こちら廃嫡寸前王子だけど、無茶ぶり任務中に女神に逢ったし改宗して伝道師になろうと思う。

ムツキ

◆ 変質者のレッテルは勘弁してください ◆


『 そこは異郷――朝陽と夕陽の狭間に出現する島アッサンドラ。

  七色の水が弾ける緑豊かな都。

  虹の回廊と彩雲の階段が織りなす高き城。

  幻獣が駆け、光も笑う。

  馨しい花々が咲き乱れ、空気さえも甘い。

  魅惑の妖が奏でる麗しき音楽。

  震えよ、旅人よ。

  そこはを恐ろしの世界――踏み行ったが最期と永遠を約束する。 

      ――アッサンドラ冒険記・序章1節――』


 古びた本を閉じ、青年は大仰な溜息をついた。

 首裏で縛ったオリーブ色の髪を解き、狭いながらもふっかりとしたベッドに身を横たえる。

 まだ1ページ目だと言うのに、読む事を放棄してしまった本を枕元へと押しやる。

 世迷言の類を延々と書き連ねた愚書だ。幾ら長旅の共としても、付き合う気分にはなれなかった。

 青年――リコ=テオバルド・ラロ・イストリア・イバニェスは、歴とした国の使節団を束ねる要職にある。

 国防の為『北の魔女』に、大掛かりな結界作成を打診しにいく船内である。

『北の魔女』の存在は世界的に有名でありながらも、その実態は謎に包まれている。確かな情報筋から分かっているのは出没地域くらいなもので、北の大地にあるローデルシャン王国やジーベルスタイン王国、更には光の塔神殿という事だった。

 すでに人の理解で行ける範囲は調べつくし、残すは住処とされる幻の島アッサンドラのみである。

 そもそもこの仕事を命じられた時から分かり切っていた事だ。


 ただの廃嫡カウントダウンだ。


 本当に『北の魔女』を連れ帰る事など、誰も求めていないのだ。

 白い開襟シャツから覗く褐色の肌には黒太陽のネックレスがある。



 国教としても、異端な存在たる『魔女』を誰が求めるというのか。

 共に道行く仲間には悪いが、これは永遠に見つからない死出の旅路だ。



「まぁ、精々……上手いこと放逐されてやるさ」


 死出の旅路であろうと死ぬ気は毛頭ない。リコは、ヘーゼル色の瞳を閉じた。



◆◇◆



 リコが目を覚ましたのは瞼ごしにも眩しさが伝わってきたからだ。

 サワリとした葉音と感触に身体を起こして、驚く。彼は草のベッドに寝ていた。周囲を見回せば、開けた庭園の東屋と、似たように草のベッドに横たえられた顔なじみの船員たちがいる。

 手当てを受けたらしく包帯を巻いている者や、痛みが引かないのかうめき声を上げている者も――人数が少ない事にも思い至り、否応なく想起したのは昨晩の出来事だ。

 夕刻からの海は大時化で、嵐の一夜となった。

 朝陽をみるより早く船は転覆し、投げ出された海の中で見たのは雷の直撃だ。


(考えが甘かった……航路から逸れたつもりはなかったのにっ)


 拳を握りしめるリコ。


「目を覚ましたか」


 背後から掛けられた声は高く若い。振り返れば、想像よりも幼い娘が立っていた。


(妖精……?)


 読むのを止めた本の表紙に象られていた姿に似ている。

 陶器のように白くつるりとした肌に、金灰色の髪から突き出た尖り耳、そして見たこともない美しいエメラルド色の瞳。年の頃は13、4才の愛らしくも可憐な少女だ。


「私はこの地の守護者だ。お前たちを近海から拾えるだけ拾ってきた。残念ながら海に惹かれた者もいる。死に抱かれしはココに呼べないんだ」


 彼女はぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、水差しを突き出す。


「……ありがとう」


 両方の意味での礼だと伝わったのかは分からないが、娘は頷いて傍に腰を下した。


「花蜜水だ」


 水差しの底には黄色い大きな花が開いている。安全だと示すように彼女はもう一度水差しを奪い取り口を付ける。

 コクリと流し込んだ水を拭って「ん」と再度突き出される。


「そういう意味じゃないんだ。皆、まだ飲めないみたいだから」


 視線を船員たちにやるリコに、娘は一つ瞬く。そしてニコリと笑った。


「気にするな。私が引き取ったからにはココの者は、みんな助かるし、すぐに食事も可能になる。私の好意を受け取って飲め!」

「それでも、船長だからね。皆が飲んだ後でいいんだ」

「お前、頑固だな」


 リコの言葉に一つ息を吐いて、娘は立ち上がる。気分を害してしまったかと焦るより早く、彼女の周囲に白い光が集まった。


「私は好意を無下にされるのが嫌いだ。だからこれは、……私の為なんだぞ」


 拗ねたように頬を赤らめ、緑の瞳を閉じてしまう。


「〈あまねく光の長 イヴァ……ェリン=イ……ァ・……・……=……が祈る〉」


 彼女は両手を広げる。集まった光が一斉に明滅を始める。


「〈傷付きし兵士を安寧の闇から遠ざけよ 癒しの風よ 柔く暖かな風よ〉」


 彼女の髪が、服がはためく。


「〈温き光よ〉」


 パチリと開いた瞳は黄金。


「〈 再び宿せ ……と…… 力を与えよ〉」


 彼女を中心に白い風が駆ける。無数の光の粒が後を追う。船員たちの体をなぞり、光らせ吹き抜けていく。

 同時に、彼らがそろって目を覚ました。

 誰一人、苦しそうな素振りをしなかった。まるで夢から覚めたように、体を起こし、周囲を見回している。


「君は……一体?」


 思わず口にすれば、彼女は厳かな雰囲気を取り払って振り返る。瞳は元の緑に戻っていた。


「言っただろう、私が保護したんだ。さぁ飲め! 旨いぞ?」


 言われるまま水差しに口を付けると、確かに甘くかぐわしい匂いがする。口に含めばトロリとした舌触りと冷たさが喉を潤した。

 嬉しそうに見つめられている娘。リコは少し考えた末に、恐らく求められているであろう台詞を口にした。


「とても美味しい」

「だろう! 私の花園から朝露で作ったんだっ。兄様はまだまだだと言うが、私の友たちはとても気に入ってくれているんだ!」


 とがった耳をヒクヒク動かしながら、彼女は得意げに作り方の説明に入る。


(えーっと、確か、エう、ウァ、……えば、じぇ、り?)


「あのっ! 俺はリコ=テオバルド・ラロ・イストリア・イバニェス。リコと呼んで欲しい。差し支えなければ、ここがどこなのか聞きたいんだが?」


 水差しを地面に置き、娘に向き合う。彼女は一つ瞬いて、大きく頷く。


「私はイヴ……ンジ……ン=……ーヴ……・……・……=……だ。お? 聞こえないか? 人間だものな……うーん、困ったな。よし、特別に略称で呼ばせてやる、EVAだ」


 傲岸な口調の割に、行動はどこか幼く小動物的な可愛さを感じる。


「エバ?」

「まぁ、それでいい。もう一つの質問は何だったか、この地だったか? ココはアッサンドラだ」

「アッサンドラ?! ここが?!」


 思わず大声を出せば、船員たちも色めきだって駆けよってくる。


「何だ何だ? お前たちココに来たかったのか? 随分と命知らずな事だ」


 不思議そうに小首を傾げる娘に、口々に質問をぶつける船員。エバの困惑が揺れる耳で分かる。


「お前たち、落ち着け!」


 リコは大声を上げて静まらせる。彼女の言が正しければアッサンドラの守護者を相手にしているのだ。態度には細心の注意を払う必要がある。いや、それ以上に――命の恩人である。


「エバ様、我々は『北の魔女』を探してやってきました。数少ない情報によるとアッサンドラに住むという話だったが、それは誠でしょうか?」


 宝探しと思われるのだけは避けるべきと判断し、真実を口にする。少女は少し考えるように視線を彷徨わせた。


「なんとも命知らずな事だ。確かにお探しの『北の魔女』に当たる者はココに住んでいた。が、物であれ人であれ持ち出そうなどと考えないことだ! 呪われるぞっ!」

「呪い?」

「そうだ」


 エバは愉快そうに笑う。それは13、4の子供には到底できぬ艶やかさを含んでいる。


「まぁ夕刻にはまた門が開く。船の一つくらいは用意してやる故、潔く帰るのだな」


 彼女が立ち去ろうとしている事を肌で感じ、手を伸ばしていた。掴んだ手に引かれ、振り返る彼女の美しい緑。


「奴隷にしてほしい……っ!」


 ほとばしる激情のままに言葉が零れていた。

 立ち上がる一歩手前で止まったリコの体、立ち去ろうとしたまま固まる娘――言葉を失う船員。

 ふよふよ浮かんでいた光すらも停止している。


(いや、これはないよなっ! 自分でも分かるわ! 色々間違えたよな?! ってか、下手したら可笑しな意味にもっ、いや完全に誤解されるっ、ってか、されてる! 俺は犯罪者になったのか? 待て、皆、白い目で見ないでくれ! 意味が違うんだっ!)


「ど、どどど……どれ……っ!!!!」


 彼女のどもり声と混乱ようを見て、冷静さが立ち戻ってくる。

 自分の身に起きた事でなければ、こんなお伽話のような出来事を受け入れはしない。乙女はリコの命ばかりか、仲間を救ってくれた。救えるだけの全てをだ。

 リコは敬虔な信者だ。教えの一つは「恩には誠意を持っても報いよ」である。仲間の命を救ってくれた彼女を、感謝を越えて信奉したのだ。

 彼女さえ求めてくれるなら、リコ自身は何を差し出してもいい。殉教者にだってなれるだろう。

 だが、著しく伝え方を間違えた。

 正しい言葉で、この溢れる感謝を伝えるべきだったのだと気づく。

 その間、3秒。

 彼女の手を取り、彼は跪く。


「女神、あなたに尽くさせてください」


 口付ける一歩手前で、彼女の拳がリコの腹を抉る。

 膝から崩れ落ちる瞬間にリコは気付いた。どうやらまた選択肢を間違えたのだと――。

 彼女が地を蹴る。

 ふわりと浮き上がった身体は風に攫われて、あっと言う間に遠くへと運ばれていく。

 まるで羽でも生えているように軽やかな彼女に瞠目する。


「ど、どう……なさいます? リコ様」


 戸惑う仲間たち。


(どうなさるも何も……俺の心は決まっている)


 使命云々など、すでに遠い。今、リコがすべきは彼女の誤解を解く事である。


「とりあえず、女神の聖水だ。ありがたく頂戴しろ」


 彼女が置いていった水差しを恭しく頂き、仲間に渡す。

 世界の誰も知らないだろう事をリコは知ってしまった。伝説の島には女神が住んでいたのだ。


(俺のこの命、世界にエバ教を広める為なのだと確信した。俺は伝道師、その為ならば王子業も共にこなして見せよう。いや、王子という役職ですら心もとない。目指せ、国王!)


 リコは新しい自分の誕生を祝い、エバは遠くでくしゃみをしていた。



(了)



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こちら廃嫡寸前王子だけど、無茶ぶり任務中に女神に逢ったし改宗して伝道師になろうと思う。 ムツキ @mutukimochi

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