第5話 また会えたらいいね
源平合戦時代の出会いと別れの物語の代表と言っても過言ではない源九郎義経です。ご無沙汰しております。
7回目のテーマが『出会いと別れ』と聞き、やってまいりました。このテーマ、ボクが語らず誰が語る?
出会いと別れは繰り返すものです。
多くの人との出会いと別れを指すこともあれば、ひとりの人との出会いと別れを指す場合もあります。
また、悲劇の英雄と呼ばれているボクに限ることではなく、
ふつうの人にも当たり前に起きています。
それはもう面倒くさくなるくらい起きていることです。
学校では四月になれば出会いだし三月になればふつうに別れが待っています。
旅に出てバスに乗ったけれど他に乗客はなく、目的地まで運転手さんとずっと話していたというのも出会いであり、目的地に着けば別れなければなりません。日常的にも落とし物を拾ってくれた人も出会いだし、二度と出会えなければ別れです。
出会いと別れを数えればキリがありません。
それをひとりの人に限定すると、繰り返す出会いと別れは特別な物になります。でもそれだって珍しいことではありません。占いの本を読めば、当たり前のように書いてあります。
これ、本気で書いてる? と言いたくなることもしばしば。
でも、ボクの知り合いに、何千年も前から親子夫婦で何回も出会って別れてを繰り返しているという人もいます。
「いいですねえ」と言ったら
「そうでもないです」と言われました。
ボクは羨ましいと思いましたけど。
だって、何回も出会って結ばれてを繰り返してるなんて。
その方はお子さんとふつうに前世について話していて、博物館に行って
「これ、自分の」と言っていたそうです。
すごいなあと思いました。
ボクはそういうの少ないんで。
博物館に置いてある物は「これがそうか?」と思うだけです。
むしろ、地形の方がピンと来るものがあります。
死ぬ直前に見た岩とか。
夢で見たのと同じ岩の色違いを見た時は驚きました。
しばらくそこでたたずんで帰りました。
自分が死んだ場所を観に行くなんて無理です。驚いたというか、足がすくんで動けませんでした。
身近な人間に『この人、ずっと前から知ってる気がする』という人がいて、でも改めてそういうことを言う感じじゃないから言ってません。だからお子さんと前世の話ができるその方は羨ましかったです。
だってボクの場合「昔から知っている」と言ったとしても、「それは当たり前だ」と言われるのがオチです。だから言えないんです。それでもまあいいかという程度の相手だからいいんですけど。
来世もまた会うんだとしたら面倒くさいなあと思います。
そう言っても会うんだろうなあ。
あとは、そうだなあ。
丹波哲郎さんには会ってみたかったです。
義経の仲間の一人だったと伝え聞いています。
でも、何の関係もない若造が「九郎だよ」と言って行っても、相手にされないと思いませんか?
だから行きませんでした。有名な俳優さんですから。
お葬式にはちょこっとだけ行きましたけど。
会って話してないから、何もわかりません。
もしかしたら、何かわかったのかもしれないのに。
もしも勇気を出していたら、前世の話で盛り上がれたかもしれません。でも、覚えている部分が違っていたりして、気まずい空気が流れたかもしれません。
お礼とか、言いたかったな。
「こんなボクに付き合ってくれて、ありがとう」って。
ボクはその機会を失ってしまいました。
今の世の中、前世なんて信じてもらえません。
だから「生まれ変わってもまた会おうね」って嘘っぽく聞こえてしまいます。「ロマンチックだね」って言われるのが関の山です。
未来の約束なんて、簡単にするものではありません。
わかりもしないのにするなんて、よっぽどの場合です。
でも、ボクは生きてここにいます。
多くの出会いと別れを見つめながら。
感じながら。
それを信じながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます