両手に刀。

砂塔ろうか

両手に刀。

# 両手に刀


 その世界は危機に陥ろうとしていた。

 海の侵略。月の落下。熱を孕む死の風。大地の沈没。神の恵みを退ける死の病。山嶺の崩壊と噴火。世界の理の歪曲。不条理が、次々に襲い来ることが未来を視る神によって告げられた。

 観測した未来は絶対。ゆえに、これらの災厄の発生を未然に防ぐことは不可能。

 ——だが、逆に言えば。これらの不条理すべてを耐えたなら、世界はひとまず安泰である。幸いにも、女神が観測した災厄はこの七つのみ。神々の権能をもってすれば、ひとまずはなんとかできる状況であった。


 …………そうして、世界は6つの厄災を耐え、あとは7番目の災厄を残すのみとなっていた。


「——助けて!」

 木造家屋並ぶ街に、小柄な少女の悲鳴が響く。しかし声に応える者はない。

 当然だ。いまは草木も眠る丑三つ時。

 当然だ。この街にはもう、少女を助けてくれる大人は一人としていないのだから。

 自分の脚に蹴躓けつまづいた少女が転ぶ。常ならば、「つゆ」と名を呼んで彼女の身を案じてくれていたであろう大人が少女のもとへと歩みを進めた。

 異臭とともに。

「やめて……やめて……おっとう、おっかあ

 涙で滲んだ視界。月の照らす夜に動くのは正気をなくした死者だ。

 海に呑まれて死んだ、漁師だった父。病に冒されなすすべもなく死んだ母。昨日まではたしかに普通だった二人が、なぜか突然、おかしくなったのだ。身体は腐り、飢えた獣のように人間を食うようになった。

 街の死人すべてがこうなっていた。あちこちに、死者に襲われた人々の亡骸が転がっていた。

 ——そして、つゆもまた、この街に転がる亡骸の一つとなるに違いなかった。兄のように。

 腐った腕が脚を掴む。逃げられない。

 つゆはせめて、最期は両親に礼を言いたくて、笑みをつくった。


「おっとう、おっかあ……ごめんね。わたしたちがいつまでも子供だったから、こんなことになったんだよね。……死んじゃったあとも、ずっと一緒にいてくれて、ありがと…………兄ちゃんも、……きっと同じ気持ちだったから……」


 つゆの柔らかな肉を食らおうと、二つの顔が近付いてくる。


 その時である。


 二つの刀が弧を描き、少女の両親の首を同時に刎ねた。少女の両親の身体が倒れる。その向こうには一人の少年が立っていた。

 煌々と照らす月の光を背に受けて立つ少年。彼は少女の目をじっと見る。

「無事か」

 あまりに淡々と発するものだから、つゆは一瞬、自分にかけられた言葉であることを理解できなかった。

「あっ、えっと……」

 うなずいて、つゆは自分の足を見る。

「診せろ。……骨折しているな……では、一旦『島』に退避するか」

 言うや否や。夜空がぐんと近付いてきて、つゆは驚いた。

「危ないからしっかり掴まってろよ」

 少年は空中でさらに何度か跳躍して、雲より上にある浮島の一つに到達した。災厄への対策として作られた島だが、現在は誰も住んでいない。

(『翼』なしでここまで来るなんて……あれ、なんだか、眠く……)

 急速に、つゆの意識は闇に落ちていった。


「よし。ここならいいだろう——ってあれ? 寝てしまったか……?」

「バカ。『翼』の加護もないのにいきなりこんなトコに運んだら意識失うに決まってんでしょうが」

「まあまあ。許してあげましょうよ伊都いとちゃん」

 少年の両脇に二人の少女が現れていた。

 右手側には、気の強そうな金髪の娘が。

 左手側には、穏かそうな糸目の娘が。

 糸目の娘が少年の腕の仲で昏睡する少女の額に手を当てて治療する脇、金髪の娘は少年の脛を蹴る。

富戸ふとはこいつのこと甘やかしすぎなのよ。たまには厳しくしてやんないと」

「あの、そろそろ俺の脚も折れそうなんですが」

「平気よ。なにがあろうと壊れない身体もらってるんだから」

 伊都が嫌悪感向き出しの顔で、更に強く少年の脛を蹴る。

「伊都ちゃん。たまにじゃなくていつもでしょ……ん。この子はもう大丈夫。脚も治しておきました」

「じゃあどこか適当な家屋に運んで——行くか。第十の神使を討伐しに」

 少年の言葉に伊都は頷きで応じる。

「そうね。さっさと世界を救いに行きましょう」


「…………」

 つゆは廃屋の一室で目を覚ました。部屋に明かりが灯っている。誰かが神力を注入したのだろう。

 右側の部屋からは声がする。ふすまに耳をくっつけて、つゆは隣部屋にいる者たちの様子をうかがうことにした。

「『行くか。第十の神使を討伐しに』——じゃないのよクソ神使! やけに自信満々だから場所分かってるのかと思って恥ずかしいこと言っちゃったじゃない!」

「お、落ち着いて伊都ちゃん! だからって、全裸にして人間椅子やらせるのはさすがに色々と間違ってると思うの!」

「……なに、どういうこと……? ……あっ」

 気になって、ふすまの向こう側を覗こうと身を寄せると、もう限界だったのだろう。ふすまが倒れてしまった。

「「「…………あ」」」


 全裸に剥かれ、四つん這いになった少年(彼の脇には服が丁寧に畳まれてあった)。その少年の背中に座る金髪の少女。金髪の少女をいさめようとする糸目の少女。


 そしてつゆ。


 沈黙が支配するなか。つゆの手を、たおやかな腕が優しくとる。糸目の少女だ。


「すこし、お話ししましょうか」


 どこか引き攣った笑みの少女の言葉には、有無を言わさぬ迫力があった。


 ***


「……この世界を襲う7つの災厄については、もちろんご存知ですよね」

「はい」

 夜空の下。つゆは富戸と名乗る少女に連れられて、外に出た。さっき骨が折れたはずの脚は今はもうなんともない。どうやら富戸が治してくれたらしい。

「災厄の対応のために、この世界には神使が遣わされました。そして神使は人々に様々な加護をお与えになりました。……高所での生活を可能とする『翼』の加護。どこにでも大地を創造できる『おか』の加護。衝撃を閉じ込める『封』の加護…………神使を介して人々に与えられた12の加護によって、人々は災厄を乗り越えた。つゆさんも、ここまではご存知ですよね?」

「え、ええまあ。…………うちのおっ父とおっ母がいてくれたのも、『わたし』の加護のお陰ですから。うちだけじゃない。街のみんな、兄ちゃんにはいつも感謝してました……」

 富戸の目が驚愕に見開かれる。

「いま、なんと? つゆさんのお兄さんが、神使だと……そう、仰ったのですか?」

「え、ええ。まあ。おっ父とおっ母を亡くして独りだったわたしを、家族にしてくれたんが兄ちゃんで……あの、富戸さん?」

「……つゆさん。申し訳ありませんが、お兄さんのもとへ案内していただけますか?」


 少年に抱き抱えられてつゆは街に戻った。少し遅れて、伊都と富戸の二人も着地する。

 つゆは戸惑い混りに、自分の家の方向を指差した。正気を無くした死者たちが、妙に多い一角。そこへ向け、少年——ソウと言うらしい——と二人の少女が駆け出す。

 と、死者の一人がソウに気付いた。

「危ない——」

 とつゆが声を上げるより先、死者は首を切られた。

 ソウの右手に持つ、刀によって。そしてつゆは気付く。右手側にいたはずの金髪の少女——伊都が、いつの間にか姿を消していることに。

「なんだかんだ言って、ソウくんのお願い聞いてあげるのは伊都ちゃんが先なのよね」

 言い、富戸は飛び上がると、首を切られた死者の胴を向かいの茶屋の暖簾の奥へと蹴り飛ばした。

「つゆちゃん! あんまり離れてると危ないからこっちに来て頂戴!」

「え、……あ、はい!」

 なかば勢いに流されるかたちで、つゆはソウらのもとへ向かう。それを見た富戸は少しだけほっとしたような顔をつくり——姿を消した。

 否。ソウの左手だ。そこに、さっきまで握られていなかった刀が、たしかにある。

「こいつらは俺だけの武器だ」

 死者を切り進みながら、ソウは言う。

「こいつらは、俺の望むかたちをとってくれる」

 踊るように、舞うように。武器を振り、道を拓く。

「それが、俺の神使としての加護——『かなえ』だ。自らの望みで、他者を、世界を歪めるチカラ——」

 ソウはつゆの家の玄関を斬り開ける。

 家を出るとき、つゆには玄関を閉める余裕などなかった。それが閉まっているということは、閉めた者がいる。

「つゆ——駄目じゃないか。そんな奴を連れてきちゃあ」

 死んだはずの兄が、そこにはいた。

「神使の肉体は、粉々になっても再生する。噛まれた程度で死ぬわけがない」

 ソウが前に出ると、つゆの兄——第十の神使は一礼した。

「はじめまして。僕が此岸と彼岸の境界をなくす『わたし』の加護を与えるものだ」

「兄ちゃんが、これを……?」

「ああ」

 つゆの震える声を肯定する。

「僕が、やった。だって、生きてようが死んでようが関係ないなら——老いも病もない彼岸の方がいいに決まってるじゃないか」

「だから、殺させたのか。死者を操って」

「うん。ついでに僕が生きてるとつゆが死んでくれなさそうだったから、僕も一回噛み殺してもらった。あれは痛かったなあ」

「俺たち以外は、痛いじゃ済まんがな」

 ソウが両手の刀を構える。

「やる気だね。でも残念。僕の死者は頭を切られようがこうして——」

 そこで、余裕げだったつゆの兄の表情に焦りの色が浮かぶ。

「悪いな」

 ソウが距離を詰めた。

「『叶』の加護は——加護の剥奪すら可能だ。そして、神使の肉体を普通の人間同然にすることも」

「——っ」

 剣閃がつゆの兄の首を刎ねる。


 それ以来、もう。死者が蘇えることはなくなった。


「最後の災厄の正体は、神使の暴走だ」

 ソウはつゆに告げた。

「神使が同時多発的におかしくなる、それによって加護が歪められる。それこそが世界の理の歪曲の正体だ。どんな聖人だろうと、どういうわけかおかしくなっちまう。ある日突然な——だから、お前は、お前の兄ちゃんを好きなままでいて、いいと思うぞ」

「ありがとう、ございます」


 数日後。墓の前でつゆはソウたちに頭を下げた。


 そうして、つゆは久しくしてこなかった、忘れかけていた行為を行う。


 両手を合わせて、静かに死者の冥福を祈る——という行為を。


(了)

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