アルティスティアの将校
募集窓口は街の西側にある防衛師団事務所に設置されていた。
正方形の広場の一角にある事務所の窓枠には、立体的な樹葉の造形が施され、軍の本部というよりも文化施設のようである。
到着したユウが建物を眺めていると、視界の右端にシーレが映る。
今日も赤い双子たちは南風を受けて元気よく揺れていた。
隣の建物に寄りかかり、携帯用の小さな本を読んでいる彼女は、昨日と同じ赤系統の服を着ていた。だが軍の施設に行くには軽装に見える。
「シーレさん、いやシーレ、おはよう」
シーレは顔を上げ、勢い良く本を閉じた。
ユウの目に入った本の題名は【落ちる星の物語】。
彼女が子供の頃に好きだったという、子供向けの童話だ。
「おはよう、ユウ、お姉さんに対して……まぁ、いいわ、その方が気楽よね」
昨晩はお姉さんという登場の仕方だったが、食事のあとに年齢を尋ねると罵倒されながらも、一九歳だと教えてくれた。
生まれた年は同じで、彼女の方が五ヶ月早いだけなのである。
「軽装だけどいいの? 申し込みとはいえ、身なりぐらいは見られるんじゃない? 僕はあいにく、この服しか持っていないけどさ……」
シーレはレイピアの柄の握り、少しだけ引き抜いて「私はこの細剣で突く剣技なのよ。俊敏さで勝負する。だからこれが正装よ」
「そうか、それなら納得だ」
「昨日はよく見ていなかったけど、ユウの服は独特ね。住んでいる村の正装的な服?」
ユウは昨晩と同じ濃紺色の上下を着ていた。立ち襟のシャツは、両胸に蓋付きのポケットを備え、軍服とも違う独特の雰囲気を漂わせている。
同色のズボンも裾に向かってすぼまる形をしていた。外套は黒色で襟のない長丈。首都では殆ど見かけない類のものだ。
「ああ、これはね、村で僕の一族しか着ない服なんだ。この外套は羽織って呼ぶらしい。特殊な素材で作られていて、雨も弾くし風通しもいいんだ。こいつも隠せるし……」
ユウは両手で羽織を開き、腰に差した刀をシーレに見せた。
柄は黒を基本とした色調で所々に金の金具、鍔の形状は楕円形だ。黒色の珍しい木製の鞘に収められた刀は、両脇に一本ずつ、まるで護衛のように付き従っている。
「珍しい形状の剣ね。初めて見る」
シーレは興味深そうに刀剣を眺めている。
「小太刀っていうんだ。刃が片側にしかない特殊な形状で、ぶった切るというより、切り裂くという使い方をする。これも多分、僕の一族だけかも……」
ユウは左脇の小太刀の鍔に親指を置いて押し上げた。刀身は太陽の光を受けて鈍く光る。右手で柄を握り引き抜くと、刀身にはさざ波のような文様が微かに浮かんでいた。間近に見ようと近寄ったシーレの顔が刀身にぼんやりと浮かぶ。
「綺麗……鏡みたい。こんな剣、初めて見た。……あ、そろそろ行きましょうか。ユウ」
シーレは事務所の入り口に向かって歩き出した。
入口の両脇に聳え立つ警備兵は、周囲を威圧するような表情で、ユウは少したじろいだが、シーレはものともせずに話しかけた。
「フォグリオン山脈付近の生態調査団の募集窓口は、こちらだと聞いたのですが」
「ああ、そうだよ。中の受付で聞いてくれ。説明してくれるはずだ」
屈強な体躯の警備兵は滑舌よく答え、重たそうな扉を開いてくれた。
「ありがとうございます。ほら、ユウ、行くよ」
シーレに急かされて、ユウは慌てて彼女を追った。
建物の内部はユウの想像以上に広かった。質素な調度品と内装ではあったが、軍らしく統率が取れた配置が美しい。天井はアーチ状で奥行きがあり、やはり何かの施設を改装して使用しているようだった。正面に受付の長テーブルがあり、その後ろに事務方の兵士が座っている。
「こんにちは。例の……調査団の募集に応募したいのですが」
シーレはテーブルの真ん中に座っている男性兵士に声をかけた。
「ようこそ。二人とも応募でいいかな」
「はい、お願いします」
「それでは、こちらの用紙に記入を……各自、この一枚に記入してください」
「おいおい、お嬢さん方、まさか、調査団に応募する気なのか?」
突然にユウの後ろから、ねちっこい舌使いの声が聞こえてきた。
ユウが振り向くと防衛師団の兵士のようだが、体躯が人外にでかい。二メートルはあるだろうか。大剣を軽々と方手に持ち、岩肌のような顔相の男は、積み重ねた鍛錬を匂わす浅黒い肌が特徴的だった。三〇代ぐらいだが邪魔なのだろうか頭皮は綺麗に刈り取られている。
「そうですよ。別に規定の年齢も超えていますし、何も問題ないと思いますよ————」
シーレは軽い語尾を辺りに響かせて一瞥。だが再び前を向いて用紙の項目をさらさらと埋めていった。ひらたくいうと、にべもなく無視をした。
「はい、終わりです。こちらでいいですか?」
受付の兵士は用紙を受け取り「こちらで問題ありません。後日面接となります」
獣のような男の眼威は背後からシーレを執拗にうかがう。
ユウは何か嵐が訪れそうだと、げんなりした。
「おい、聞いているのか、そこの女。 お前じゃ、役に立たないと言っているのが分からないのか? 調査は子供の探検ごっことは違うんだよ」
男はシーレを苛立たせるような汚い言葉を荒々しく放った。周りの兵士たちの視線がシーレに集まる。シーレはその男に視線すら送らずに「さ、行きましょう」とユウの腕を取り、出口へと向かう。
男の見下ろす鋭い視線はシーレの服の表面をなぞったようで「その服の刺繍……ただの地方民族か。つまらん。さっさと帰りな」
赤髪が、ぴくんっと動き、シーレは男を睨みつけた。
ようやく反応したシーレに男は満足そうに口元を歪ませる。
「そう睨むなよ、赤髪のお嬢さん」
そう赤髪を知らないのね。それは残念、とユウにだけ聞こえるように呟くと、シーレは左脇の細剣に手をかけようとした。
「待って、シーレ」
ユウは音を立てない猫の足さばきで男との距離を消し去り、胸元に忍び込んだ。
熟年の踊り子を思わせる手の動きで左脇の小太刀を引き抜き、男の喉に突きつける。
逆手持ちの鋒が喉に触れて肉が沈んだが、かろうじて皮膚は切れていない。
「防衛師団は国民を侮辱することが仕事ですか? 故郷の山村の人々の方が、よっぽど行儀がいい。モノリス神に従う軍の礼節はその程度とは……」
ユウは強い視線で男を牽制しながら刀をゆっくりと喉元から離し、鞘に収めた。
「シーレ。行こう。もう用事は済んだからね」
今度はユウがシーレの腕を取り、男の横をすり抜けて出口に向かった。突然に掴まれたシーレは驚いた表情を見せて、手を引かれる子供のようにユウの後を追った。
「ふっ、ふざけるなっ! 一般人が!」
ユウの背後からうなる怒号が聞こえ、大剣を鞘から引き抜く金属音が響いた。
「はぁ……」
ユウはいかにも面倒くさそうな深い息をして、その場で反転しながらシーレを左腕で庇い、抜刀の姿勢を取った。
「そこまでだ」
雄弁な演説家を彷彿とさせる声が背後から聞こえ、敏感に反応したユウは動きを止めて振り向った。石畳に乾いた音を響かせながら、威厳に満ちた歴戦の戦士という出で立ちの男が、部下と共に姿を現わした。
「そこの男。お前はそれでも、国民への献身たる兵士か。いかなる理由があれ、一般の国民に剣を抜く行為は断じて認められない。恥を知れ!」
その場に居合わせた全ての兵士たちは競って立ち上がり、直立不動に姿勢を正した。枯れ草色の軍服を着た壮健な体躯の男は、どうやら軍の将校のようである。
「さらにだ」
再度の号砲に、兵士たちは総身を見事に震わせた。
「もとより調査団の派遣は、軍独自の判断ではない。エスタブリッシュ女王の指示により、第三王女ソリューヴ様が指揮をとっておられる。そして今回の任務は複数の視座が重要であるために、一般からも優秀な人材を募っている。それを……お前は女王の決定に従えないのか!」
「いえ、決して、その……も、申し訳ありません……ケレング元最高司令官殿」
緞帳は完全におりて終劇。男はあからさまに狼狽してその場に跪き、ケレングに深々と頭を下げた。
「さて……そこのお二人。この者が大変な無礼を働いたこと、深くお詫びしたい。本来はこの場で剣を抜いた以上、誰であれ罪を問われるが、事の顛末はこのケリレングが全て見届けている。不問にいたすゆえ気にするな。この兵士の不始末はこちらで対応する」
ケレングの背後に付き従う部下たちは、膝まずいて項垂れる、干からびた巨躯を本部の奥に連れて行こうとしたそのときであった。
「ねえ、ちょっと待ってよ……」
シーレは左足を後ろに下げ、体を捻りながら重心を落とす。右手で柄を掴むと、左足で地面を蹴り上げ、突風のごとき総身圧をレイピアに乗せて引き抜いた。
銀色に輝く剣身は光の粒子を撒き散らす勢いで唸りを上げ、針の剣尖は男の鼻先に触れる寸前でぴたりと静止する。周囲はしんとした静けさだけに満たされた。
「私を侮辱したこと、これで許してあげる……優しいでしょう。私」
シーレは背筋をぴんと伸ばし、綺麗な礼法で
鍔と鞘が手を叩き、甲高い音が終劇の締めくくりとなる。
男の顔は極冬の冷気に晒されて極白となり、もはや戦意など微塵も感じられなかった。
「赤髪にその細剣。もしやシードフィアカの出身か。君は」
ケレングの問いかけにシーレはにやりと口元を遊ばせた。
「はい。その通りです。最後の無礼、なにとぞご容赦ください」
「やはりそうか。赤髪の細剣使い、ディスクリーン家を知らないはずがなかろう。大丈夫だ。罪には問わない。十分に楽しませてもらったよっ。ははっ!」
ケレングはシーレのおふざけを豪快な笑いで吹き飛ばした。
「ありがとうございます。ケレングさん」
シーレは綺麗な動作で頭を下げた。
「さ、二人はそろそろ、行かれた方がいい。騒ぎが大きくなると面倒だしな」
寸劇の後、二人は小高い丘の上にある女王の居城アニアースに向かっていた。
「そういえば、シーレ。ケレングさんが言っていた『赤髪の細剣使い』ってシーレの家のことだよね。家は、薬草師をしてるんじゃなかったの?」
ぴんと綺麗な弧を描く二本の尻尾は雄弁に史実を語りだした。
「あぁ、あれはね、一〇〇年以上前のことなんだけど、スリード大陸で戦争が頻発していた頃、私の先祖様がアルティスティアの防衛師団の旗頭として、隣国ダストリアの侵略から国を守ったのよ。その時から女性剣士の家系。ただそれっきり軍には所属していないから、歴史を学んだ人しか知らないと思っていたけど、さすがに元最高司令官はご存知よね」
「そりゃ……強い訳だ。納得した」
石畳の坂道は平坦に移り変わり、ユウの視線は城壁を捉え始める。
アニアース城は巨大な円形広場の中心に位置し、台形の城壁の上に宮殿が配置されていた。正面となる南側には、式典に使われるゆるやかな階段が広場から宮殿へと続いていた。
大陸で根強く信仰されているモノリス神の総本山アニアース城は、天高く伸びる石塔を中心にかかえている。城に住まうエスタブリッシュ女王はモノリス神の最高神官であり、その一族、アルカーディナル家の女性たちも全員が神官だ。
「すごいな! 真下に来ると塔が倒れてくるように見える」
「恥ずかしいから大きな声を出さないでよ。周りを見なさいよ……もう」
シーレは眉をひそめてユウに抗議をする。
ユウが辺りを見渡すと、観光客らしき数多の人々が、広場に押し寄せていた。
ユウは言いたい文句も喉を通さずに、小さな声でもう一度、「あの宮殿の大きさも凄い……」と囁いてみたが今度は何も言われない。
「あっ!」
シーレは突然に叫ぶ。
自分だって大声だして恥ずかしいじゃないか、としょげた舌は勢いづくが、細剣の一閃が記憶に新しいユウは、唇を固く締めた。
「ちょっと!」
シーレはじと目をユウに向ける。
その視線に焦りを覚えるが、彼女の求めは深い森の濃霧に呑まれてしまって、輪郭線が見つからない。ユウは伺うように沈黙する。
「なによ、ユウ。聞いてないわよ。防衛師団での立ち回り。あんなに強いなんて」
良からぬ方向ではないようで、ユウは溜飲を下げた。
「なんだ……それか。傭兵業をしていたって言っただろ。二年前に亡くなった父さんから訓練を受けていたんだよ。父さんは山賊討伐や国境紛争に傭兵として参加していて、僕も十二歳から実戦。そう言えば、口癖のようにいつか役に立つ時がくるって言ってたなぁ……あ、でもさ、怒って逆上したシーレには到底叶わないと思うよ。さっきは凄かっ——」
金属たちが色めいてじゃれ合う音が聞こえ、ユウが出どこを探してみれば、シーレは細剣の柄に手をかけていた。
「何か言って? ユウ」
風に揺れていた赤髪は巻き上げられ、その色相はまさに灼熱の炎のごとく。
「いえ……何でもございません……」
ユウは汗ばんだ手掌をこれみよがしに見せつけて、清く祈るように両手を上げた。
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