第2話 諸刃の剣

 鏡のように磨かれた大理石のテーブルを挟んで、整髪料で綺麗に整えられた白髪のスーツの男は、目の前に座る中年男の顔をまっすぐに見つめていた。


「ここ最近の状況はどうだ。相変わらずかね」


 報告を促された男は、大型のディスプレイにつながるHDMIケーブルを手に取ってノートパソコンに繋ぎ、用意してきた資料を映し出した。


「相変わらず、標的型攻撃らしきサイバー攻撃は続いていますね。子会社のネットワークを踏み台にした不正アクセス、巧妙な手口の標的型メールも増えています。これなんか驚きましたよ、よほど注意をしていなければ管理職からのメールだと見間違えるような出来です」


 男は、ハッカーらしき男が社員になりすまして送ってきたメール画面のキャプチャを映し出した。添付ファイルの内容を確認してほしい、という趣旨のメールには、パスワードを盗み取るためのマルウェアが仕込まれていた。


「政府からの要請に応えて特別事業部を拡張して以降、機密情報を狙ったサイバー攻撃は増えています。特に『ルミエール』の設計図が完成してからは。サイバー攻撃に対応するためのセキュリティ・オペレーション・センターの強化や、セキュリティ人材の採用、最新機器の導入など、一通り手は尽くしていますし、なんとか水際で食い止められてはいますが」


 白髪の紳士はため息をついた。


「犯人の目星はついているのか」


「契約しているサイバーセキュリティ企業が調査していますが、まだ特定には至っていないようです。ハッキングも複数の国のサーバーを経由しての攻撃が多いらしくて……ただやはり、小さなサイバー犯罪グループの規模ではないだろうと」


「そんなことは分かりきっているだろう。私が知りたいのは、どこの、どいつかだ」


 この会社の経営者として、三十年この椅子に座ってきた男だったが、インターネット技術の進化と普及により、これまで培ってきた経験の域を大きく超える脅威が自分の守るべき会社に降り注いでいる。ここ数年でさらに深くなった眉間の皺は、この先の話の行方を思って窮屈なほどに寄った。


「……例の件は順調に進んでいるか」


 次のスライドを開いたところで、さらに先の状況の共有を急かされたので、スーツの男性はエンターキーを何度も鳴らしながら、促された情報を映し出した。


「こちらの計画については今の所予定通り進んでいます。選出された人間の特性による部分もあるので、計画のキックオフ後の状況を見ながらにはなりますが。複数のオプションを用意しながら慎重に進めていければと」


「そうか」


 しっかりと糊のきいたスーツを着た秘書が、目の前に淹れたてのコーヒーを差し入れる。芳しいコーヒーの香りも、重苦しい会議室の雰囲気を和ませることはできなかった。

 遠くから老人を中心としたデモ隊の声の威勢の良い叫び声が聞こえる。拡声器を使って叫んでいるので、高層ビルのガラス越しでもかろうじて音が響いるようだ。白髪の男が立ち上がり、高層ビルの最上階から地上を見下ろすと、「憲法九条を守れ」「戦争反対」「いますぐ兵器の製造をやめろ」などと書かれたプラカードを掲げている市民の姿があった。


「平和を叫んで世界が変わるなら、私だって今すぐそちらに加わりたいさ。だが私が逃げたら、この国は更なる脅威に晒されることになる」


 男は吐き捨てるようにそう言って、深いため気をつく。老人とは思えない、まっすぐに伸びた背に強大な重圧を背負う社長のうしろ姿を、覚悟にも似た気持ちで、会議室の男二人は見守っていた。


 社長の名前は、島木、という。



 二〇XX年、世界は侵略国による危機にさらされた。各国の連携によりなんとかその場は持ち堪えたものの、世界の国々は地政学上のリスクに対してより鋭敏に反応するようになり、自衛のための軍備により国家予算を投じるようになった。


 世界の平和は危うい均衡によりギリギリのところで今は保たれている。日本も例外ではなく、防衛産業の強化に乗り出した。利益の安定しない防衛産業に対し、零細企業から大企業まで日系企業は消極的で、撤退をする企業も多くあったが、そこに政府からの梃入れが入る。白羽の矢が立ったのが、元々歴史的に防衛事業に長く関わっていた島木の会社だった。十数年前に最新型戦闘機の開発部門として特別事業部を拡張して以降、国内外から優秀な技術者を募り、開発を続けてきた。


 そして、そうした努力と汗の結晶は、とんでもないものを生み出したのだ。


「皮肉なもんだよ。戦争を起こさないために、兵器が必要だなんて」

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