光が差し込んで、ぼんやりとした明るい場所を作っている。

 すぐに近寄れるはずのその場所は、まるで手の届かない遥か先にあるように思えた。

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