艶やかな赤髪の到来


「お食事はいかがですか?」

 灰色の回想に落ち込んでいたユウは、突然の横槍に慌てて我に帰った。

「ええと……はい、美味しいです?」

 お相手は店員かと思い、その作法で返してみたが……。


 ユウの目に入ってきたのは赤いツインテール。空気に含まれる塩分でしんなりしそうなものだが、不思議と赤い両雄は弾力を失わない。あるべき場所にあるアーモンド型の瞳と歪みを知らない鼻梁。世の女性から見たらそれは羨ましい限りだろう。肌に乗った薄い化粧は、彼女の生来的な魅力を引き立てているようであった。

 彼女は赤色の軍服に似た上着と同色の細身のズボンを身に付けている。腰には深緑色の細い帯革が二重に巻かれ、左の腰には細剣が見て取れた。

 結論づけるとおそらくこの国の兵士か傭兵のようだ。


「あれ? 店員の方、ではないですよね……」

「そうよ。そりゃ……見れば、分かるわよね……」

 彼女は赤髪を揺らしながら、ごく自然にユウの向かいに座り、にやっと笑いかけた。

「さっきからね、一人で寂しそうに客船を眺めているから、お姉さんが食事に付き合ってあげようかなと。あ、店員さん! メニューくださいっ!」

 赤髪の女性はユウに断ることなく、堂々と席に座る権利を強奪した。

「ちょ、ちょっと、待ってくださいよ。僕、あなたと初対面ですよ。どうし————」

「————港は、出港する人とそれを見送る人、そして新しい出会いと別れ…… 私達が出会うことは、この場所にとってごく自然じゃない?」

 彼女は言葉の対比に合わせて顔を左右に揺らし、赤い尻尾も付き従う。

「だからこんにちは。私は、シーレ・ディスクリーン。まだこの街に来て間もないけど、国が募集する調査団に応募するために来たの」

「はあ……そうですか」

 話がとんとんと進み、いまさら追い出すこともできず、そもそもそんな高等な技術をユウは持ち合わせていなかった。経験のなさがいやらしくユウに笑う。

 

 店員がメニューを持ってくる。

 シーレはメニューをさっと軽快に開き、顔を隠すように眺めた。右手の中指に黒石の指輪が見える。微かに透明な黒になぜかユウは惹かれた。

「そうそう、この香草。あ、この料理と、あと……」

 シーレはいくつかの料理を勝手に注文した。

 ユウは一瞥もせず、もくもくと料理を口に運び、抵抗の意をさりげなく表した。

「あ、今、めんどくさい人に絡まれたと思ってるでしょう?」

 シーレはユウをじっと見つめた。案外と感が鋭いようだ。

「ちゃんと、人の気持ちがわかる人なんですね。良かったです」

 経験不足であるが、その場の乗りでユウはやり返した。

「あら、ちゃんと話せるじゃない。女性への免疫がないかと思ったのに」

「得意ではないですよ。五日前に西の山村からアルティスティアに来たばかりの田舎者です」

「やっぱり。街の人ではないと思っていた」

 確かにそうですけど、とユウは思いつつ、嫌味は含まれていないようだ。

「なによ。……私の顔に何かついていて?」

「いえ、そんなことはないですよ。よく動く顔だなって思っただけです」

「そこは表情豊かと言いなさいよ! その言葉で減点よ……ま、いいけど。ところで、その香草、アルティスティアの西の山林で取れるものでしょう?」

 シーレは貝殻に絡みつく香草を指先で突くような仕草を見せた。

「そうです、僕が住む山村の周辺で良く採れます。でも、よく分かりましたね」

 シーレは小さく鼻を鳴らす勢いで解説を始めた。

「私は東の国境に近いシードフィアカから来たの。近くの海岸には沢山の薬草が生育していて町の産業になっているわ。父の家系は薬草師として生業を立てているから、その影響で知識が——」

 お待たせしました、と店員が料理を運んできた。

 細長い枝のような香草といかつい顔の魚を蒸した料理だ。今度は円形状の銀食器に盛られていた。

「えっと……あ、そう、親の影響で知識を自然とね。また、香草は薬草でもあるの。私が注文した料理に使われている香草は、体力を回復させる効果がある。ちなみに、そのミル貝と仲良くしている香草は心を落ち着かせる効果がある」

「その通りです。それだけの知識がありながら、なぜ調査団に応募するのですか?」

 シーレは真剣な表情で両腕を組み、輝く視線をユウに向けた。

「それはね、防衛師団の特別任務が魅力的だから。フォグリオン山脈付近の生態調査の仕事。禁忌の山脈には入れないけど、周辺に行けるだけでも貴重な機会よ。きっと今までにない体験ができると思う。私はこの世界の隅々まで見て回ることが、私の夢」

 シーレの口から出た禁忌という冠が付く山脈にユウの心は揺れ動いた。母が告げた一族の役目は、その山脈から吹く南風に深く根ざしている。

「そうですか……合格するといいですね」

 ありきたりな言葉で揺れる心を覆い隠し、ユウは平静さを保ちながら笑みを浮かべた。

「ありがとう。それで君は、あ、そう言えば名前聞いてなかった……」

「僕はユウ・スリークといいます」

「どうしてアルティスティアに来たの? 何かの行商とか?」

「故郷の村では農業と時々の傭兵業ですが……実は、突然に母から言われたんです。とにかくアルティスティアに行けと」

「目的は?」

 なんなのよそれ? と言いたげな表情でテーブル越しにもユウに迫る。

「……それは」

「……いいのよ。別に言わなくても。言いたくないことも、あるわ」

 姿勢を元に戻したシーレは、答えにくいと察したのか、さっと自分で言葉を繋いでみせた。決して嫌味ではなく、からっとした気遣いにユウの心は自然と柔らかくなり、そして自身の夢を惜しげなく語る彼女に人の良さと信頼感を覚えた。

「いえ。突拍子もない話ですが、この国の女王に会えと言われたんです。ですが、あてもなく、ただ日々を過ごしているだけで、見通しは暗いですね。あ、あと、これが導くと……母は言っていましたが……」


 ユウは周りを気にしながら服の袖をめくった。

「これは腕に巻く時計、【制配】と言って、僕の家に代々伝わるものです。この数字が水時計と同じ時間を示していて、携帯用の小型時計みたいなものです」

「なにこれ、すごい……この小さな箱に時間を測る機械がある訳だよね。やっぱりこの世界には、私が知らないことが無数にある」

 好奇心を帯びた彼女の目の輝きは煌々とした水面のようだった。

「僕にも詳しくは分かりませんが、ずっと一族に伝わっているもので、だいぶ古いと思います」

「何だか子供の頃に読んだ昔話の世界で作られた物みたい。【人に似た生き物】や【空飛ぶ船】。わたし、あの子供の童話【落ちる星の物語】をよく呼んでもらっていたの」

 シーレは懐かしそうに目を細めて【制配】を見つめていたが、徐々に本来のきりっとした表情に戻っていった。

「ねえ、ユウ。わたし思うんだけど、【制配】は誰にも見せない方がいい。そんな気がするの」

「……はい、母からもそう言われています。」

「そうなの? なら、どうして私には見せてくれたの?」

 きょとんとした表情で目をぱちくりさせ、シーレは不思議そうにユウを見つめている。

「それは……話してみてシーレさんなら、大丈夫だと思ったんです。理由を問われても、上手く答えられないのですが……」

 シーレはうつむきながら頬を赤くさせ、かすかに聞こえる声で、そっかぁ、と、呟いた。

 レストランの洋燈は嬉しそうな赤髪の艶にいっそうの潤いを与えていた。

「ねえ……」

 シーレは顔を上げて爛爛とした瞳でユウに問いかけた。

「ユウも……私と一緒に調査団の募集、応募してみない?」

「調査団ですか……軍ですよね……」

「指揮を執るのが軍属の人というだけで、調査団員は軍属にはならないの。調査は数ヶ月ぐらいの短期のものよ。それに第三王女が指揮を取るから、女王に謁見する機会があるはず。どうかな……普通に考えて女王に会える機会なんて、そうそうないと思うし……」

 ユウは袖の上から【制配】を握りしめた。これが導きなら従うべきなのだろうか。確かに調査団に参加すれば、女王に会う機会はありそうだ。

「それに……暇でしょう?……」

 シーレは赤みのある頬でいたずらっぽい一言を付け加えた。女性から誘った照れ隠しだと思うと、ユウはふっと気が抜けて少しだけ嬉しくなった。

 この誘いに乗ってみるのも悪くない、そう感じた。

「わかりました。特にやることも決まってないですし……僕も受けてみようと思います」

 決まりねっ! 明日、一緒に申し込みに行きましょう。きっと……楽しいこともある」

 シーレはにんまりとして、白い歯を輝かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る