第三章 砲術師範(4)

 

 

 何となく嫌な予感はしたものの、覗き込もうとすると背かれ、その手許を確かめることを拒まれる。

 ややあって瑠璃は、うん、とひとつ肯くと漸く振り向き、許可状を突き出した。

「これでどうじゃ、ここに師は他の門弟と等しく扱うこと! と書いてあるぞ!」

「今それ自分で書き足しただろ!?」

 思わず力強く突っ込んでから、銃太郎ははっとして口許を抑える。

(しまった、乗せられた……!)

「やれば出来るじゃないか。それで良い、それで」

 次は名を呼べ、と迫られるが、銃太郎は手で口許を覆ったまま、黙って首を左右に振る。

「むう……頑固じゃのー」

「当然です。本来こうして言葉を交わすことさえ、生涯に一度あるかないかの──」

「はー……わかったわかった。そなたがその気になったら名を呼んでくれ」

 やっと諦めたのか、瑠璃が踵を返す。

 宵の帷は一層深みを増し、既に数歩離れれば表情も窺い知れない。

 冷え込みもより厳しくなり、白く浮き上がる息を弛ませて、瑠璃はまた城へ向けて歩き出す。

 括り上げられたその長い髪が夜風に靡くと、顔を出していた月が雲間に隠れた。

 一瞬、月とともに瑠璃の姿が闇に掻き消えたような気がして、銃太郎は息を呑む。

「る──」

「ん?」

「あ、……いや、何でもない」

 人の姿が目の前で忽然と消えるはずなどなく、一間程先で瑠璃はくるりと振り向いた。

 銃太郎が思わずその名で呼び止めかけたことには触れず、瑠璃は笑いかける。

「何ならもうここまででも良いぞー? 城はすぐそこじゃー」

「!? だ、駄目に決まってるだろ! 門を入るまで送るからな!?」

「銃太郎殿は口喧しいのー」

 

   ***

 

 銃太郎に伴われて帰り着くと、城の入り口である箕輪門で仁王立ちする人物があった。

「? ……鳴海じゃないか。どうかしたのか?」

 驚いて声をかけると、鳴海は瞬時に目を吊り上げた。

「瑠璃様! 私の教授だけでは飽き足らず、銃太郎にまで強引に弟子入りをしたというのはまことか!!?」

「だ、だから何だと言うんだ? 鳴海が砲術までは教えてくれようとしないから、若先生に頼んだんだ」

 突然何を言い出すのかと思えば、お小言である。

 確かに鳴海には何も言わずに今日になってしまったが、何も怒られる筋合いはない。

「大体、共もつけずになんという軽装で出歩いておられる! 万が一にもご自身に何事かあれば、如何なさるおつもりか!」

 門の篝火に照らされていることも手伝って、鳴海の頬は怒りで真っ赤になっている。

「丹波殿も一学殿も許可してくれたんだ。別に良かろ?」

「あの方らは、瑠璃様が滅法強いと思い込んでいるから、こんな物騒なことまで許可しなさるんだ。よろしいか、斯様な宵の頃に男と二人で道を歩くなど、姫君のなさることではございませんぞ!!」

「物騒ってそなた、砲術のことでのうて、そっちか……」

 一つ言えば、倍返る。

 鳴海のあまりの憤慨振りに、瑠璃も唖然としてしまった。

 兄か、はたまた父かのような怒り方である。

「大谷殿、ご心配は尤もなれど、私もついております。出過ぎるようですが、それには及ばぬかと……」

「そうじゃそうじゃ。銃太郎殿と歩くほうが、そなたについて回られるよりも安全かも知れぬぞっ」

 見兼ねたらしい銃太郎の発言に便乗して、瑠璃は口を尖らせる。

「馬鹿を申されるな! 銃太郎とて男ですぞ!? いつ狼に豹変するか分かったものではない!」

「……大谷殿、それはあんまりではございませんか……」

 激昂した鳴海のとばっちりを食らい、矢も盾もない銃太郎。

 門兵も、なるべく関わり合いになるまいと明後日の方向を見詰めたきりだ。

「銃太郎殿がそんな男であるはずがない!! 私の師匠を狼呼ばわりするなっ!」

「いーや!! 瑠璃様は何もわかっておられん! 大体、何故私に一言のご相談もないのか!!」

「そなたは私の何なのだっ! 逐一そなたに報告せねばならぬ義務などないわ!」

 ああ言えばこう言う、盛大な口喧嘩へと発展したが、瑠璃も鳴海も一向に引き下がらず睨み合うこと暫し。

 どうやら本気で御立腹らしいが、そもそも鳴海にも知らせるつもりはあったのだ。


 

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