第6話 みんなのヒーロー
KAC2022の8回目のテーマが「私だけのヒーロー」です。
どうしましょう。ボクは誰もが知っている悲劇の英雄、源九郎義経です。英雄を英語にすると
つまりボクは誰か1人のヒーローではなく、みんなのヒーローです。
『私だけのヒーロー』にはなれません。
羨ましいとは思います。
他人には嫌われているけど、ある特定の人には優しい人ってことですよね。ボクからすると、そういう人の方がいい思いしてるんじゃないですか?
どんな悪人だろうと、捨てられている犬や猫に優しいといい人に見えるそうです。ボクもそう思いますよ。犬や猫に優しい人はいい人だと思います。
でも、普段いい人が捨てられている犬や猫に優しくないと、極悪人のように言われてしまいます。ボクもそうだと思います。犬や猫やぬいぐるみは大切にしてください。
つまり下手をすると、ひとつだけいいことをした悪人よりもひとつだけ悪いことをしたいい人の方が悪人に見られてしまいます。
あれですよね。
誰にでも愛想がいいというのは、すっごく怒られます。
世渡りにはいいですよ。
誰にでもニコニコしていれば、悪く言われることは少ないです。
でも、けっこう陰口とか言われるんですよ。
それがうまくいきすぎてあんまりにも人気があったりすると。
「あいつ、調子に乗ってるよね」とか言われるんです。
「ちょっと意地悪してやれ」とか外に出ようとしたら草履を隠されたりするんです。
少し前の現代なら下駄箱の上履きに画びょうが入っていたりします。そういえば、ボクが小学生の時、上履きに画びょうが刺さっていたことがありました。
中に入っていたわけではなくて、底に画びょうが刺さっていました。だからわからないんです。でも歩いていると、足がチクチクします。それで、上履きをひっくり返してみたら画びょうが刺さってたんです。薄汚れた白い底に、ピカピカ金色の画びょうがザックリ刺さってました。
意地悪とかじゃなくて、たまたま上向きの画びょうを踏んだだけかもしれません。でもざっくりと刺さっていました。取るの大変でした。取って黒板の黒板消しとかチョークとか置く場所の端っこに置いてあった画びょう入れに戻しました。ウチの担任の先生、黒板のところに画びょう入れを置く人だったので。そこに置いてあると、壁にお知らせを貼る時にちょうどいいんです。
それが言いたいんじゃなくて、
人気者は地味に意地悪されるんです(違うと思う)。
誰にでも優しいと「私だけに優しいんじゃないんだ」って言って、他に行かれちゃうんです。「違うよ、キミだけ特別なんだ!」って言ったって聞いちゃくれません。
八方美人上等。
できるもんならやってみやがれ。
みんなのヒーローは人知れず苦労をしています。
九郎なだけに。
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