第七章 藩是(2)
***
一柳播磨守の第四子を養子として迎え入れ、丹羽長国は若君を伴って国許へ向けて出立した。
その先触れがあって間もなく、新十郎の元にはまた別な報せが入っていたのである。
新十郎の養父、和左衛門が若君の傅役に就いたという。
そこまでは良い。
「養父は若君を擁して京へ上り、帝の軍に加わろうと企てた様子」
早朝、人の少ない城内で新十郎の静かな声だけが耳朶を震わす。
その内容に、瑠璃は髪の根一つ一つがざわりと総毛立つのを感じた。
咄嗟に鳴海に目を向けると、鳴海の視線もじっと瑠璃を捉える。
先日、降嫁の話で鳴海の口から飛び出した「保護」の一言が急に現実味を帯びたのだ。
戯れのうちと聞き流していたのを悔いた。
こと瑠璃に関しては口煩く、行き過ぎた過保護と思える鳴海の言動には、そうするだけの根拠があったらしい。
「養父は主家への忠義は元より、勤王の志にも篤く、またそうした者とも親しく交友がございました。今後もこうした動きが出ないとは限りませぬ」
新十郎は膝をいざって瑠璃のそばへ寄ると、一層声を低めた。
「丹波様が降嫁を持ちかけたとか」
「よう知っとるの。家中に押し付ける気満々じゃぞ、あやつめ」
「そうなさいませ」
「うんうん、そうじゃろそう──ん? なんじゃと?」
てっきり新十郎も降嫁には反対するかと思っていたが、どうも丹波の思惑に賛同しているらしい。
新十郎がそうなれば、当然一学もまた同意見であると見て良かった。
「殿が幕府側につくと仰せになった以上、帰順を支持する者は若君を担ぎ上げるに相違ございません。更に瑠璃様が若君と婚儀を挙げるとなれば、瑠璃様も帰順論に傾倒しているものと見做されましょう」
新十郎は滔々と持論を聞かせ、一学も深く頷く。
そうなれば、またも藩是が紛糾する恐れがある。と、一学が言い添えたところに、鳴海が身を乗り出す。
「ですから! 事が収まるまで我が大谷家で保護を──」
「大谷は貴様、ちと黙っとれ!」
「んが!? わっ私は瑠璃様の御身を案じてですな……! 一学殿は私に何か恨みでもおありか!?」
「さっき助平じじいと申しおっただろうが貴様は!」
「……あっ、はい。左様でございましたな」
「っとに、貴様は血の気ばかり多うてかなわん」
一学がぼやくのを聞き流し、瑠璃は沈黙する。
鳴海は相変わらず降嫁には反対のようだが、一学、新十郎の二人の発言は強かった。
そこに加えて丹波の存在が二人の言を後押しするとなれば、家格で勝るとも劣らぬ鳴海にとっても手強い相手となる。
「しかしそうは言っても、誰を推すつもりなのじゃ? そう申すからには抗戦派であることは絶対条件なのじゃろ。更に妻や許嫁のおらぬ者となると、なかなかに厳しいのではないか?」
大身の家の嫡子ともなれば、適齢を待たず早々に伴侶を定めていることが多い。
第二子、第三子であっても養子の口を決めている場合が多かった。
瑠璃がそう問えば、新十郎が呵呵と笑う。
「なに、瑠璃様が主戦派の家中と昵懇にしているという話が知れ渡れば良いのです。それなりの者ならば誰でも構いませぬ。話さえ纏まれば、実際に嫁ぐ必要はございません」
「誰でもって、そなた……」
「若君には酷なことなれど、帰順降伏を標榜する傅役の手にある。要らぬ諍いから御身を護るためにも、今は若君にお近付きにならぬようお願い申し上げます」
新十郎は頭は下げず、かわりにじっと瑠璃の目の色を窺うように直視する。
こうして両名が態々瑠璃に釘を刺すのは、瑠璃の日頃の行動をよく見知っているからに他ならない。
城の内外を駆け回り、誰彼となく交友するのを目の当たりにしてきたが故の注進であると思われた。
「相分かった。確かにこれ以上城内で揉めても致し方ない。父上のご帰城後は、重々配慮しよう」
「我らも努めてお護りしますが、瑠璃様もご身辺にはくれぐれも怪しき者をお近付けになりませんよう」
丹羽新十郎。
元藩老丹羽見山の第三子で、丹羽和左衛門家の養子となった彼は藩政きっての駿才と謳われ、代官、郡奉行、郡代心得と進み御側用人となった。領内数々の事件を解決してきた経歴を持つ新十郎に懇々と身辺の注意を促されると、流石に瑠璃もぎくりとする。
「わ、わかった……気を付ける」
何となく気圧されながら返答すると、新十郎はずずいと顔を近付けて、にこりと微笑んだ。
「ついでに城下のお独り歩きも多少お控え下さると有難いのですが」
微笑んではいるが、やや脅迫じみた笑みだ。
「ま、まあ私も剣や護身の心得はある。そこまで心配は──」
「そっちの心配ではございません。昨今の城下には有象無象が引きも切らずに往来し、町人の中にさえ、我が養父と懇意にしている勤王の者もおります。瑠璃様を懐柔せんと企てる者がおらぬとも限りませんので」
「お、おう……、身体的な心配ではないのじゃな……」
「ははは、そこに限りましては、瑠璃様と対峙する曲者の身が案ぜられますな」
「新十郎殿、爽やかに割と無礼じゃな……」
新十郎はくすと笑い、瑠璃の抗議の目をさらりと躱して引き下がった。
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