二 放棄された街道



 平原の真ん中を一直線に貫く街道は、ほんの少し前まで商人や旅人の往来が盛んな場所だった。所々に小さな宿駅しゅくえきがあって、ふかふかの寝台で疲れた体を休めたり、急ぐ旅なら馬を替えたり、郷土料理を楽しんだり、ちょっとした土産物を買うことだってできた。


 しかしリード達が歩くそこは今、見渡す限り人っ子一人見当たらない。それどころか野生の獣までうろついている。


 この街道の終着点は邪竜ファゲルの棲まうアル湖のほとり。つまり六年前の「災厄」の時は、巨大な竜が周辺の国々を溶かし焼き払いながら迫ってきていたことになる。みな故郷を捨てて逃げたのだ。


「川まで降りなくても井戸があるのは有難いなあ。廃墟に泊まるのってちょっと楽しいしね」

「楽しいなどと、この光景を見てよくもそんなことが言えるな……家具の大半が残されたままだ。馬車に荷物を積んで引っ越しをする余裕さえなかったのだろう。家族を失った者もいるかもしれない」

「『だろう』とか『かもしれない』でいちいち悲しくなってて疲れないかい、リード君?」

「大切に使わせてもらおう……何だ?」

「おや、どうしたのかな」


 リードが胸に手を当てて女神に祈ろうとしたその時、外に繋いだ馬達が警戒のいななきを上げたのを聞いて、二人は殆ど同時に身を翻して割れた窓から飛び出した。


「――平原狼だ。下がっていろ」

「なんで? 僕、戦えるって言ったよね?」


 馬達を狙った金色の狼達が、ぐるりと彼らの周囲を取り囲んでいた。飛び出してきた人間を見て、唸りながら身を低くする。


「数が多いな……十二頭か」

「いや、一頭だよ一頭」


 どうしたら馬を傷つけられる隙を作らずに追い払えるか考えていたリードの横を、すらりと魔剣を抜きながらユーンが通り過ぎる。鞘も黒いし柄に嵌め込まれた宝玉まで黒いその剣は、剣身まで真っ黒だった。金属にしてはおかしな色だ。何らかの魔術が通っているのだろうか。


「ク・レン=ナダ」


 軽い口調で呪文が唱えられ、それと同時にユーンが目にも留まらぬ速さで飛び出した。振り抜いた剣に黒い煙のようなものが纏わりついたのが一瞬見える。銀の瞳がにやりと笑い――


 首と胴体をすぱりと分断された平原狼の一匹が、不自然に、ぶれて見えた。おかしな視界のぶれが次第に大きくなって、そして次の瞬間、無数の肉片と血飛沫が爆発するように周囲に飛び散る。ぼとぼとと草の上に赤く濡れた肉が落下する音。広がる鉄の臭い。狼の群れが一斉に身を翻して平原の方へ逃げてゆく。リードは剣を納め、悲鳴のような声でいななき足踏みする馬達の首を叩いてやった。


「大丈夫、大丈夫だ。落ち着け」

「ほらね、群れている生き物はこうして一匹見せしめにすれば大体解決するんだ。狼みたいに知能が高ければ特にね」

「お前は……なんということを」


 なきがらと呼ぶには原型のなさすぎるそれの傍らに膝をつき、リードは胸に手を当てて女神に黙祷を捧げた。後で埋めてやらねば、とため息をついていると、黒き魔剣使いは不可解そうな目をして言った。


「助けてやったのに、ひどい態度だな……」

「彼らは群れの家族が飢えぬよう、獲物を狩りにきた野生の獣だ。罪なきものに対するこの残虐な仕打ち、自責の念を覚えないのか?」

「いや、一匹で済ませてやってるんだから優しい方でしょ」

「こんな、死に顔すらもわからぬような……それを嗤いながら」


 剣を振るうあの瞬間、まるで喜んでいるかのように笑んだ瞳は悪魔のようだった。やはりこの男はどこかおかしい。リードはそう確信して、鼻歌を歌いながら馬を厩へ連れて行こうとしているユーンの背を見つめた。べったり返り血を浴びた彼を馬達は怖がっていたが、魔剣士は――あの戦い方を見た後に、とても彼を自称の通りの学者肌な魔術師だとは思えなかった――ニコニコしながら彼の愛馬シュアンに「僕、格好良かったろう?」などと話しかけている。


「あ、リード!」


 と、肩越しに振り返ってユーンが笑みを向けてくる。銀の瞳は前髪で見えないが、口元は上機嫌だ。リードに散々文句を言われたばかりだというのに。


「何だ」

「今日はこの宿屋に泊まるなら、夜営の準備はいらないだろう? なら君の魔剣の性能を試させてよ。どんな魔術も弾くんだろう? すごく興味あるなあ!」

「魔剣ではない、聖剣だ」

「はは、それを本気で言ってるのが面白いよね。そんなお綺麗なものじゃないよ、力ある武器っていうのは。そのシルレインだって、神話という名の虚偽で塗り固められてるだけさ。その性能が本当に君の話通りなら僕のレナダルよりもよっぽど――」

「黙れ、俺の神を冒涜するな」


 強く睨めば、ユーンは「愚かを通り越していっそ純粋だな」とけらけら口元だけで笑った。長い黒髪がゆらゆら揺れる様は亡霊のようだ。ろくに前も見えないに違いないし、奴は前髪を切った方がいい。




 壊れかけの倉庫で見つけたスコップで狼の遺骸を埋め終わり、厩の柵や壁に獣の入り込める隙間がないか点検して、荷物を置いた宿屋に戻る。中は分厚く埃が積もっていたが、それでも天幕で眠るよりはずっと安心できる。一晩のことだ、暖炉付近と寝台だけ軽く掃除すれば……と考えていると、血塗れの服を着替えたらしいユーンが髪からポタポタと透明な雫を滴らせながらやってきた。


「風呂が使えたのか?」

「お風呂っていうか、桶に湯を汲んで流すだけって感じだけどね。暖炉でお湯が沸かせたから」

「それは有難いな……」

「後で寝室も掃除してあげるよ。僕も寝台で眠りたいし」

「ん?」


 首を傾げると、すいと談話室の扉を顎で示された。室内を覗いたリードは目を丸くした。廊下は全てが灰色に見えるくらい埃と蜘蛛の巣まみれなのに、中はピカピカとまではゆかないまでも、息苦しくない程度に掃除されている。


「……この部屋全部掃除して、湯を沸かして風呂まで済ませたのか?」

「風でパパッとね。見たいかい?」


 僕は有能な魔術師だからね、と腰の魔剣をガチャガチャ言わせながら階段を上ってゆくユーンの後に続く。客室らしい扉は施錠されていたが、鍵を探しにゆく間も無く自称魔術師が乱暴に蹴り開けた。分厚い木製の扉に亀裂が入り、蝶番の外れた扉がバタンと倒れると、もうもうと凄まじい埃が立ち込めて二人とも咳が止まらなくなる。


「おい、もう少し丁寧に……」

「鍵開けの呪文ってね、簡単そうに見えて案外複雑なんだよ。錠の内部構造を探るところから始めなきゃいけないし、この方が早いでしょう」

「呪文を知った上で扉を破壊したのか」

「いいから窓開けてよ、窓」


 どうにもきちんと会話が成り立たないならず者に苛立ちながら、リードは埃の舞う室内に踏み込んで窓を開けた。ここはまだガラスが嵌まっている。


「じゃ、よく見ててね」

「え、おい」


 声に振り返ると、ユーンがこちらに向かって手のひらを突き出したところだった。


「ク・セーア=ヴァーン」


 古代語の呪文と同時に吹き付ける突風と埃。顔の前に腕をかざしたが、立っていられないほどの強風が部屋中を吹き荒れ、その全てが開いた窓へ急速に流れ込んだ。吹き飛ばされそうになったリードは床に伏せた。ごうごうと風の音に混じって、バタンバタンガチャンと両開きになった窓が外壁にぶつかる音がする。どうにか状況を確かめようと顔を上げかけると、飛んできた水差しが目前に迫っていて慌てて避ける。


 風がおさまるまで時間にすれば十数秒だったのだろうが、リードにはその十倍長く感じられた。魔獣でも暴れたのかというような有様になった部屋と割れた窓、全身埃まみれになったリード。どうやら下の階の調度品が荒らされていたのも盗人の類だけではなく、むしろ大半は奴の魔術によるものだったようだ。


「お前……いや、お前」


 が、文句を言ってやろうとユーンを見上げたリードは、一転して息を吹き出し笑い始めた。洗い立ての濡れた髪に満遍なく埃が張り付いて、ユーンの頭が真っ白になっていたのだ。


「先に風呂、使っていいぞ……っ!」

「……いや、その前に君の『魔剣』で手合わせしてよ。君も砂まみれにしてあげるからさ」


 笑われて薄い唇を引き結んだ魔剣士が、汚れた髪をかき上げながら脅すように低い声で言った。この怪しい男が不機嫌そうにしているのを初めて見たが、彼の持つ奇妙な空恐ろしさのようなものは薄れた気がして、リードはもう一度笑い声を上げた。





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