神納太鼓の轟く夜に

oxygendes

第1話

 東西に延びる街道の両側に田畑が広がり、その背後には緑豊かな山林が連なっていた。山林の裾野の緩やかな勾配の場所では、開墾して農地を広げるべく野良着姿の百姓たちが鍬をふるっている。互いに声を掛け合って作業し、冷やかし声や笑い声は街道まで届いていた。

 街道を歩いていた一人の旅人がその声に足を止めた。編み笠を上げて百姓たちの様子を眺める。大小の刀を腰に差し、六分袖の小袖に裁着たっつけ袴、打飼うちがい袋を背負った姿は旅の武芸者のものであった。


「いやーあ」

 百姓の一人、弥助が声を上げて四本刃の鍬を振り上げた。

「とお」

 地面に残った切り株の根元に向けて振り下ろす。ガンッ、大きな音を立てて、鍬がはじき返された。様子を見ていた百姓たちから笑いが起きる。

「どうした、どうした」

「へっぴり腰だからそうなるんじゃ」

 はやしたてられた弥助はしびれた手を振りながら睨み返した。

「うるさい、そんなことを云うなら自分でやってみろ」

「おう、俺に任せろ」

 彦十が進み出て、弥助から鍬を受け取った。切り株に向けて振りかぶる。

「そいやっ」

 ガンッ、振り下ろした鍬は同じようにはじき返された。

「あたたっ」

 百姓たちは一斉に笑った。次々に切り株に挑んで行ったが、誰も成功しない。その時、


「俺もやらせてもらえないか」

 野太い声に振り向くと、旅姿の武芸者が彼らのすぐそばに立っていた。百姓たちがたじろいでいると、

「力試しをしてみたいだけよ」

 武芸者は編み笠を脇に置き、鍬をつかみ取って切り株の前に立った。両足を肩幅よりも広げ、ゆっくりと腰を落とす。鍬を頭上に高く掲げ、

「ふんっ」

気合とともに振り下ろすと、鍬の刃は吸い込まれるように地面の中に入って行った。

「うぬっ」

 武芸者が鍬の柄を倒すと、切り株は根元ごとひっくり返って地上に姿を現した。

「おおっ」

 百姓たちが歓声を上げる。だが、武芸者はしゃがみこんで、切断された太い根の切り口を見つめていた。

「どうなされました」

 年配の百姓が声をかけた。

「うむ、振りの中で威力をふるう場所を変えたつもりだったが、思うようにはならなかったわい」

「そうですか」

 百姓は破顔した。

「どうでしょうか、ご覧の通りここには掘り返すべき切り株がたくさんございます。心ゆくまで、鍬をふるっていただければ私どもも助かります。些少ですがお礼も差し上げたいと思います」

「そうか」

 武芸者は白い歯を見せて笑った。

「面白そうだ。腕を振るってみるとするか」

「よろしくお願いします。私は村長むらおさの五郎佐と申します。お武家様のお名前は……」

「俺のことは武蔵むさしと呼んでくれ」

 武芸者武蔵は鍬を握って立ち上がった。


 結局、武蔵はその日一日鍬をふるい続けた。夕方になり、武蔵は五郎佐の申し出により、彼の屋敷に滞在し、風変りな修練を続けていくことを決めた。


 次の日から、武蔵は開墾地で鍬をふるい切り株を掘り返していく生活を始めた。百姓たちとの間に、武蔵が切り株を掘り起こし、百姓たちがそれを運び、土を耕すと言う分担が出来上がって行った。

 十日ほど経った日、その日も作業をしている百姓たちの許に村長の娘、朱音あかね中食ちゅうじきを運んできた。味噌を塗った握り飯と竹筒にいれた湧き水だ。朱音は中食を配り終えると、武蔵のそばに座り込んだ。武蔵は手早く食事を終わらせると、近くの切り株に向かって歩き出した。朱音もその後に続く。


「ふんっ」

 鍬を振り下ろす武蔵に茜が話しかける。

「武蔵様、ほれぼれするような威力だね」

「うむ」

 武蔵は振り返りもせずに応えた。

「剣術の鉢砕きの応用だ。鎧兜を付けた大将でも腰まで分断することか出来る」

「すごいね」

 朱音は指を伸ばした両手を胸の前で合わせた。

「でも、そんなに腰を落としていたら、大将を倒しても周りの家来たちにやられちゃうのじゃない」

「大将を倒せばいくさは勝ちだ。その後で俺がやられてもな」

「朱音は嫌だよ。武蔵様が死んでしまうなんて」

「たあいのないことを」

 武蔵は初めて振り向いた。

女子おなごとはそうしたことを考えるものなのか」

「そうだよ」

 朱音はこくこくと頷いた。

「ねえ、武蔵様は開墾が片付いたらこの村を出ていくつもりなの?」

「ああ、京に出て吉岡一門に試合を挑むつもりだ。その前に身に着けないといけない技が多いがな」

「そうなんだ」

 朱音は武蔵のそばにしゃがみ込んだ。

「親父様は武蔵様がこの村にずっといてくれればいいと言っているよ。開墾が終わってもお願いしたいことがいっぱいあるって」

「それはありがたいがな。俺には日本一の武芸者になると言う夢がある」

「そうか……」

 朱音は大きく息をつき、そして顔を上げた。

「ねえ、今日の夜、鎮守様で神納じんのう太鼓があるんだ。武蔵様も見に行かない?」

「神納太鼓?」

「うん、神納太鼓は男女が連れ立って見に行くものなんだ。篝火がいっぱい焚いてあって、若い衆が太鼓を連打してね、そして……」

「わかった。一緒に行かせてもらおう」

「良かった。約束だよ」

 朱音は立ち上がり、何度も振り返りながら引き上げて行った


 その夜、武蔵は茜とともに鎮守の森に向かった。その腰に大刀小刀は無かった。

「武蔵様、刀は差していなくて大丈夫なの?」

「ああ、刀を持つ敵を相手にするときは差していくがな。どんな時でもその場にある物を得物えものとして戦うのが武芸者と言うものだ」

「そうなんだ」

「この姿はおかしいか?」

「ううん、全然大丈夫だよ」


 鎮守の森の神社では、石段を登った先の境内、神殿の前に直径四尺ほどの太鼓が交差して組まれた丸太の上に置かれていた。太鼓の周り、そして境内のあちこちにめらめらと燃える篝火が焚かれている。境内には三々五々、村人が座り込んで太鼓を眺めている。

「ここらへんに座ろうよ」

 朱音が持ってきて敷物を広げて、その上に腰かける。

「ほら、始まるよ」


 正面に現れた打ち手は弥助と彦十だった。深紅の半纏と膝までの丈の袴を着て、一尺半ほどのばちを二本ずつ持っていた。コンッ、撥同士を打ち合わせた後で太鼓に向かう。

  ドドドドンドドン、ドドドドンドドン

 腹に響く太鼓の音が広がる。

  ドドドドンドドン、ドドドドンドドン

 弥助と彦十は素早く位置を変えながら太鼓を叩く。

  ドドドドンドドン、ドドドドンドドン

 体を回転させ、振り回した両手で撥を太鼓に叩きつける。

  ドドドドンドドン、ドドドドンドドン


 武蔵は二人の動きを食い入るように見つめていた。

  ドドドドンドドン、ドドドドンドドン

 腰が少しずつ上がって行き、遂には完全に立ち上がった。

  ドドドドンドドン、ドドドドンドドン

「こんな動きがあったとは……、通常、剣は足を踏ん張って振り下ろす」

  ドドドドンドドン、ドドドドンドドン

「だが、この動きであれば、移動しながら剣をふるえる」

  ドドドドンドドン、ドドドドンドドン

「体を軸として回転し、両手をやじろべえの両端にしてその勢いを使えば」

  ドドドドンドドン、ドドドドンドドン


 武蔵の様子に気付いた朱音が声をかける。

「武蔵様、どうしたの。太鼓が気になるのなら……」

 後ろから武蔵にしがみついた。

「村人なら打ち手が疲れたら代わりに太鼓を叩くことができる。あたしと一緒に太鼓を叩こ、そうしたら……」

「そうだな」

 武蔵は一歩踏み出した。だが……

「いや、俺が持つべきなのは撥ではない。俺が持つのは……」


 武蔵は身体を翻し、闇の中へ走り去って行った。

「武蔵様、待って」

 朱音は懸命に追いかけたが、武蔵に追いつくことはできなかった。朱音が屋敷にたどり着いた時、そこに武蔵の姿は無かった。荷物は残っていたが、大刀、小刀が無くなっていた。


 次の日もその次の日も武蔵は五郎佐の屋敷に帰ってこなかった。山の中から時折聞こえるけたたましい叫び声から、村人は武蔵は山に籠って修行していると噂した。

 十日ほどが過ぎたある朝、屋敷から武蔵の残りの荷物が消えていた。村人は武蔵が旅立ったのだと推量した。


「朱音、懸想けそう人が行ってしまって残念だったな」

 弥助と彦十が声をかけると、朱音はまなじりを決して怒り出した。

「何言っているの。みんなお前たちが悪いんじゃないか。いいかい、これから何があっても絶対、お前たちの嫁になんかならないからね」

 だが、そう言った朱音も数日後に村から姿を消した。村人たちは武蔵を追って行ったと噂したのだが、彼女の消息を知るものは誰もいない。


               終わり

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