23.村の外
花咲國の首都で、原因不明の怪死事件が一夜にして三件起きた。
一件は、工場勤めの男性。働き疲れて家で眠っていたはずだったが、出勤時間になっても起きてこない。心配した妻が部屋を見にいくと、上から血が滴っている。妻は恐る恐る天井を見た。
男性は体が縦に分断されており、彼の骨がぐさぐさと天井に突き刺さっていて、男性の体を天井に釘付けにしていた。脳みそから臓物までスッパリと潔く切られたその断面図を目にした妻は、その場で気を失った。
二件目は、まだ幼い男児。彼は夜中にぐずり出した。両親はしばらく放っておいたが、泣き声がだんだんとひどくなり、尋常ではなくなってきたので、二人して慌てて明かりをつけた。その瞬間にウッと男児は泣くのをやめた。
両親が目にしたのは、皮膚の色が青黒く変色した男児の遺体だった。顔は泣き顔のままぴくりとも動かなくなっていた。ぎゃあっ、と両親は恐れと嘆きの声を上げ、男児を揺すった。その体からは腐って妙な色になった変なにおいの血肉が、じゅくじゅくと染み出したという。
三件目は、よりにもよって、花咲國の皇帝だった。朝、高位の役人が皇帝を起こしに馳せ参じると、そこには皇帝の姿はなかった。代わりに、長椅子のそばに、ぶにぶにとした赤みがかった桃色の何物かが、海のように広がっていた。
役人は新留村での連続怪死事件のことを耳に挟んでいた。まさかと思い、怖気を振るいながらもそのぶにぶにを掻き分けていくと、中から皇帝の顔の皮膚のようなものが見つかった。あああ、と役人は恐れ慄いたが、辛うじて他の人を呼んだ。こうして宮廷中に皇帝の崩御が知れ渡った。
その日は新聞の号外が出て、皇帝の怪死事件が国中に伝えられた。その新聞の第二の記事は、男性と男児の怪死事件について。そして第三の記事は、新留村での任務で不審死を遂げる軍人や役人の多さに言及したものだった。
皇帝は情報統制を敷いていたので、花咲國の国民は新留村での出来事について多くを知らなかった。いや、ほとんど知らされていなかった。
ただ、新留村の知人と連絡が取れなかったり、新留村に通ずる道路に入れなかったり、新留村に仕事で向かった家族が帰ってこなかったりするので、不信感は広まっていた。何らかの弾圧が行われていることに気づいている者も少なからずいた。気味の悪い沈黙だけが新留村回りの情報を覆っていた。
異教の信仰に詳しい研究者は首都の大学にもいた。彼もまた、新留村に出入りできない事態に不信感を抱いていた者の一人だった。
彼は新聞の取材班に、知っていることを話した。
新留村やその周辺では、ニギ神信仰が浸透している。これを怠るとマガ神がやってきて、人々を残忍な方法で殺して回るのだと、村人たちは信じている。ニギ神信仰では、独特の笛の曲とそれに合わせた踊りが、毎月一日に披露される。
しかしその記事が出回ることはなかった。役人たちは皇帝が死んだ後も皇帝の定めた検閲の法律を遵守しており、異教の教えに関する記事の発行を許さなかった。その研究者は役人から要注意人物と認定されてしまい、哀れにも自由に行動することが困難になってしまった。
そのことを知った研究者の友人が、すぐさま彼から情報を引き出して、手紙を大量に印刷した。手紙にはニギ神信仰の概略がきちんと書いてあり、マガ神様が残忍な方法で人を殺すという点が特に強調されていた。
そして友人は己の正体が分からぬように偽装工作を施して、その手紙を郵便局に持って行き、首都の各家庭にばら撒かせた。
皇帝は出版の媒体を厳しく統制するよう指示していたが、個人的な手紙のやり取りまでは検閲させていなかった。故に、ニギ神信仰の情報は町中に一気に拡散した。それが噂話となって国中を駆け巡るのに、そう時間はかからなかった。
人々の頭の中でさまざまな情報がぐるぐる巡る。
……厳しい弾圧を受けている新留村。その新留村での信仰。人を怪死させる恐ろしい神の存在。そして二名の一般人の死と、新留村の弾圧を命じた皇帝の死。先日首都からいずこへと派遣された大量の戦車。
これらの情報がひとつなぎになるのは、もはや必然的なことだった。誰もがマガ神様の存在を頭に思い浮かべた。
次の日にはもう、「マガ神様の祟り」が人々の間で公然と囁かれ始めていた。新留村で起きている恐ろしい軍事的な何かの影響で、祟りが村を出てこちらにまでやってきたのだと、人々は噂した。
折しも朝刊には新たな怪死事件の数々の情報が掲載されていた。
一件目。富豪の令嬢。家庭教師と勉強している時に突如として立ち上がり、口を開いて「あがあ」と呻き出した。手足が謎の力で引っ張られて、その力の作用するままに全身が裂けて死んだ。まるで古代にあった刑罰の一つ、車裂きのような苦痛に満ちた死に方だった。
家庭教師はあまりの悲惨な光景に正気を失ってしまい、発見された時にはすでに他人と意思疎通が図れなくなっていた。そのため、その日のうちに精神病院に送られて入院が決定した。
二件目。学校の生徒、男の子。授業中に突如として倒れた。左腕が奇妙に膨れ上がっており、その腕で自分の頭を殴り始めた。周囲の制止を振り切った彼は、なおも己を殴り続け、自ら頭部を破壊して死んだ。辺りには血や液体や脳味噌のかけらや頭蓋骨のかけらが飛び散っており、生徒たちは大きな精神的打撃を受けた。彼を制止しようとした生徒たちの間にも怪我人が出ているという。
三件目。町外れに住む老婆。杖をつきながら買い物に出かける途中だった。そこそこ人がいる商店街近くまで来たところで、不意に杖を投げ捨てた。曲がった腰が逆方向に曲がって海老反りになった。それでも体の曲がるのが止まらない。頭のてっぺんから足の先まで、まるで渦巻きのような形になった。頭が背中にくっついていて、全身の骨が折れていた。人体によるまあるいさかさまの渦巻きが完成すると、老婆はころんと地面に倒れた。一部始終を見ていた人々は、最初のうちは茫然自失していたが、やがて恐怖の大声を上げ始めた。現場は騒然となった。
四件目。役人の独身男性。マガ神様の噂話をしていた市民を逮捕しようとした。手錠を無理矢理かけようとした寸前、その手を止めて、「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」と狂ったように笑い始めた。「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」息継ぎもせずずっと笑っている。道行く人がびっくりして歩みを止める。役人は地面に転がってばたばたと手足を動かして笑い続ける。その手足が何故か順々にぽろりぽろりともげた。それでも笑い続ける役人の姿は異常としか言いようがなかった。役人は窒息と失血で死んだ。見物人は唖然とする他なく、マガ神様のことを思って震えていたという。
これらはみんなきっと、新留村から来たものだ。
人々は否が応でもそう思わざるを得なかった。
マガ神様の祟りだ。
マガ神様がやってきたのだ。
皇帝様が新留村を弾圧したから、マガ神様がお怒りになって、暴走し始めたのに違いない。
国中の人が公然と、今は亡き皇帝の政策に、懐疑の目を向け始めた。
これまでの政策を鑑みると、それは奇跡のような状況だった。
軍人と役人の信用は失墜した。
検閲は間に合わなくなり、地下出版の雑誌が飛ぶように売れた。もはやマガ神様の存在とその蛮行は、隠しようがなくなっていた。
マガ神様の殺しは、どうやったら止まる? 誰かがどうにかして止めてもらわないと困る。明日やられるのは自分か、自分の大切な人か、自分の身近な人か……一体誰なのか。戦々恐々としながら暮らさなくてはならない。
そこで人々は、新留村の風習に興味を持つようになっていた。その風習が国の弾圧から解放されれば、ニギ神様が戻って来るかもしれないと考える人が、少なくなくなってきた。彼らは寄り集まり、どうにかして国の目を掻い潜って新留村と接触できないか、模索を始めたのだった。
因みに、そんな動きとは関係なしに、知られざる事件がもう一つあった。他の事件の衝撃性の強さに押されてこのことが市井に知られることはなかったが、関係者が首を捻った事件が確かに存在した。
それはこんな事件だった。マガ神様の犠牲者となった独身男性の家から、お椀が二つと、食料が丸々一抱え分、忽然と消えていたのだ。調査班は盗難にあったものと結論づけたが、それにしては納得がいかない。金品や金目のものは一切なくならず、食べ物だけがなくなるのは解せない。だがこの件は被害男性の死因究明の優先度の高さから、あまり顧みられることはなかった。
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