第一章 縁の揺籃(3)



「これからの時代は、砲術じゃ! 丹波殿もそう申しておった! 鳴海はもう古い!」

「古……っ!? ちょ、鳴海様が泣きますよ!?」

「そして何より、最新式の砲術など二本松ではあやつの他に聞いたことがない!」

「そうは言っても! 道場なんて通えるお立場じゃないでしょ、姫様なんですからっ!」

「放せ、澪! 私は銃太郎殿を追わねばならぬのじゃ!」

「だーからぁ! 姫様を逃がしたら、私が皆様に怒られるんですよ!?」

「案ずるな、その時は帰り次第私が仇を討ってやろうに!」

「はぁ!? そういう問題じゃ……!」

「土産に菓子でも買って来るから!」

 するり、と袖を引き抜き、瑠璃は一目散に城の西端・本町谷を走り抜けて行った。

「ちょっと姫様!? もーーー! 鳴海様に言いつけますからねー!!」

 

   ***

 

 銃太郎の家とその道場は、城のすぐ北側、北条谷ほうじょうだにという地にあった。

 城からはそう遠く離れてはいないし、城から北条谷への道には辻も一つしかない。

 後を追って見失うことはないだろうが、それでも瑠璃は急いだ。

 雪のちらつく中、小袖に袴姿で全力疾走する姫君を、誰もがぽかんと眺める。

 お忍びは既に常習化していたし、すれ違う家中の中には瑠璃の顔を知った者も少なくはない。

 それでも誰も止めようとする者がないのは、いつものことと分かっているからだろう。

 それを良い事に、瑠璃は本町谷を下り切り、城の正門を横切る。

 更に藩校前を突っ切って、瑠璃は漸く探し人の背中を見付けた。

「いたぁああああ! ちょっと待たれよ、そこの木村銃太郎殿ぉぉおお!!」

 もう辺りを憚ることもなく、声を振り絞ってその背を呼び止める。走る足も更に加速、駿馬にでもなった気分だ。

 瑠璃の大音声に、行き交う人々がぎょっとして立ち返る。

 当然、人より頭一つ分ほど高い銃太郎の背中も、弾かれたようにこちらを振り返った。

 猛烈な勢いで迫るこの城の姫君の姿に、或いは声を失った様子だ。

「そっ、そなたに! も、申し忘れ……、って、で、弟子……」

 やっとのことで銃太郎に追い付き、瑠璃は駆け通しだった脚を止める。

 真っ先に「弟子にしてください」と言うつもりだったのが、完全に息が上がってしまっていた。

 ぜいはあと肩で荒い呼吸を繰り返しつつ、瑠璃は銃太郎の目を真っ直ぐに見上げる。

「でっ、でし……! 弟子っ!」

「え? いやあの、大丈夫ですか。落ち着いて下さい」

 銃太郎が待ってくれるらしいので、瑠璃はひとまず息を整えることに専念した。

 がっくりとしゃがみ込み、数回深呼吸をする。

「し、失礼致します──」

 と、銃太郎が気遣わしげにその背を擦った。

 背中を上下に撫でる手は大きく、温かい。

 その体温のお陰か、幾分早く息が楽になった。

「す、すまぬ。もう大丈夫じゃ」

「いえ、御無礼仕りました」

 しかし、と銃太郎は怪訝そうに瑠璃を見る。

 頭の上から足の先まで、総なめするような視線を受け、瑠璃は首を傾げた。

「なんじゃ?」

「あ、いや、その……、先程と御召し物が変わっておられるので、一瞬どなただったかと」

「私の普段着はこんなものじゃ。寧ろあっちの格好は滅多に見られぬぞ」

「えっ……」

 姫君なのに? というような、信じ難い物を見る目だ。

 城内に詰める大方の家中は、瑠璃の普段着など既に見慣れていて、今では何も言う者はない。

 が、面識すらなかった銃太郎ならばそれも無理はないだろう。

「まあそれは良い。さっきは丹波殿の手前、銃太郎殿に申しそびれたことがあってな。それでこうして追って来たのじゃ」

「はぁ……、何か、御家老のお耳に触れてはいけないようなお話、なのでしょうか」

 そこで、瑠璃はすとんと地面に膝をつき、平伏した。

「ぎょっ!!? え!? 何、なんですか、姫君!?」

「私を銃太郎殿の弟子にして頂きたい!!」

「ちょ、ちょちょっ待っ、え!? いやそれよりお立ち下さ──、は!? 弟子!?」

 まず何から驚けばいいのか、忙しく取り乱す銃太郎。

 丹波との会談では、緊張しながらも始終冷静沈着ぶりを見せていた、あの厳めしさは見る影もない。

 顔を地べたに伏せていても、銃太郎の可哀想なほどの動揺ぶりが窺えた。

 だが、ここで頭を上げるつもりはない。

 何としても、この機を逃すわけにはいかなかった。


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