第一章 縁の揺籃(2)



 丹波は憮然とした様子で息を吐き、やおら銃太郎に目を向けた。

「すまぬな、銃太郎。こちらは主君のご息女、瑠璃姫君であらせられる。が……、まあ何だ、あまり気にするな」

 促されて膝を進めた銃太郎だが、その身は一畳分も離れたところで留めて頭を下げたままだ。

 だが平身低頭していても、その体躯の大柄さは隠し切れるものでもない。

「今日そちを呼び出したのは、そちへ申し渡す儀があってのこと。察しはついておるな」

「はい」

 銃太郎はそう返答し、それ以上の言葉を繋ごうとしない。

 緊張している様子がありありと窺えたが、それも無理はないだろう。如何に藩から期待を向けられているとは言え、銃太郎は家禄六十五石の下士の家柄だ。

 家老座上の丹波を目の前にして、畏まらない道理がない。

「銃太郎、そちに新たに四人扶持を与え、西洋流砲術師範に任じる。以後は門弟を募り、教育に当たるように。よいな」

 丹波の口調はほんの僅かに改まり、銃太郎も更に頭を低くする。

「心して相務めさせて頂きます」

「うむ、頼んだぞ」

 頷きながら、丹波がこちらに視線を寄越す。

 どうやら例の一言を、という合図らしい。

「銃太郎殿、噂はこの私も耳にしています。文武に秀で、またお人柄も素晴らしいとか……。そなたならば良き師範になりましょう」

「有り難きお言葉にございます。不肖ながら、精一杯励む所存でございます」

「よろしくお頼み申します」

 出来る限りの淑やかな口調を心掛け、瑠璃はちらりと隣の丹波を見遣る。

 と、丹波とばちりと視線が絡み、その顔が満足げに頷いた。

 どうやら及第点だったらしいと見える。

 瑠璃は、やれやれと小さく吐息した。

「姫君もこう仰せだ。まあ尤も、大概の者は既に砲術塾の門に入っておる。そちの門弟は主に家中の子弟になるだろうから、張り合いは無いかもしれぬが……」

「いえ、後にこの国を支えてゆくべきお子たちです。その教授方となるならば、そうそう気は抜けませぬ」

 銃太郎はそこでようやっと顔を上げた。

 きりりと引き締まった精悍な面立ちは、無骨で厳めしい。それに大きな体躯が合わさって、一見怖そうな印象を受けた。

 常日頃、鬼の鳴海に稽古をつけてもらう瑠璃が、一瞬身を引いたほどには、気迫に満ち満ちた青年だ。

 その目と一瞬視線が交錯したが、瑠璃が視線を外すよりも早く、銃太郎が慌てたように目を伏せた。

 姫君の顔を真っ向から見る、という行為が無礼にあたると思ったのだろう。

 瑠璃と銃太郎の一連の挙措を見た丹波は、意外そうに首を傾げる。

「ほう? 瑠璃様を委縮させるとは、さすがは銃太郎だのう」

「なっ!? なんじゃと!? 委縮などしておらぬわ!」

「ははは! 瑠璃様のびびり顔なぞ、鬼鳴海の本気の説教でも無い限り、滅多に拝めませんからなー。これ銃太郎、そちのお陰で珍しいものが見られた。礼を言うぞ」

「えっ!? い、いえ、そのような……」

 瑠璃と丹波の会話について行けず、銃太郎は露骨に困惑した顔になる。

 が、瑠璃と丹波のやり取りで、やや緊張が解れたらしい。

 僅かに覗けた銃太郎の笑顔には、人懐こい笑窪が浮かんでいるのが見えた。

「ははは。よいよい、今後のそちの働きに期待しておるぞ」

 

   ***

 

 会談を終え、瑠璃はいつもの袴姿に戻ると、こっそり東屋へ出た。

 今朝の寒さが少し和らいだ気がしていたが、空はすっかり灰色雲に覆われて、ちらちらと雪が降り出していた。

「城の中はほんに堅苦しい。特に相手が老臣となると肩が凝ってしょうがない」

「はいはい、お疲れさまです。それで、今日の丹波様は如何でした?」

 ごきごきと肩を鳴らす瑠璃の傍らには、侍女の澪が苦笑しながら控える。

 澪は瑠璃よりも二つほど年下だが、幼少から傍にいるせいか、姉妹のように気心の知れた仲だ。

「うーん、丹波殿はいつも通りだったんだけど……」

「だけど?」

「私は砲術道場に弟子入りしようと、そう心に誓った!!」

「姫様、話が繋がってませんよ」

「まあまあ、詳しい話は後じゃ! 私はこれから砲術師範に弟子入りしてくる。その間、鳴海や他の目付けどもを何とか誤魔化してくれぬか?」

 澪はぽかんと口を開いていたが、やがてげんなりと溜め息を吐いた。

 今にも城外へすっ飛んで行きそうな瑠璃の袖を、澪はぐっと捕まえる。

「またそんな勝手なこと。姫様には鳴海様っていう贅沢なお師匠がおられるでしょう」

 掴まれた袖を払おうともがくが、澪は結構な力で引き留めているのか、全くその手を放さない。


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