第6章 神様

24.特訓


 絹は丸一日かけて、食べ物と飲み物をどっさり持ってきた。

 初はまず水をがぶ飲みし、それからおにぎりをむしゃむしゃ食べた。

「よく噛んでね」

 絹は言った。

「今の初はきっとお腹が弱っているから、よく噛まないと……」

 絹が言い終わらないうちに、初はおにぎりを一つ食べ切ってしまった。二個目を取ろうと手を伸ばす。

 だが頭がくらくらして、うまくおにぎりが掴めない。

「あれえ?」

 初は変な声で言うと、ぱたりと横向きに倒れた。

 息が苦しい。

 絹が驚いて初の肩に手をかけた。

「何か熱いね?」

 続いて額に手を当てる。

「すごい熱だよ!」

「ああ、道理で……」

 呟く初を絹は抱いて移動して、もう少し眠りやすそうな土の上に寝かせた。

「でも、どうしよう、薬は持ってきてないし……」

「ごめんね、絹」

 初は苦しいながらも声を絞り出した。

「踊りの練習……しばらくできそうにない……」

「今はいいよ! まずは死なないようにしなくちゃ!」

 ああ、どうしよう、と絹は唇を噛んだ。頭の中でいろんな考えが巡っているのが初にも分かった。

 ひとまず絹は、懐から布を取り出して、水に浸してぎゅぎゅっと絞り、初の額にそっと乗せた。それから呟いた。

「あ、廃墟になった町のどこかに薬があるかも? 何の薬を飲ませればいいか分かんないけど……。初、熱のほかに何か具合の悪いところはある?」

「あ、頭がくらくらして、息が苦しい、かな……」

「分かった。薬、探しに行ってくるね!」

 絹はフッと消えた。

 初は目をつむった。呼吸を整えて、一眠りしようとする。体力も限界なのか、すぐに眠りに落ちた。


 ぼんやりと視界が霞む。

 絹が額の濡れ布巾を取り替えているのが見えた。

「絹……」

「あっ初、起きた? ご飯は食べられる? 食べやすいものがいいと思って、お粥を一杯だけ盗んできたんだけど。あ、気にしないで。貧しそうな家からは盗んでいないから。死んだ人や豊かな人から拝借しているだけだから」

 絹は一椀の冷めた粥を差し出した。

 薄くない、米粒の入った、どろどろした粥だ。

「食べる」

 初は唾を飲み込んで、お椀を受け取った。

 ずずず、とすする。米の味が体に染み渡る。

「美味しい」

 絹はほっとしたように肩を上下させた。

「良かった、食べられて。食欲があるのはいいことだよ」

「ん……」

 箸がないので、初はお椀に残った粥をぺろぺろと舐めとった。

 それを見届けてから、絹は初の額に手を当てた。そして、いくつかの粉薬と、お椀に入った水を差し出した。

「熱を下げるお薬と、喉を楽にするお薬と、頭痛を治すお薬、って書いてあった。飲めそう?」

「まあ、何も手を打たないよりはましかもね……」

 ぼーっとする頭で薬を一包ずつ受け取り、水で飲み干す。

 吐きそうになった。

 薬がまずかったのではない。いや、まずいにはまずいのだが、それよりも、拷問部屋の時の実験を思い出してしまったのだ。

「大丈夫?」

 絹が心配そうな顔をする。

「うん……ゲホッ」

 初は何一つとして吐き出さないように、お腹を押さえた。

「ちょっと……拷問のことを思い出して……。まだあの時のことが怖いの。すごく、すごく怖かったの」

「そっか……」

 そういえば、と初は思い出した。

 もう一度土の上に寝て、濡れ布巾をかけ直してもらいながら、絹に問う。

「どうして拷問部屋では、絹は一緒にいてくれなかったの?」

「ああ、それは……」

 絹は暗い顔をした。

「あの時は私はもっとニギ神様に近しい存在だったから……マガ神様を軽んじる言葉を言った初のことが、信じられなくて」

「近しい存在?」

「初が前に言った通り、私は生きてた時の私とは違う。もちろん私は私だけど、もう少し、神様の使者っぽい性格になってる。だからあの時、一緒にいるのが耐えられなくなっちゃって……」

「……」

「それで、あの時はニギ神様のそばにいた。初が何されてるか、よく見てなかった……。ごめん」

「……そうなんだ」

「わ、悪気はないの」

 絹は焦った様子だった。

「ただ、私はそういうものとしてニギ神様にお仕えしていたから、どうしてもそうしなくちゃいけなかったの……」

「……いいよ。今はもう怒ってないし」

 初は言った。それから、拷問部屋で起きたことを絹に包み隠さず喋った。

 絹は、息を飲んだり、涙を浮かべたり、初の手を握ったりしながら、一部始終を聞いた。

 しまいにはぼろぼろと泣き出した。

「ごめん、ごめん、初。助けてあげられなくて。私、私、初がそんなにつらかったなんて知らなくて、ひどいこと言った……」

「いいよ、もう。悪気が無いのは分かったから」

 ゲホッと初は咳をした。絹は慌てた。

「話し過ぎちゃったね。今は寝た方がいいよ。つらいことはみんな忘れて、眠ってちょうだい」

「……忘れられるかなあ」

 初は不安だった。

「もし病気が治ったとして、踊りを練習する時になったら、また思い出しそうだなあ……嫌だなあ」

「私にできることが何かは分からないけど、私がずっとついてるよ。守ってあげるよ。嘘じゃないって言ったでしょう? 今度こそ約束するから」

「……うん」

「だから安心して休んで」

「……うん」

 それから初は数日間寝込み、絹は拙いなりに甲斐甲斐しく世話を焼いた。そのおかげもあってか、初の熱は下がり、体力もかなり回復した。

「まだふらふらするけど」

「体を動かすところから始めてみよう。踊りの練習はその後でもいいよ」

「こうしている間にも、マガ神様はいろんな人を殺していらっしゃるんだろうな……。もたもたしていられないよ」

「だから早く踊れるようにならなくちゃ。さ、歩こう。練習をしよう。ほら、私が手を繋いであげる」

 絹は初の手をぎゅっと握った。初はなんだかおかしくなって、ついつい笑い出してしまった。

「ん? どうしたの?」

 絹が訪ねる。

「いや、何だかむかしみたいだな、と思って。絹が生きてた時はさ、目の悪い絹のために、私が絹の手を引いていたのにね」

「あはは、確かに。今は逆だね」

「うん。ありがとう、絹」

「いいの。さあ、行ってみよう」

 歩行訓練は円滑に進んだ。体もだんだん動かせるようになってきた。もっともそれは、曲がった手足でできる範囲に限られてはいたが。

「これなら踊りの練習ができそう」

 初は明るい顔で言った。

「じゃ、やってみよう」

 絹は頷いて、笛を構えた。


 ヒュウヒャララ!


 ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。

 ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。


 ドン、ドン、ドンドンドン。


 初は不自由な手足を懸命に動かして、なるべく正しい動きになるように工夫しながら、踊った。だが、これがなかなか難しい。そして脳裏に拷問の瞬間が浮かんでしまって、気が緩み、初は途中ですっころんでしまった。

「初!」

「平気。体力は戻っているから。あとは私の技術と体と、心の問題」

 初は額の汗を拭いた。

「ちょっと笛なしで練習してみるね」

「分かった」


 ドン、ドン、ドンドンドン。


 足を踏み鳴らすだけなら何とかなる。だが体を前傾姿勢にするとなると、足が疎かになる。そして最も難しいのが、腕をくねくねさせるあの動きだった。初の腕はもう自由自在には動かない。くねくねしようとすると、ガックン、ガックン、と機械みたいな動きになってしまう。

「どうやってくねくねしよう……」

 初は座って、くねくねの研究をした。

「曲がっているのは、手の近くの方だから……肩ごと大きく動かせば誤魔化せるかなあ」

 研究と練習は四、五日続いた。その間、絹は食べ物の調達に勤しんでいた。時折、マガ神様の情報を持って帰る。

「今日は東の方の町でも死者が出たんだって」

 詳細を語らないのは、初を焦らせないためだろう。

 その気遣いがいっそう初を奮い立たせた。

 そしてついに初は、曲がった手足でもそれなりにくねくねして見える方法を編み出し、身につけた。

「絹、いけるかも」

「本当? じゃあゆっくりの速さでやってみようか。つらくなったらすぐに言ってね。体も心も大事にしてね」

「分かった」

 そういう訳で、再び、笛付きでの練習である。


 ヒュウヒャララ!


 ヒャリオヒャラリオ、ピイヒャラリ。

 ピイヒョロヒャリオ、ヒョロヒャラリ。


 ドン、ドン、ドンドンドン。


 あ、行ける、と初は思った。

 踊るのも怖くない。絹がいるから。それに、集中力を極限まで高め、ニギ神様のことを一心に思っていれば、大丈夫だ。

 くねくねくねと滑らかに初は踊った。

 踊り切った。


 ヒュウヒャララ!


 終わりの合図が鳴った。最後までやり遂げたのだ。初は肩で息をしながら、歓喜の表情で絹に抱きついた。

「やった! できたよ絹!」

「すごい! すごいよ初!」

 二人は興奮状態がしばらく収まらなかった。それから、感覚が残っているうちにと、何度か練習を繰り返した。

「ああ、良かったあ!」

 初は心から言った。

 その後、話し合いで、二人は明日の朝にも山のふもとの祭壇のあった場所まで行って、そこで舞いを捧げることを決めた。いよいよ本番という訳だ。

「絶対にニギ神様を呼び戻すよ、初」

「うん。絶対に成功させようね、絹」

 使命を背負った双子の少女たちは、疲れて岩陰に座り込んだ。そして決意を込めて頷き合った。


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