第三章 砲術師範(3)

 

 

「のう、慶応になって間もなくだったか……。元々この十年は富津のために民には散々に負担を強いていたところじゃ。そこに、更に無理算段をしてゲベールを購入した」

 元治元年の天狗党討伐における出兵の際、二本松藩は戦国さながらの旧態依然とした軍備であった。

 その後に藩は大規模な軍事調練を実施し、その軍備を見直してゲベール銃を八十挺あまり購入していたのである。

 その費用は民からの借上金で賄われている。

「借金などとは名ばかりで、返すあてなどないもの。そういうもので揃えた軍備だというに、尚も旧来のやり方を変えようとせぬ者がまだまだ多いのが現状じゃ」

 事実、武術を指南する者の中にも強硬にその姿勢を崩さない者が多くいた。

 折角購入したゲベール銃を、古式の武衛流では使えないとして譲らない。

 先程貫治の門下が使用していたのも火縄銃。

 銃太郎が瑠璃に持たせた物も火縄銃だ。

「まあゲベール銃では火縄と殆ど変わらぬし、なんなら命中率は火縄より劣るともいうらしいがの。ああ、その後に一応、エンピールも買い入れているようだから、少しはまし──かな??」

 すらすらとよく淀まずに話す。

 問いかけるように銃太郎を振り仰いだ瑠璃は、やや苦笑を浮かべていた。

「銃を持ったこともなかった方が、よくそこまでご存知ですね」

「え? まあ、一応姫君だし……聞こえてくるものはそれなりにある。あとお忍びでふらついていると、色々と耳にするものじゃ。フフン、すごいじゃろ」

 腰に手を当てて胸を張る様は、無邪気な童女のようである。

 黙っていれば花も恥じらう、年頃の、しかも姫君だというのに。

「いえ、別に褒めたわけでは──」

「あァん?」

「ちょっ……凄まないで頂きたい」

 得意満面だったかと思えば、即座にくしゃりと眉間を狭めて仏頂面になる。

 ころころと目まぐるしく変わる表情は一切取り繕ったところはなく、素直な性根がそのまま表れているようで見ていて飽きない。

 その割に急に的を射たことを言うし、今し方の話を聞くに、ただのお遊びでの入門ではないらしいということも伺い知れた。

 昨日、直人から思いがけず筒抜けになってしまった、馬鹿にした言い草を撤回しなければならないだろう。

「あ、あの──」

「まあいずれにせよ、そなたのように新しいものを知る者にとっては、やりづらいことも多かろう。苦労をかける」

 小さく言い掛けた銃太郎の声に重ねて、瑠璃は困ったように笑って言った。

「……いえ、苦労などとは。真に大事なるは士気の高さであると考えております。如何に最新鋭の武器を持ったところで、士気が上がらねば意味を成しません」

「それは尤もだが、そなたの力を発揮するには些か貧弱に過ぎる軍備と思うてな」

 せめて流派を越えて新式の調練に統一出来ないものかと思うが、これもまた困難を極める。

 馴染みのない西洋式の指導に身を入れて従う者ばかりではないし、何より耳慣れない言葉も多様するため、そこで拒絶的な反応を見せる者もいる。

 左右の腕を大きく振って走る西洋走り一つ取っても、家中の殆どが躓くことだろう。

「年功序列、身分の徹底、慣例に従う。これまではそれらがうまく世の中を治めていたかもしれぬが、此度の戦では逆に足を引っ張るような気がしてならぬ」

 瑠璃が語るのは、藩内の現状だ。

 褒められた事ではないものの、確かにあちこち忍んで行っては様々なことを見聞きしているのだろう。

「既によく学んでおいでのご様子。年齢や身分は考慮されるべきと考えますが、仰る通り、慣例については柔軟に対応する体制を築いていかねばなりません」

 家中の一人として身分の序列は譲れないが、銃太郎は概ね同意を示した。

「ところで銃太郎殿」

「は、何か?」

 冴え冴えとした月明かりが降る中、瑠璃はやおら銃太郎の正面に向き直った。

 僅かに首を伸ばしてこちらを覗き込むと、暗がりの中にもはっきりとその目鼻立ちが見て取れる。

 ちょっと近付き過ぎではないかと思ったその途端、瑠璃の指がびしっと銃太郎の胸元を突いた。

「そなた、私の師匠となったのだから、その畏まった物言いはやめてくれぬか? あと姫君と呼ぶのも無しじゃ」

「えっ!? ……いや、そういうわけには」

「他の門弟に示しがつかぬであろう。銃太郎殿の師たる威厳が損なわれるぞ」

 尤もらしいことを並べ立てるが、別に身分を考慮した振る舞いで威厳が損なわれるわけがない。

「ですから、姫君──」

「瑠璃」

「……は?」

「るー、り!」

 口角をひくつかせて後退る銃太郎に、瑠璃は一歩踏み込んでくる。

「はい、練習! る!」

「る、……る?」

「り!」

「り……、って何を強要しとるんですか!」

「篤次郎を呼ぶように私のことも瑠璃と呼べば良いだけじゃ、何が難しい。あとその、ですとかますとかも禁ずる!」

「そんな」

 なかなかに強硬な御命令である。

 すると瑠璃は徐に自らの懐をごそごそと漁り出し、くるりと背を向けてしまった。


 

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