★Step41 Kiss Me
部屋のカーテンを開けて、窓も開け放ち、空気を入れ替えながら、南の様子を夏子は見ていました。おでこには冷水で濡らしたタオルを当てて、たまに頬に手を当てながら。夏子は思いました、母の掌の感触を。子供の頃、熱を出したり、お腹が痛くなったりした時に優しく触れてくれる母の掌。随分と掬われた気がしました。母が横にいるだけで安心出来たなと。
「なぁ夏子…」
南がふいに目を開いて天井に目をやり夏子にこう尋ねました。
「人の手…ってどうしてこんなに安心出来るんだろうな」
どうやら南も夏子と同じ様な事を考えていた様です。それが少し嬉しくて、夏子はちょっと考え込みました。
「生まれてから、一番最初に触れる物が『手』だからじゃ無い?」
「――どう言う事だ?」
「ん、だって、赤ちゃんが生まれて、一番最初にする事は、お母さんのだっこじゃない?だから、それが刷り込まれてて、人の手って言うのは安心出来る物だって。それに色々有るじゃない、手に関する格言やら諺やら」
「たとえば?」
「そうね、手を貸す、手を差し伸べる、手を洗う、手を染める…ん~それから…」
夏子は空中に視線を泳がせながら思案をしました…
「手に手を取って…」
南がそう呟いてから、夏子に向かって視線を移します。夏子はちょっとその視線にドキリとしました。
「それで、どうするの…」
南がゆっくりと上半身をベッドの上に起こします。そして、夏子の肩を引きよせて、彼女の唇の自分の唇を重ねました。暖かくて柔らかな、それでいて、なにか掴みどころがなくて。涙が溢れそうになります。このまま全てが上手く行けば良いのにと、夏子は、心の底から思いました。
そして二人は見詰め会います。
「もう、駄目だよ」
夏子はそう言って南を再びベッドに寝かせます。そして南の額と自分の額に手を当てて熱を測りましたが、今は、夏子の体温の方が高く感じられたのは、錯覚では有りませんでした。
♪♪♪
南の部屋のドアがノックされました。そして扉が少し開かれて、ひょこんと顔を出したのはリンダでした。
「どう、南、熱下がった?」
夏子は再び南の額に手を当ててリンダに向かって、こう答えました。
「そうねぇ、さっき計ったら平熱だったけど、明日も一日お休みね」
「――莫迦、もう大丈夫だ」
南がそう反論しましたが、夏子はそれを許しませんでした。
「ダメ、明日も一日寝てる。仕事は明後日から。普段からだ動かさないからよ。ホント、子供みたいなんだから」
そう言う夏子の口調は、何故か嬉しそうでも有りました。そして南は、何かぶつぶつ言っていましたが、夏子の一睨みで上目遣いに拗ねた様子を見せながら、黙りこんでしまいました。
「ほらね、子供でしょ?」
夏子は嬉しそうに言いました。その口調に何となく遠慮が無くなっている事に、リンダが気付く事は有りませんでした。
♪♪♪
南の熱も下がり、それぞれが通常業務に戻りました。都会から来た少年少女達は、毎朝の牛の世話や、麦の刈り取り、野菜の収穫等を経験して、機械や合成食材に頼りきりの生活から脱却して、若者本来の健全さに戻って行きました。麦畑の真ん中に額の汗を拭いながら立ち尽くす田中は、ぽつんと一言呟きました。
「暮らせる…よな…」
その様子を見ていたリンダが、彼に駆け寄って来て「どうしたの」と尋ねました。
「あ、いえ、何でも無いですよ。今日も暑いなぁって思って」
「ん~そうだね、暑いけど気持ち良いよね」
「はい、気持ち良いです」
田中の目にはリンダの姿が煌めいて見えた。農場で働く彼女の姿はこの上も無く魅力的に見えました。
「さ、もう少し、頑張ろう」
リンダはそう言って煌めく笑顔を残して田中の前から去って行きました。その姿が、脳裏に鮮明に焼き付いた。トウモロコシの様な薄め。彼女にぴったりの表現だと思いました。
♪♪♪
陽が落ちて、夕食も済んで、以降は自由時間なのですが、田中はノートと筆記用具を持ってミルおじさんと食堂で何事かを話し合っていました。
「なんか、あいつ、スイッチはいっちゃったんじゃぁ無いのかい?」
ミルおじさんから熱心に農業についてのレクチャーを受ける田中の瞳には、本気の気迫が見られました。三人組が、この星に訪れたのは、地球で有ったリンダの事が忘れられずに、もう一度会いたい一心でここまで来たのです。農業体験は二の次で、リンダの顔を見る、ここにこの研修の目的が有りました。 そして目標は達成されて毎日楽しくリンダと暮らしている訳ですが生活するなら地球だねと言う意識に変わりは有りませんでした。
しかし、田中は、その目的が変わって来ているらしく、つまり農業そのものにも目覚めてしまった訳でした。
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