向こうのあいつは男の娘

沢菜千野

いや、でもお前男じゃん

「お前の見た目が可愛すぎる」


 青白い光が消えていき、視界の隅に木彫りのクマの置物が映る。

 すっかりおなじみになったこの部屋は、異世界とされているこっちの世界での活動拠点だ。

 ちゃちゃっと着替えをすませ、家から出た。

 空を見上げると、郵便屋のドラゴンが行き交っている。


「そんなこと言われてもなあ。なんでだろね」


 地上付近へ下りてきた一体のドラゴンが通過し、少しして突風が吹き抜けた。

 髪を手櫛で整え微笑むそいつは、まるで湖のほとりに咲く一輪の花のように、この世界の雄大な自然に溶け込んでいた。




 それは、ある晴れた夏の日のことだった。

 夏休みの補習授業の帰り道、翌日の暗唱テストに備え俺たちはひたすらに「それ」を繰り返していた。


「里見、お前もう完璧じゃん」

「そりゃあ、そもそも僕は補修の対象じゃないからね」

「じゃあなんでいるんだよ」

「一人でいると暇なんだよ」


 わけわからん、と前を向くと、そこはもう知らない世界だった。

 ケモ耳の少年が郵便を運び、ゴツイ装備を着込んだ女性たちが、謎の生物を背負って通り過ぎていく。

 道にコンクリートなんてものはなく、後ずさった拍子に砂利を踏みしめる音がした。


「まじでわけがわからん……」

「ここ、どこなんだろ」


 俺のつぶやきに誰かの返事があった。

 振り向くと、そこにいたのは美少女だった。

 俺を見上げるくりっとした茶色の瞳。背中で風に揺れている明るい茶髪。


「あ、あなたもま迷子、ですか?」

「えっ?」


 彼女はほっそりとした指先をとんとんとしている。その度に、胸元でくるんと巻いた毛先が揺れている。ただ、胸はない。


「どうしたの。なにその喋り方」


 可愛らしい声をしているが、言葉はえらく挑戦的だ。

 このような女の子とまともに話したことはないのだ。多少どもるくらい許してほしい。

 少女の服装が露出の少ないタイプで、まだ助かった。


「え、えっと。気が付いたら知らない場所にいて、隣にいたのがあなたみないな感じでして?」

「だからなんで敬語?」


 そう言って、彼女は首を傾げる。動作もいちいち可愛らしいな。

 謎の場所に謎の女の子。身の安全なんてかけらもないこんな状況で、そんなことばかり考えてしまう自分に、我ながらあきれてしまう。


「……ああ。多賀はこの姿見るの初めてか。僕だよ。里見」

「ん?」


 今なんて言ったか。

 すごく聞き慣れた名前が聞こえたような。


「なんか僕さ、いつの間にかこの世界と行き来できるようになっててさ。気付いたら転移してるんだ。困るよね」

「お前、本当に里見なのか?」

「そだよ? とりあえず、僕の家へ移動しよ。道の真ん中にいたら邪魔になっちゃうしね」


 道中、隣の少女は里見しか知らない情報を話してくれた。

 個人情報、俺との思い出、この街、この世界のこと。


「それと、僕は女の子じゃない」

「えっ? いや、めっちゃ可愛いやん」


 聞き間違いだろうか。思わず関西弁も飛び出してしまう。

 これがどうして女の子じゃないというのだろうか。いや、そんなはずはない。


「こんな見た目だけど、女の子になったわけではないんだよ」

「さすがに信じられない」

「は、恥ずかしいけどこれを見せるしかないのかな」


 そう言うと里見は、ズボンのベルトを外した。

 それからゆっくりとズボンを下ろし始め、きれいな肌が――


「って、待て待て!」


 慌ててその行為を俺は止める。里見が言いたいこと、やりたいことはわかったが、その見た目でそれはまずい。

 女の子だとしたら犯罪になってしまうし、男だとしても俺はそれを見たいとは思わない。


「わかったから、ズボンをはいてくれ」

「いいの? 信じてくれた? 女じゃないからね?」

「そういうことにしとくよ」

「それ、絶対信じてないじゃん」



 それからの日々は、まさに目が回るようだった。

 里見の家には、現実と行き来できる転移魔方陣があり、現実では補習、異世界ではクエストと多忙を極めた。

 しかし、どちらの世界にいるときも、もう片方の世界での時間は進んでいないため、高校生が突如失踪、ということにはならなかった。


 初めて俺が雑草狩りのクエストを攻略したとき、あいつは自分のことのように喜んでくれた。草を刈っただけだからやめろといっても、仲間を呼んでパーティーまで開きやがった。正直嬉しかった。

 モンスターの討伐依頼も、危なげながらなんとか一緒にクリアした。可愛かった。

 補習のまとめテストの勉強も、わかりやすく教えてくれた。……かっこよかった。

 ポーション調合依頼のクエストを受けたとき、現実世界から薬草を持ち込んで達成したこともあった。一緒になって悪だくみをするあいつは、それはもう楽しそうだった。俺も思わず笑みがこぼれた。



 現実世界の高校生、里見はれっきとした男だ。

 だが、最近はどうしたものか、異世界での姿がちらつくようになってきた。

 おかしいな。

 もしかしたら、俺はあっちの世界の里見に惚れているのかもしれない。

 とはいえ、それは見た目にだ。


 ああ、見た目に。


 可愛いは正義だが、罪である。俺はそう思う。


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向こうのあいつは男の娘 沢菜千野 @nozawana_C15

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