26.踊る
祭りの前の静かな空気は嫌いではない。
ぴんと張り詰めた、澄み切った空気。
今日は観客が大勢いるが、それも気にならない。
それほどに精神が統一されている。
やがて絹は位置について座り、朱色の笛を構えた。
いよいよ始まりの音が鳴る。
ヒュウヒャララ!
初は構えの姿勢を取ると、音に合わせて踊り出した。
ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。
ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。
ドン、ドン、ドンドンドン。
不思議な力が満ち満ちて来るのを感じる。
祝福されているような、応援されているような。
ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。
ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。
ドン、ドン、ドンドンドン。
二人は同じ曲を何度も何度も繰り返す。
マガ神様がニギ神様に成り代わったと確信が持てるまで、この祭りは終わらせはしない。絶対に、絶対に。
強い意志を持って祭りを続ける。
ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。
ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。
ドン、ドン、ドンドンドン。
何十回繰り返したろうか、町の方から人が集まり始めていた。
「おーい、生存者を連れてきたぞー!」
「儀式をやっているって、本当か!?」
捜索隊の人が言った。生き残った村人を三人連れているのが、視界の端で確認できた。
三人は感極まっていた。たった一人の少女が祭りを行なっている姿を見て感動していた。
「祭りだ!! 祭りをやってる!! ああ、何てことだ!!」
「ようし、私たちも一緒に踊りましょう!」
「笛はないが、あの子に合わせて踊るんだ!」
三人は檀上に上がった。そして初の後ろについて、くねくねと楽しげに、そして上手に踊り始めた。
ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。
ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。
ドン、ドン、ドンドンドン。
ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。
ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。
ドン、ドン、ドンドンドン。
みなで踊るのは楽しかった。
あの頃に……家族みんなでお祭りを見に行っていた頃に、戻ったみたいな気持ちがする。心が浮き立つ。
ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。
ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。
ドン、ドン、ドンドンドン。
ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。
ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。
ドン、ドン、ドンドンドン。
十何回も繰り返したところで、異変が起きた。
あたりがさっと暗くなる。
上から何かが降りて来る。
……マガ神様。
マガ神様がやってきた。
天から降臨してきた。
ゆっくりと、祭壇の真ん中に降り立つ。
おどろおどろしい模様の黒い着物。真っ赤なぎょろぎょろとした四つの目。がさがさのしみだらけの肌。異様に吊り上がった眉。恐ろし気な裂けた大きな口。その口に収まりきらないほどの大きな牙。額には歪な形の角が二本。巨人のような体躯。何もかもがおぞましいその姿。
「グオオオオ!」
マガ神様は咆哮した。
初はゾッとしたが、踊りの動作は少しも乱さなかった。
ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。
ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。
ドン、ドン、ドンドンドン。
動じずに何度も何度も踊る。疲れなど忘れて、恐れなど忘れて、一心不乱に。
そのうち、どうやらマガ神様の様子が変だということに気づいた。
うるさそうに、苦しそうに、もがいている。
これは、どうやら。いや、間違いなく。
お祭りが、効果を発揮しているのだ!
マガ神様の衣の色が裾から徐々に変わっていく。黒から朱色に。
背丈がシュンシュンと小さくなって、やや背の高い大人の男性ほどになりつつある。
牙が縮みだした。角が剥がれ始めた。口が小さくなり始めた。肌がだんだんと綺麗になっていった。目が二つ閉じていった。整った顔になり始めていた。
顔の前に、白い何かの欠片が、突如として現れた。お面だ。人の顔をかたどったお面が、互いにくっつき、ひび割れが修復される。そして再びお顔に被さろうとしている。
もう少しだ。
もう少しで、マガ神様はニギ神様に代わられる。
もう少し、もう少し、もう少し。
マガ神様は、断末魔のような叫びを上げて、抵抗している。
全身をぶるぶると震わせている。
苦し紛れに右手を振り上げた。
このままでは終わらせない、との気迫を初は感じ取った。
マガ神様が、がくがくと震える手を動かす。
そして。
マガ神様は、その手に持った笏で、ぴたり、と初の胸を指した。
「!!」
次の瞬間、しゃらりん、と音がして、マガ神様の姿は、めでたく、完全に、ニギ神様の姿に成り代わった。
朱色の衣。艶やかな長い黒髪。白いお面。
そして、手に持っていた笏は、沢山の鈴がついた楽器へと、一瞬で変貌を遂げていた。
ヒュウヒャララ!
祭りは終わった。
初は踊りを終えると、自分の胸と、ニギ神様とを交互に見比べて、「え?」と呆然とした声で言った。
絹が血相を変えてこちらへ走ってくるのが見える。
そして、初の胸の真ん中から、ブシュウッと勢いよく鮮血が噴き出た。
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