ブラインド・デイティング
春日あざみ@電子書籍発売中
望まぬ異動
第1話 ブラインド・デート
それは、旧友からの一通のメッセージから始まった。
Misa『ヤッホー。元気してる?』
山並『ミサ? どうしたの急に』
Misa『久々なのにひっどw あんたさ、今彼氏いる?』
山並『いないけど』
Misa 『ねえ、ブラインド・デートっていうの、やってみない?』
(……久々に連絡をよこしたと思ったら、またこの手の話題か)
ミサは、地元の友人で。常に男のケツを追っかけているような、無理に良くいうなら情熱的な女だった。人懐っこくて、ちょっと気分屋な彼女は、全く正反対のタイプである私にもよく絡んできた。私の何が彼女にとって面白みがあったのかわからないが、大学時代はよく遊びに誘われた覚えがある。米軍基地の事務員として彼女が塀の向こう側の世界へ行き、軍人の男性と結婚してからは、とんと縁がなくなっていたが。
(結婚生活に飽きて、こういう話題が恋しくなったのかな)
私はため息をつきながら、相変わらず弾丸のような彼女のメッセージに返信していく。どうやら彼女は、私とどこかの誰かさんの「ブラインド・デート」なるものをセッティングしたいらしい。
Misa『海外だとメジャーな出会い方らしいよ。友達同士で相談して、フリーの友達を紹介し合うの。友達の友達の紹介ってことになるから、出会い系アプリとかと違って安全だし。しかも当人たちは当日まで、誰が来るかわかんないの。絶対面白いやつでしょ? やってみようよ』
山並『私今は男に興味ないから』
Misa『いつまでも渚君のこと引きずってると、いき遅れちゃうよ』
余計なお世話だ、と思った。眉間に皺がよっていることに気づき、意識的に緩める。渚は、大学時代の彼氏の名前だ。初恋で、とても大事に思っていた相手だったが、私の淡白な反応に飽き飽きしたのか、可愛らしく愛嬌のある女にいつの間にか乗り換えられていた。
「別に、あの男のことなんか引きずってないし」
心の声が口に出ていた。彼と別れたあとだって、何人かと付き合ったことはある。まあ、初めての恋がそんな感じだったこともあって、どこか冷めた目で相手を見てしまって、残念ながらどの恋も短期で終わってしまったのだが。
(もうちょっと可愛げのある表情とか仕草ができてたら、うまくいってたのかな)
生暖かい春の夜風が頬を撫でる。私の立つ新宿駅のホームは、アルコールの匂いを漂わせるオヤジ集団や、東京観光を満喫してきた外国人観光客、デート帰りの大学生らしきカップルなど、さまざまな人間たちで溢れている。表情豊かな人間たちが、少しだけ羨ましく感じた。そして、楽しそうな彼らの様子に、若干の恨めしさも。用事があって会社帰りに新宿駅まで寄り道したのだが、失敗だったかもしれない。
(みんな、楽しそうでいいよね。こっちはやなこと続きだっていうのに)
「どういう事ですか?」
上長から呼び出された時点で、嫌な予感はしていた。予算編成の時期でもなく、決算の時期でもなく、そして月末でもなく。唐突に「ちょっと話があるから、時間をくれないか」と言われた時点で、いつもとは違う何かが起こったのだと思った。ただ、目立った失敗もなかったし、話を切り出されるまで、一体なんの話かは予想もつかなかった。実際、その話の内容はまったく想定外のものだったのだ。
「人事からの指示でね。君は来月付で異動になった。異動先は特別事業部第一部、そしてポジションは、部長秘書だ」
「ちょ、ちょっと待ってください。昨年の人事考課だって、『君には経理のプロフェッショナルとして、より上の地位を目指してほしい』って、課長もおっしゃってたじゃないですか。それが急にこんな」
「うーん。僕もね。君にはぜひ経理課長を目指して今年頑張ってほしいと思ってたんだけどね。うちはジェネラリスト採用じゃなくて、プロフェッショナル採用だから、基本的には人事も、関連部門内での異動しか通常ないんだけどねえ。今回は異例中の異例というか。まあ、ほら、あそこの部門、お堅そうなおじさんばっかりだったし、女性比率を上げたいんじゃないかね」
その言葉を聞いて、私はキッと課長を睨みつけた。
「女性比率の問題だけでこんな異動命令だされたんなら、私はグレますよ」
困ったな、といった表情を浮かべ、課長は眉間を揉んだ。適当なことを言って問題から逃げようとする時、だいたいこの人はこの仕草をする。
「まあほら、君、英語できるし、仕事もすごくできるから。あそこの部門は政府肝いりの事業をやってるわけだしさ。うまくいけば会社で大出世間違いなし! うん、めでたい。以上。さ、仕事に戻った戻った。正式な辞令が出たらPDFで送るから。あ、社内的な発表は、来週のイントラネットでの掲示のタイミングになるから、まだ他の人には言わないでね」
交渉する姿勢も見せてくれないということは、本当に確定事項なのだろう。私はがっくりと肩を落とし、会議室を出た。
今日のオフィスでのやりとりを思い出し、背中が丸まる。ここ五年くらいは恋愛にも疲れて、「もう私には仕事しかない」とキャリアに全てをかけていたのに。もう、お先真っ暗だ。そして私は、お昼に通知は見ていたものの、あえて見ないようにしていた母からのメールを開いた。
『たまには帰ってきなさい。あと、叔母さんがあんたにいい人が居るって、話だけでも聞いてみたら』
(……見るんじゃなかった)
誰も彼も、出会い出会いって。女の幸せは結婚だけだと思わないでほしい。ソリの合わない男と結婚したって、我慢の人生が待っているだけだ。人間関係を複雑にするだけの婚姻契約なんてまっぴら。そんなことするくらいなら、バリバリ稼いで、自分にお金を使って、おばあさんになるまで毎日楽しく暮らす方が絶対いい。
ふん、と鼻を鳴らして、スマホの画面を切り替えた。私とは別世界の、奔放な彼女のメッセージに再び、視線を落とす。
(ただ、まあ。結婚は嫌だけど、多少の刺激は人生に必要よね)
そんな言い訳を頭の中で繰り返しながら、私は指先を画面の上で踊らせる。むしゃくしゃしていたのもあって、普段とは違うことで、ストレスを発散してやろうじゃないか、という気になっていた。元来、スリルのある冒険は嫌いじゃない。
–––––だが、この時の私は知らなかった。この誘いを受けたことが私の人生を左右する大きな選択になっていようとは。
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