☕未婚の貴族or高名の依頼人・10
〈 実にざっくりなヴィクトリア時代と、このお話『不可思議な冒険』の本編前説と小話です 〉
※今更ですが、ここのホームズ家は聖典やグラナダの設定から、時系列や時代背景込みで少しずれています。(ざっくり広く長いヴィクトリア時代)そこも風味として、お楽しみいただけましたら幸いです。
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※ヴィクトリア時代はその時代背景もあって、投資の黄金時代でもありました。そして、いまだに続く階級社会でもありますが、いまよりももっともっと厳格です。階級はおおまかに、三つに分かれておりました。
ひとつは、王族や先祖伝来の領地、遺産から生まれる利子や株の配当で暮らす貴族。例えば、マスグレーヴ家の当主、レジナルド・マスグレーヴ卿のように、「収入のやりくり? なにそれ?」そんな名実ともに、完全なる『アッパー・クラス』(上流階級/貴族階級)
※ 登場しているアッパーな人々。
・レジナルド・マスグレーヴ
・サー・ジェイムズ・ダムリー大佐
・ド・メルヴィル将軍(ヴァイオレットのパパ上)
・マイクロフト・ホームズ その他。
※地位はあるけど財産がね……そんな人もいます。(例の、車椅子から猛ダッシュ事件の、やかたでフクロウを飼っている? お兄さんとか)
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ふたつめは、『ミドル・クラス』と呼ばれる実業家や医師などからなる、幅の広い中流階級。
彼らは、その地位からの転落を避け、地位、財産のさらなる安定と、上昇を手に入れるため、より安定的で恒久的な利子収入を得る投資の手段として、また、多額の財産を得る手段として、時代的な背景もあり、ほとんどの者が、投資をしていました。
この、『ミドル・クラス』というのは、さらに大まかに『上・中・下』に分かれており、野心の強いものは、この中で強烈な殴り合い……もとい、競争を繰り広げていましたが、ここから『アッパー・クラス』に這い上がることのできる、唯一の正当な手段は、『結婚』でした。
・レストレード警部たちは、ここの下の方にかろうじて? ひっかかっています。
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【小話/マーガリン】
※スコットランドヤードの中で、なぜか集まっている警部たち。
レストレード警部「どうしたんだい?」飲み過ぎて二日酔い。安物の『ドングリの粉入りコーヒー』を飲んでいる。(※真面目なコーヒーは、超高級品でした。)
ジョーンズ警部1「いや、弟が、これに投資すれば、絶対にもうかると言い張るんだがね……」聞けば、なんかうさんくさそうな匂いのする投資話のパンフレットを差し出している。
レ「……未来のバターついに登場、栄養たっぷり“プレミアムバター”の会社新設に、あなたも投資しませんか?……なにこれ?」パンフレットを見ている。
ジョーンズ警部2「“バター”の新しい製品で、この会社が投資を募集中で! これ絶対に当たりますよ! よりおいしくて安い!」なにかきれいな箱を手に持っている。
レ「……管轄が違うから、覚えておらんのだろうが、前に、“マーガリン”法によって、質の悪いバター風マーガリンが禁止されただろう?」箱を開けて、臭いを嗅いでいる。
ジョーンズ警部2「……そういえば、時々、保健衛生局が……うちも手伝いに行っていた部署があったような……これも?」
レ「たぶんな……ほら!」おかしな汁が箱の裏に滲んで、みどり色に光っている。
ジョーンズ警部2「一応、保健衛生局に回しておくか……」手にしている“プレミアムバター”の箱を名残惜しそうに、じっと見ている。
レ「足で稼いで、真面目に定年まで働くのが一番! わたしはもう目をつけている物件を、この間の田舎の殺人事件で、出張したときに見つけているんだよ。ちょうどいい値段だし、こじんまりした、実にいい家でねえ……」
ジョーンズ警部1「殺人があったから、持ち主が安くでかまわないから、買い手を紹介して欲しいって、言っていたアレですか?」
レ「それそれ! 掘り出し物でね! 地面から死体がでたから、これが本当の掘り出し物! なーんてね! ロンドンから、出張したかいがあったよ!」
受けて大笑いしている三人の警部。すると、警官がドアをノックする音。
警官「レストレード警部、長官がお呼びです! 例の“マスグレーヴ家の当主”から、お手紙が届いたそうです!」普段声の大きい警官は、やはり今日も大声だった。
レ「…………」二日酔いもさめて真っ青な顔で、長官室へ。
ジョーンズ警部1「レストレード警部、無事に定年が迎えられるといいなあ……」
ジョーンズ警部2「他人事じゃない……あ、今日の警備担当の時間だ!」“プレミアムバター”を近くにいた警官に、メモと一緒に渡して消えたのでした。
※“マーガリン/バターリン法”とは→バターをマーガリンと偽って販売したり、人造バターというふれこみで出回ったり、超粗雑なマーガリンを販売したりで、食生活が大混乱をしたため、1887年のイギリスで定められました。
なお、この当時のマーガリンは、牛の腎臓の脂肪にミルクとスライスした乳腺を、かき混ぜて作られていたそうです。(味が想像できないです……。)
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で、この下に、『ロウワー・クラス』(下層階級)があり、シンウェル・ジョンソン、ポーキーたちはここです。
※ちなみに、このお話のグルーナー男爵は、『ロウワー・クラス』から悪事を働いて、オーストリアの男爵位を手に入れ『ミドル・クラス』に成り上がり、ガンコちゃん(ヴァイオレット)が参加していた『地中海をヨットで航海して楽しむ会』で、取り入ったとか、その他色々を想像してます。(※ふたりの愛の物語は、書く気がしないので、はしょります。)
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※以下本編のはじまりです。⇩
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話は、普段から「ディオゲネスクラブと屋敷の廊下しか歩きたくない」そう言い切っている、シャーロック・ホームズの兄、マイクロフト・ホームズが、聖域であるディオゲネスクラブで、本棚に囲まれ、パイプをくゆらせ、機嫌よく静謐の空間の窓から、趣味の人間観察をしていた頃までさかのぼる。
それは、ホームズが誘拐犯扱いされることになった、二日ほど前の話であった。
『来客あり』
そう書かれた不幸のメモと、知っている名前の名刺が、銀のトレーにのって届き、彼の元に、ひとりの若者がやってきたのである。
マイクロフトは、ちらりと新聞を整理して、整然と並んでいるラックに目をやる。
彼は弟のように、片っ端から散らかしたりはしない。すでに情報は弟のシャーロック同様に、彼の『全能』である頭脳の中に入っている。
弟のように確認作業をしないのはただ面倒だからである。
おそらくは、数々の会社が倒産した一因にもなり、市中にまでうわさが持ち上がった、ここ数年来の複数回に及ぶ“国債詐欺事件”のことであろう。
最近ではその影響で、投資熱が冷え込みを見せ、植民地への戦費の調達や、公共事業にまで影響が出はじめている。
また、まったく関係ないにも関わらず、なぜかソブリン金貨の偽物が、ロンドンのあちらこちらで見つかったため、イギリス中の銀行から、
『面倒な……』
マイクロフトは重要な地位にあり、女王陛下に忠誠を誓い、忠実に職務は果たしてはいるが、そもそも多忙を嫌う男である。
そして、目の前で心配そうに、自分を見上げているエヴァンズ卿自身は、たいした地位にはないが、彼の母親は尊き血筋につながる重い家系の出であり、更に更に面倒なことに、さかのぼればホームズ家の主筋であった。
『ほんとうに面倒くさい……いつかこの家督を継いだ者の苦労を、弟にも味わってもらわねば……』
マイクロフトは好き勝手して、親友と気楽に楽しそうに、ベーカー街で暮らしているシャーロックを思い出し、パイプを口から離すと、深く息を一度はいて、小さくほほえみ、エヴァンズ卿に愛想のよい返事をしておいた。
「信頼のできる筋に頼んでおきましょう。数週間もすれば、世間はこんな騒ぎは忘れて……ああ、最近話題の“マスグレーヴ家の秘密の花嫁”に集中するでしょうな」
地獄からよみがえった……そんなくらい表情だったエヴァンズ卿は、最近のロンドン社交界の、いや、イギリス中の話題、“マスグレーヴ家の秘密の花嫁”の話に少し気を取り直した様子であった。
「ああ、あの話! わたしも驚きましたが、アレのおかげで金貨の扱いがずいぶんと小さくなって助かっていますよ! ここ数日は記事の一面から、解放されました!」
「……まさかの話ですからなあ」
「ほんとうですよ! 娘の結婚相手にと、まるで競走馬のように鼻息荒く意気込んでいた、わたしの母は落胆していましたがね」
彼はその母に、「問題が起きたら、とにかくすぐに行け! なにかあったら、すぐに相談、マイクロフト・ホームズ!」そうせっつかれ、半信半疑でやってきたが、そういえば、あの有名な探偵『シャーロック・ホームズ』と……兄弟?
などと、あまりにパニックになり過ぎていて、帰りの馬車の中で、ようやく思い当たり、帰ってから母親に「いまごろになって?」と、驚愕されたものの、ひさしぶりにぐっすりと眠っていた。
そして、彼が去ると同時に、『至急ディオゲネスクラブへくるように』そんな電報を打ったマイクロフト・ホームズは、待てど暮らせど弟がこないので、そういえば、話題のレジナルド・マスグレーヴ卿といえば、アレの細々とした交友関係のひとりのはず……。
まさか内々にやしきに呼ばれて婚約パーティーに? そのまま、カントリーハウスに旅行でもされたら……(非常識だから一緒に行って釣りとか楽しもうとか言っていたり……それはないか? いやしかし……ありえないこともない。)
『これ以上、静かな生活を荒らされたくない!』
そんなことを心の中で叫んだマイクロフト・ホームズは、しかたなしに馬車を呼んで、まず、マスグレーヴ家に寄り、顔なじみである老執事と、少し話をすることにした。
彼は執事という立場ではあるが、カントリーハウスの博識ではあるが、女癖の悪い執事とは違い、代々この家に仕え、財産も管理する家令と変わらぬ重い重責と、信頼を受けている人物だ。
「弟に聞いたよ。ご当主のご婚約おめでとう。君もずいぶん心配していたが、肩の荷がおりただろう。直接お祝いを言いたいので、予定を聞いておいてくれないか? 後日、改めてマスグレーヴ卿に……」などと、適当なことを言いながら、様子を探る。
彼は弟がいないことを執事に確かめ、すぐに引き返そうとすると、老執事は嬉しそうに、マイクロフトを引き留めた。
「わざわざのお運び、誠にありがとうございます。ああ、いま専用のお庭でレディとティータイムをお過ごしですから。お声をかけてまいります。少々お待ちを、すぐに戻って参ります……」
「いやいや、今日は予約を申し込んでいないから、不躾になる。あとで弟のところにメッセンジャーボーイでも走らせてくれればかまわんよ……」
「なにをおっしゃいますか! マイクロフトさまは、イギリスでのレディの保護者! 御親戚がいらっしゃったとなれば、おふたりとも、お喜びになります!」
「………」
そう言いながら、ウィルソンはやかたの奥に姿を消し、マイクロフトは、また弟が勝手に自分の名前を使って『新しい事件』で遊んでいることを確信し、吹き抜けの玄関ホールで、顔をしかめて、立ち尽くしていた。
***
〈 再びベーカー街221B 〉
「あのときも冷や汗をかいたが、こちらのお嬢さんは、そのときのお嬢さん、レディ・マリアとそっくり……妹君かな?」
「テレーゼと申します」
美しい所作でお辞儀をするテレーゼを、シャーロック・ホームズと、ワトスン博士は、平たい目でしばらく見ていたが、やがてそれどころではないと、ふたりを無理やり長椅子に座らせて、「かくかくしかじかで、オーストリアの殺人鬼がイギリスにいて、マリアの命が危なくて……」そんな話をはじめていた。
マイクロフトは弟の様子を見るに、自分の用事は後回しだと確信していたし、シャーロック・ホームズの方は、大量の(マリアの家から)持ち込み、積み上げられた、貴重な日本の洋食器の歴史本を、「天才だと言うなら一晩で全部覚えろ! お姉さんの命がかかっている!」そんな無茶ぶりをテレーゼにして、彼女は、あとで覚えてろ……。そう思いながら、本を全部ワトスン博士が暮らしている三階の寝室に運んでもらい、全部ベッドの上に積み上げて、それはもう驚異的な速さで、頭の中に叩き込んでいた。
「大丈夫?」
数時間後の早朝、なんとか自分で淹れた紅茶を持って、心配そうに声をかけてきたワトスン博士に、テレーゼが答えようとしていると、一階の扉が開く音がし、二階からシャーロック・ホームズの大きな声が聞こえた。
「よし! これでデーターは集まった。兄さん! 電報局に行って、この内容の電報を打ってくれ! サザビーズに!」
彼はそう言って、兄を馬車にのせて、追い出してから手下にしている、一階で待機していた小汚い少年に、ポーキーを呼ぶように言いつけ、ワトスン博士が淹れてくれた紅茶を口にしていた。
「……よくこんなまずい紅茶が飲めるな!」
「ワトスン博士、よくこんな男と人生を共に……かわいそう……」
「テレーゼ嬢、だから誤解を招く言葉は、謹んでくれたまえ……」
そうして彼と彼と彼女は、とりあえず通りかかった辻馬車を数台やり過ごしてから、再びマスグレーヴの、ロンドンのやかたに戻ってゆき、いやに身なりを整えたポーキーは、ホームズに頼まれた仕事をこなすべく、荷馬車を呼んで、護衛に顔なじみの男どもに囲ませてから、ベーカー街221Bの前を、慎重に出発していた。
ポーキーは、これがキティのための仕事だと、分かっていたのである。
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