宮本武蔵の呪い

碓氷果実

宮本武蔵の呪い

「二刀流って、なんかあんまりいいイメージじゃないんだよね」

 出張先の飲み屋で知り合ったNさんは、出し抜けにそんなことを言った。

 Nさんに向かって僕が言ったのは、「怖い話、知りませんか?」だった。その答えとしてはあまりにズレているように思う。だけど経験上、こういう出し抜けな話が奇妙に転がって怖い話になることは少なくないので、黙って聞いてみることにした。

「武蔵塚ってあるでしょ」

 さも当然のように言われたが、知らなかった。「なんですか?」と問うと、僕がよそ者だと思い出したのかNさんは小さく肩をすくめる。

「宮本武蔵の墓がね、ここから車で二十分くらいかな。そこにあるんですよ。公園みたいになってて、武蔵の像とかもあるんだけど、子供のころそれが怖くって」

 そう言うとNさんはスマホをいじって画面を差し出した。そこには緑青ろくしょう化した宮本武蔵のブロンズ像が映されている。両手に一本ずつ刀を手にしたその姿は、天気の良い昼間の写真ということもあり、特に怖い印象ではない。

 今回の話はハズレかもしれないな。そう思いながらスマホを返すと「別に怖くないと思うでしょ?」とNさんが意地悪げに笑う。顔に出ていたらしい。

「いや、こういう像って子供のときは無性に怖いものじゃないですか。僕も覚えがありますよ」

 と慌てて取りつくろったが、Nさんは「いいよいいよ」と鷹揚おうように手を振る。

「この像自体は確かに怖くないんだよ。私も本当に小さいときは別に怖いと思ってなかったし。でも、が怖くてさ」

 ――宮本武蔵の、呪い?

 ずいぶん違和感のある組み合わせだと思った。歴史に詳しい方ではないが、武蔵に呪いや祟りのイメージはない。むしろ、祟るなら巌流島で破れた佐々木小次郎の方ではないのか。

「小さい頃、うちに祖母が同居しててね。よくその武蔵塚の公園に散歩に連れてかれてたんだけど、そのときに祖母がいつも言うのよ」


 ほらNちゃん、見てごらん。この像には宮本武蔵さんの怨念が宿ってるんだ。だから、見ると呪われちゃうんだよ。


「……って」

「……それって、矛盾してませんか?」

 見ると呪われるのに、それを見てごらんというのは変じゃないか。

 僕が指摘すると、Nさんはそのことに初めて気づいたようで、わずかに目を見開いた。

「ほんとだね。まあでも、冗談というか、子供を怖がらせるって大人はよくするもんじゃない。今はそう思えるけど、当時は本気で怖くてね。怖いから見たくないのに、毎回像の前まで連れて行かれて、ちらっとでも見たら、ああ見ちゃったね、Nちゃん呪われちゃったねえって言われてさ」

 そこで一息ついて、Nさんはグラスをあおった。

「で、実際、呪われちゃったの、私」

「えっ」

 思わず動いた手が器にぶつかって、枝豆の皮が二、三こぼれた。Nさんは僕の驚きようが愉快なのか、くつくつと笑う。

「何回目かで武蔵の像を見ちゃった次の日、朝起きたら、髪が切られてたの。片側だけ。枕に自分の髪がばらばらまとわりついててさ。その時けっこう伸ばしてたんだけど、肩上くらいにばっさり。呆然としてたら、部屋におばあちゃんが入ってきて。どうしたのおばあちゃんって聞いたら、武蔵さんが来ちゃったねって言うの」

 Nさんは自分の割り箸を手に取り、両手に一本ずつ持った。それをXに交差させるようにして、左右の手を近づける。箸の先がハサミのように動く。

「こうやって、二本の刀で切られたんだって」

 箸を戻してNさんは続けた。

「それで、武蔵さんのことを人に話すともっと悪いことになる、今度は首をチョキンと落とされてしまうかもしれないから、お母さんにも誰にも絶対言っちゃいけないよって言われて。でも髪は片っぽだけざんばらだし、母には怒られたあとめちゃくちゃ心配されたんだよね」

 僕は急激に喉の乾きを覚えた。こんな話を懐かしげに、こともなげに話すNさんがなんだか異様に思えたのだ。すっかり汗をかいてぬるくなった酒を流し込む。すこしばかり人心地がついた。

「……は、その一回だけだったんですか?」

「派手なやつはね。あとは腕とかももとかにうっすら赤い線ができたことが何回かはあったけど。やっぱりこうやって」と先程と同じように箸を構えて「挟んだみたいに、裏と表に二本、ツーっと。でも痛くもないし、すぐ治ったし」

「今もあるんですか?」

「いや、ほんとに小さいときだけだよ。小学校中学年くらいにはなくなったかな。ちょうどその頃、おばあちゃんが死んじゃってバタバタして、それが落ち着いたときにはもうそんなこともなくなってて」

 なんだったんだろうねえ、あれは――とNさんはうっすらと笑んで目を細める。

「まあそんなことがあって、だから二刀流って言うとどうしても二本の刀を大きなハサミみたいにして襲ってくる、って思っちゃって、あんまりいい気はしないんだよね。でもよく考えたら、それも結構マヌケな絵面だけどね」

 Nさんはハハハと豪快に笑ったが、僕は愛想笑いくらいしかできなかった。



 その後、その地での仕事で会った何人かにも、それとなく「宮本武蔵の呪い」について聞いてみたが、やはり皆口を揃えて、そんな話は聞いたことがないと言った。

 そもそも、Nさんの話ではなぜ武蔵が呪うのか、全く理由がわからない。実際に起きたという呪いの内容も、それは刀ではなくどう考えてもハサミにまつわる怪異(と一応呼んでおこう)としか思えない。怪談話として成立していないのだ。


 ではなぜ、Nさんのおばあさんは、孫娘にそんなありもしない話を聞かせたのか。

 なぜ、「見ると呪われる」という設定にしたものを見せようとするのか。

 なぜ、髪が切られた朝にNさんの部屋を訪れたのか。髪が切られたことをあらかじめ知っていたかのように。

 なぜ、人に言うともっと悪くなるなどと言ったのか。

 なぜ、おばあさんが死んだあとにその現象は治まったのか。


 Nさんと別れる前に、「おばあさんとは仲が良かったんですか?」と尋ねてみた。

 彼女は笑顔で「うん、変な話で怖がらせてくるところはあったけど、それ以外はいつも優しいし、お母さんに内緒でお菓子とかお小遣いもくれたし、私おばあちゃんっ子だったよ」と言った。

 おばあさんはもう亡くなっていて、その心の内を知ることはできない。

 だから、これはということにしておくのが、一番良いのだろう。


 ただ僕は、胸のあたりにおりの溜まったような、ひどく嫌な気持ちになった。

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