そしてそれぞれの道へ

★Step42 彼氏の決意とちょっぴりの挫折

「これは、ちょっとなぁ…」


夏子が、シートを剥がしながら、そう言いました。牧草を発酵させて乳酸菌を増殖させた、牛の餌なのですが、嫌気性細菌で発酵してる関係で、独特の、酸っぱいにおいがしまし。


「え~~だめぇ?あたしは好きだけどなぁ、このにおい…」


リンダは慣れの性もあるのでしょうか、良い発酵具合である事をちゃんと感じていました。


「牛の健康を考えたら、必要な栄養素が含まれてるんだ。四の五の言わずに、とつとと運ぶ」


田中もリンダと同じ感想でした。本当に人が変わってしまった様でした。彼は学校卒業後、法律の勉強をして弁護士を目指すと言う希望だったのですが、それが揺らぎつつある様で、農業大学に進学して、有機農業の発展を目指そうかと言う事を考え始めていたのです。


♪♪♪


その日の夜、リンダは田中を誘って星を見に、外に出ました。夜空いっぱいに広がるミルキィウェイは煌めく霧の様に夜空を横切っています。


「リンダ…さん…」


田中は、思いがけないツーショットにちょっと緊張していました。


「ん、なに?」


リンダか、牧場の気の柵にもたれかかって、横にいる田中に視線を移しながら優しい微笑みを湛えて田中を見詰めました。


「あの、もし、もしですよ…」


緊張する田中は、そこまで言ってリンダからひ船を外すと自分の手に『人』と言う文字を書いて飲み込む真似をして見せました。


「何してるの、田中…」

「いや、な、何でも有りません、」


田中は、ぱっと直立不動の姿勢を取ると、星を見上げながら、ひっくり返りそうな声で、高言いました。


「あの、あの、も、もしも、学校卒業して…ちゃんと、勉強して、この星で…」

「あのさ、田中…」


リンダは田中の言葉を遮って田中に向かってこう言いました。


「ここ最近、凄く頑張ってるけど…それは嬉しいわ、農業に興味を持ってくれている事も分るし…でもさ…」


田中は直立不動のままリンダを見詰めてこう呟き来ました。


「でも、なん、ですか?」


リンダは、星の空から視線を落してゆっくりと田中の顔を見詰めます。


「一時の衝動で、決めちゃいけないと思うの」

「――一時…の、衝動…ですか?」


リンダは田中の返事に大きく頷いてから、ゆっくりした口調でこう言った。


「農業って、自然が相手でしょ。ここ最近は良いけど、はっきり言って、辛い事の方が多いのよ。力仕事だし、汚れ仕事だし、その割に報酬が高いかって言われたら、そんなでもないし」


田中はリンダを無言で見詰めた。


「今年は麦も豊作だし牛達も病気してないし、でも、何年か前には、大雨・低温で麦はほぼ全滅で、挙句に牛が病気になったりで、殆ど収入がなかったりした事も有ったのよ。もう、泣くに泣けなかったわ、あの時は…」


そう、寂しそうに語るリンダの事を見て、田中は逆に燃えあがります。


「そんな、そんな時でも、何とかなる様に、学校で勉強して、どんな環境にも負けない…」


リンダはそこまで聞いてにっこりと微笑みました。


「それじゃぁ、今の地球と変わらないと思わない?」


田中は自分の目から鱗が外れた様な気がしました。


「――そ、そうですよね…」


「成功したり失敗したり、そこが農業の醍醐味、自然の方を変えるんじゃなくて、自然と一緒に生きるの」


「折り合いをつけるって言う事ですか?」


リンダは大きく頷きました。


「リンダ…さん…」

「ん?」

「俺、益々やって見たくなりました。大学卒業したら、ここに来ます。その時、今見たく出迎えてくれますか?」

「もし、気持ちが変わらなかったら来て。歓迎するわ。ミルおじさんもメイおばさんも私も…」


その言葉は、田中に本気の日をつけました。いつか必ず、この場所に戻ってこよう、そんな決意が見える表情でした。リンダも、ひょっとしたら、彼はここに戻って来るのではないかと、少し期待しました。


♪♪♪


初夏の朝は、お日様も元気です。風さわやかで小鳥が囀り飛び回ります。リンダは、母屋の前で、見た事の無い踊りを踊る鈴木の姿を見てこう尋ねました。


「鈴木、何やってるの?」


リンダは、鈴木の行動の意味が理解出来ずに、暫くじっと眺めてから後ろで腕を組んで、ゆっくりと近づいて行きます。鈴木は自分の体を、う~んと後ろに反らせながら


「こ、これはですね、リンダさん。ラジオ体操と言う日本の伝統のですよ」


リンダは鈴木の動きを、何となく真似て見せます。


「ラジオ…体操?」

「はい、特に夏休みの早朝、近所の子供達を集めて行われる伝統行事ですよ」


リンダは、あんまり良く分らなくて、ふうんと鼻で返事をして横目で鈴木を見ながらその動きを真似てみた。


「はい深呼吸!」


腕を大きく開いて、す~は~す~は~と深呼吸。


「以上です」

「どうもありがとうございました」


二人は向かい合ってぺこぺこと頭を下げ有いました。


「何やってんだ、二人で?」


歯ブラシを咥えた南が、ちょっと怪訝そうな表情で、外の水道に向かって歩いて行きました。南は、朝、天気が良い日は外で歯磨き洗顔をする様に成りました。外に出る癖が出来たのは、良い傾向だとリンダは思いました。


「さて、じゃあ私も、顔洗って参りますので」


鈴木はしゅたっと右手を上げると、母屋の方に向かって軽快に姿を消して行きました。なんだか見ていて元気が出ます。リンダもちょっと真似をして軽く走りながら、道具置き場に向かって駆け足で進みました。


♪♪♪


「ふぬ!」


鈴木はフォークにでかい麦藁の束を差しこんで、一気にトレーラーに積み込もうと力を込めます。それを見ていたリンダも思わず力が入ります。鈴木の顔が、みるみる赤くなって、米神に血管が浮いて来るのが分ります。


「す、すずきぃ、そんなに無理すると、腰に来るよ」


と、言うリンダの注意も聞かずに鈴木は麦藁束を力だけで、トレーラーの荷台に放り投げました。 横で見ていた佐藤と田中が揃って拍手を送ります。鈴木はガッツポーズで皆に応えます。


「どうだ、この位の物なら、人間ねじ伏せられるもんだぞ」


そう言って、妙に嬉しそうです。


「鈴木は筋肉鍛えるのが趣味みたいな物だからなぁ」


佐藤がそう言うと、鈴木は自分の右腕の力瘤を誇示して見せます。


「どうです、リンダさん。やっぱり、男は、パワーでしょう。見て下さい、この鍛えられた筋肉」


ボディビルダー宜しく自分の肉体美を誇示して見せる鈴木に、リンダは少し引きぎみだった。


「う、うん、まぁ、男の子は、逞しい方が良いかなぁ…なんて思ったりして…え~」


リンダの返事は酷く歯切れが悪い物でした。要するに鈴木って、ナルシスとなんだ。自分で自分が可愛くて仕方ないんだ。そう思った訳ですが、その通りです。鈴木は自分が大好きでした。


「よ~~し、じゃぁ次、行くぞ!」


そう言って鈴木は再び更にでっかい麦藁束にフォークを差しこんで、それを持ち上げようと、血管切れそうになる位、力を込めます。要するに、彼は、自分の体を鍛えていた訳なのでした。道理で、率先して力仕事をすると思ったら、そう言う裏が有ったのです。


でも、リンダにとっては有りがたいと言えば有りがたいのですが。無理して怪我でもしたら洒落にならないので、リンダは一応釘をさします。


「でも、無理はしないでね。怪我しちゃうから」


リンダは明るくそう注意したつもりだったのですが、鈴木は逆に燃えあがります。


「大丈夫ですリンダさん。この鈴木、絶対怪我などする事は御座いません。この鍛え抜いた体を駆使して、皆様のお役に立てる様に、これからも只管ひたすら努力する所存でございます。思い起こせば、初めてであったあの日、運命と言っても用あの時の、リンダさんとの出会い、女神の微笑み、聖母の様なやさしさ、それに…」


身振り手振りを交えて喋りまくる鈴木の一人舞台はまだまだ続きそうだったので、リンダは、お仕事を再開する事にしました。

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