その感情を指でなぞる

尾岡れき@猫部

その感情を指でなぞる

 朝から俺は不機嫌だった。だって、そりゃそうだろ?


 少なからず、好ましい感情を持っていた相手が誰かにラブレターを渡したいと、そう言われたら。


 足が重いと思う。その度に白杖で俺の足を叩いてくる。そういう使い方したらダメなんだからな?


 当たり前のように、俺の肘をとって歩く。視覚障害がある彼女にとっては、当たり前の通学風景。それだって、高校に進学すれば別々だ。俺は普通科だし、彼女は特別支援学校へ。それだけで、機嫌が悪いのに、今度は誰かにラブレターを出す、ときた。


 俺の重い足取りなんてお構いなしで。生徒用玄関に着いてしまう。


「ん。右から4列目、上から3個目のトコ」

「へ?」

「はやくっ」


 だからビシビシ白杖で足を叩くのヤメれ。仕方なく靴入れまで誘導する。中から、取りあえずズックを取り出す。だって、そこ――。


「よしっ」

「え?」


 見れば、大作の小説でも投稿するのか? と思わず言いたくなる紙の束。それが俺の靴箱に迷わず入れられる。


「え、えっと? カナ?」

「場所は間違ってないはず。ずっと確認をしてきたから」

「え、それって――」


 思わずその紙の束に手をのばそうとしたら、また白杖で脛を叩かれた。


「ん。視覚障害があるからって、全部見えないワケじゃない。それに本人の前でラブレターを見るの、承馬はデリカシーがないと思う。加えて他の子がいる前で読むのも絶対ダメだからね」


「いや、でも明らかにこんな量の書類がシューズボックスに入っていたら、みんな注目するって!」


「む。ラブレターなんだからね。受け取る人も、周囲に見られないように、気をつかってよ? 本当に承馬、そういうトコがデリカシーないよね?」


 非礼は申し訳ないと思うが、白杖でその都度、俺の脛を叩くのヤメてくれ。そう思いながら、俺は叶慧かなえの出す難問にため息をついた。


何時いつこの重要機密文書を取りにいけばいいんだよ?)


 ――教えて偉い人?


 切実に思う。と、叶慧がふんわり笑った。


「読んだら一週間後、返事をきかせてね?」

 




✉️





「先生、すいません。気分が悪いので保健室に行ってきます」


 名案だった。休み時間は他の生徒が溢れる。放課後は、叶慧の誘導で時間がない。結局は、授業中に行くしかない。俺の苦手な国語――しかも古文という絶妙なタイミングを見計らう。


 百人一首。古のラブレター読まされてもちんぷんかんぷん。昔の人も、ラブレターを延々と読み上げられて公開処刑になるなんて、思いもしなかっただろう。


「素直に音澤おとざわさんのところに行くって言ってもらって大丈夫ですよ。後で他の子にノートを見せてもらうように」


 いや、叶慧のトコに行くとは一言も――あの、その暖かい視線、みんな何なの?

 






 結論から言うと、俺は途方に暮れていた。叶慧は求心性視野狭窄だ。筒を覗いた範囲でしか見ることができない。そんな視野が叶慧が見ている世界だった。

 周りの段差に気付くことができず、転倒した回数だって数えきれない。保育園から一緒の俺が盲導犬代わりになるのも必然だった。


 そんな叶慧だ。近距離なら文字を書くこともできるが、手紙となると難しい。

 予想はしていたけど、点字だった。


(……俺は点字が読めないんだよな……)


 途方に暮れるしかなかった。





✉️





「点字なんか読めるヤツいないないよなぁ」


 休み時間にボソッと呟いてみた。視覚障害の特別支援学校が近くにあるので、そこで教わるという手もあるか、と思案を巡らす。


「読めるけど?」


 ボソッと割りかし近い所から声がして目を丸くする。


「下河、読めるの?」


 クラスメートの男子が読めると思っていなかっただけに、二度見してしまう。


「空君、読めるの?」


 隣で下河と仲の良い女子――天音さんが驚きの声を上げた。


「それなりに、ね。母さんが視覚障害や聴覚障害の人のボランティアをしていて。姉ちゃん本の虫だから。そういうトコにも興味を持った時期があって、さ――」


「下河、頼むよ!」


 皆まで聞くまでもなく、俺は頼みこんいでいた。





「点字ってさ、6つの突起に意味を持たせるんだけど」


 と手紙を広げて、指でなぞっていく。

 しかし、こんな場所があったのかと感心をする。賑わいのある近所でも有名な喫茶店。その奥まった席は、意外にも喧騒も他の客からの視線をカットアウトしてくれる。それにしても、だ――。


「何で天音さんまでいるの?」

「見学なので、お構いなく」


 そうニコニコ笑って言う。明らかに好意以上の感情を滲ませて。こうやって相手に素直に感情を出せるのが羨ましいと思う。

 と下河が点字に指を走らせていく。途中で下川が顔を上げた。


「……これ、差出人は女の子?」

「ん。下河も知っているかもしれないけど……支援学級の音澤叶慧。俺の幼馴染なんだけど――」

「これ、青葉が一番最初に読まないといけないヤツだよ?」


 下河に真剣な顔でそう言われて、思わず息を呑む。


「これラブレターだからね」





✉️





 こう見えて俺は忙しい。

 目の見えない叶慧の手を引いて、一緒に過ごすのが当たり前になっていた。自然と俺が絵本を読んであげていた。叶慧に読んであげたい。そんな理由だけで、3歳で必死に、ひらがなを読めるように頑張った。それが児童文学、ライトノベルに変わるのも時間の問題で。


 ラブコメを音読させるのは、正直、ちょっとキツかったけど。だって、否が応でも叶慧を意識してしまうのだ。


 だから、叶慧が気持ちをこめて書いたのなら、しっかり読み解きたい。そう思って、下河から借りた教読本を頼りに、指を走らせる。正直、指で感じるというよりは、突起の場所を目で感じるカタチに近いけど。


『わ、た、し、は』


 ここまで読んだ。指をさらに滑らせる。よく分からなくて、目をこらす。俺は自分の目を疑う。

 でも、確かにそう書いてあったんだ。


――私はね、承馬のことが嫌いだったんだよ。





✉️





「どうしたの、読みすぎて寝不足?」


 休み時間。下河に言われるが、俺は返事がままならない。好意を抱かれるなんてそもそも思わない。でも、拒絶の言葉ってこんなにキツいとは――もう言葉にならない。


 いつも学校が終わってから、叶慧と一緒にいる。家が隣同士だからこその関係。いつも通り、今日の朝も多分俺は振る舞うことができた。叶慧の様子だっていつも通りで。

 でも、最初から俺は拒絶されていて――。


「まさか、最初の一文で、読むの止めてないよね?」


 下河が目を細める。


「だ、だって……。あんな拒絶の言葉が一番最初にあったら――」


「あれは拒絶じゃないよ。音澤さんが自分の気持ちを、青葉に伝えるために必要な一文だったんだ。青葉はアレ絶対、最後まで読まなくちゃいけない。そもそも俺に読ませたことそのものが、NGだからね」


「いや、でも……」

「女子代表として口を挟んでいい?」


 そう言ったのは天音さんだった。


「あのね、青葉君。女の子が仮にもラブレターを出そうって思ったら、どれだけ勇気がいると思う? 今までの関係性が崩れることも覚悟して振り絞った勇気、青葉君は想像できる?」

「へ?」


 俺は目をパチクリさせた。未練がましく握っていた叶慧からの手紙。無言で天音さんは触れる。何枚か捲って、とある箇所を指差し――触れた。濡れてしまったのか、紙が滲んでいることに今さら気付く。


「私は読んでないし、空君のように点字が読めないから内容まで分からない。でもこの手紙、きっと叶慧ちゃんの想いがつまっていると思う。そうでなかったら、気持ちがこんなに溢れ出たりしないよ?」


 と天音さんは濡れたであろう跡を指で優しく撫でた。


「点字ってさ、専門のプリンターでも印刷できるけど、基本は点字機を使うんだよ。教本にも書いてあったでしょ?」

 下河の言葉にコクコク俺は頷く。だって6つの突起で字を表現するのだ。シャープペンで書くのに比べたら時間がかかるのは俺でも分かる。まして点字機で正確に打ち込む必要があるのだ。


「時間もかかるし、間違っても消しゴムで修正なんかできない。翼の言う通り、どれだけの想いをこめたんだろうね。でも一つ言えることはさ……。最初に読んでしまった俺がこういうことを言うのもおおかしいって思うけど、青葉は絶対にこのラブレターを最後まで読む責任があるからね」


「……ラストにバットエンドが待っているとしても?」

「この物語のエンドを決めるのは青葉だよ。でも、むしろプロローグだと思うけどね?」


 下河にそう優しく微笑まれて、俺は小さく息をついた。無言で立ち上がる。


「青葉?」

「下河、ごめん。頭痛がするから保健室に行ってくる。悪いけど先生に言っておいてくれ」

「……あのね、手紙と教本を持って保健室とか。説得力、全然ないからね?」


 下河と天音さんがクスリと笑みを零す。それが彼の同意と受け取って、俺は保健室とは逆の方向へ向かって歩き出した。

 授業の開始を告げる、チャイムの音を聞きながら。






 私はね、承馬のことが嫌いだったんだよ。目が見える承馬が本当に嫌いだった。私にはないものをたくさん持っている承馬がイヤだった。それなのに、他の子と同じように、私と遊ぼうとするんだから。君は本当に、昔から気が使えないヤツだったよね。


 でもね、それが嬉しくもあったんだ。当時は障害なんて、全然意識もしていなかったから。私に当たり前のように接してくれる承馬の存在が嬉しいって、いつの間にか思っていた。


 承馬は憶えているかな? 私がみんなと同じように遊べないことを拗ねていたら「俺が叶慧の目になりゃいいだけじゃん」って言ったんだよ。バカだよね、本当の意味で目になれるわけなんかないのに。


 それなのに君は今まで、私の目になってくれた。手を引いてガイドをしてくれた。それが嬉しいって思っていたし、特別だって思ってた。本当はこんなことを書いたら、承馬が困るのも分かってるのに。


 承馬は普通科に進学するし、私は支援学校に進学する。もう承馬が私の手を引いてくれない。そのことに気付いたら、怖くなった。


 承馬と私じゃ住む世界が違う。そんなことは分かっていたけど。もう抑えきれないから、私の気持ちを最後に伝えたくて、点字を打ち込みました。


 承馬が好きです。あなたの隣が好きです。あなたの溫度が好きです。近距離でようやく見えたあなたの長い睫毛が好きです。あなたの全部が大好きです。







 カツン、カツンと音がして俺は顔を上げた。コンッという音がして「痛っ」と聞き慣れた声がして、思わず振り向く。


 風が頬を撫でる。屋上で感じる風が好きだった。叶慧を待つ時、ココで時間を潰すのが常だったから。


「カナ?」

「うん。承馬が保健室って聞いたから、焦って来たら居ないから。心配になって探しに来たの」

「あ、ん、その――ごめん」


 叶慧は首を横に振る。白杖で障害物がないか確認をしながら、一歩一歩、前に進む。


「ここまで、一人で?」

「白杖でSOSを出しても誰も気付いてくれなくて。でも下河君と天音さんが、この下まで誘導してくれたんだよ」


 あいつら……。つい目頭が熱くなる。白杖を両手で持ち、上に掲げたら「SOS」のサインだが、意外と知らない人が多い。さり気なく助けてくれる二人には感謝しかない。


「カナ。1週間も待てないから今、返事をしても良いか?」


 俺がそう言うと、叶慧の表情が翳る。

 でも胸が苦しくなって、最初の一言が出てこない。


 ――女の子が仮にもラブレターを出そうって思ったら、どれだけ勇気がいると思う?


 天音さんの言葉が、俺の背中を押す。だってもう知ってしまったのだ。点字越しに、叶慧の感情をこの指でなぞってしまったから。


「……住む世界なんか、一緒だからな」

「え?」


「ずっと、隣で見るから。カナと一緒に見るから」

「ば、バカ。ずっとっていつまで――」


「ずっとはずっとだろ? カナに愛想尽かすまで、ずっと隣にいる」

「私、目が――」


「今さらだろ?」

「他の子のようにお菓子もお弁当も作ってあげられないし――」

「俺が作ってるし、これからは一緒に作ろう?」

「で、でも!」


「その代わりさ。知っての通り、俺って抜けてるからさ。一緒に聞いてくれる? 肝心なことを聞いてない時があるから、さ」

「ば、馬鹿――」

「でも肝心な話、今からちゃんとするから」


 俺は叶慧の耳元で囁く。ちゃんと伝えたい。そう思ったから。隠していた感情なら、もう指でなぞってしまったんだ。

 もう止まらない――止めることなんかできるはずがなかった。







「好きだよ、カナ。カナの隣で過ごす時間も。何もかも。カナの仕草も笑顔も全部、大好きだから。これからも、その隣を独占させて」

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