22.犯人
マガ神様の夢を見る。
何だかいつもと違う、と初は思った。
今度のマガ神様は意識がはっきりしていた。
のそのそとした、当てのない歩き方もしていない。
猫背になってじっと立って、東の方向を見つめている。
四つの赤い目の焦点が定まっている。
まるで何か目的があるかのようだ。
マガ神様の行動に何かしらの理由があるなんて。
そういうことはあり得るのだろうか。
むかし、むかしにも、マガ神様は、目的があって人を殺したことが……。
あった。
村の伝説でちゃんと語り継がれていたではないか。
むかし、むかし、新留村で、怪死事件が立て続けに起こった。
祈祷師はそれをマガ神様の仕業だと説明した。
「ただし、最初の怪死事件は人がやったものだ」。
「最初の事件の犯人は、既にマガ神様に殺されている」。
マガ神様は基本的に無差別に人を殺すが、標的を定めて殺した例が一件だけあったのだ。
最初に人を殺した犯人を、マガ神様は探している。
今回は……そうだ、今回もマガ神様は、人が大勢殺されている状況下で、お目覚めになった。
だから、今、その大惨事の犯人を、探している。
ここには、人を殺した犯人が沢山いる。
沢山の軍人が沢山の人を殺した。
彼らが全員死ぬのか、それとも……。
マガ神様は迷うことなく、ただ一点のみを見つめている。
東の方向を。
新留村の東の先には、花咲國の首都がある。
花咲國の首都には宮殿があって、そこには花咲國の皇帝様がおわす。
ニギ神様の信仰を禁じ、信者たちを殺すよう軍に命令を下した、皇帝様が。
今回の惨事の犯人は、それは……。
ふっと、マガ神様は宙に浮かんだ。
気づくと初は、マガ神様について、花咲國の首都にまで転移していた。
どくんどくん、と心臓が鳴った。
マガ神様は、黒い塗料と金の装飾で彩られた、豪奢な宮殿へと飛んでいった。
最上階の一つ手前の階には、周囲を見張らせる廊下がぐるりとめぐらされている。
マガ神様はすとんとその欄干に降り立った。
そこから再び飛翔して、最上階まで辿り着く。
宮殿の外壁をするりと通り抜けると、皇帝のいる部屋へとまっすぐ向かっていく。
皇帝は部屋の中で長椅子に寝そべってすやすやと寝息を立てていた。
普通の人と同じような、動きやすい形の綿織物の服を着ていた。
顔は、何てことない、その辺にいそうなおじさんの顔つきだった。
中年らしく、顔にはいくつかの皺が寄っている。
頭は禿げていた。
こいつが皇帝、と初は思った。
こいつが村人たちを皆殺しにした犯人。
何て、おぞましい。
マガ神様が右手を上げた。
その手には笏を持っている。
マガ神様はゆっくりと腕を下ろした。
ぴたり、と笏で皇帝を指した。
……。
ぶくっ、と皇帝の両頬が膨れた。
ぶくっ、ぶくっ、ぶくぶくぶくっ。
全身が膨れる。
まるで脂肪の塊になっていくかのようだ。
顔はみるみるぱんぱんに膨れて、見た目はもう全くの別人だった。
びりっと服が裂けて、服の留め具が弾けて飛んだ。
全身が贅肉で雪玉のように膨れている。
みっともなく垂れ下がった肉。
皇帝は何か寝言を言って、長椅子からこぼれるようにして落下した。
その間にも皇帝は肥え太っていく。
もう、その体積は、本来の姿の三倍くらいになっていた。
まだまだ膨らむ。
どんどん膨らむ。
やがて伸びきった皮膚が、あちこちで破れた。
少量の血が流れる。
でろでろでろ、と桃色の肉があふれ出る。
どんどんあふれ出る。
肉があふれ出るよりも速い速度で、皇帝の肉は増え続ける。
よく見るとその顔色は少し黒ずんでいた。
脂肪に圧迫されて窒息しかけているのだ。
皇帝は目を覚ましていたが、もう声も出せなくなっていた。
口から血を吐いた。
内臓も圧迫されているのだ。
皇帝の皮膚はもう見えなくなっていた。
全身があふれ出た肉で覆い尽くされていた。
その間をちろちろと血が流れて行っている。
メキメキと音がした。
本体はぐしゃぐしゃに潰れていた。
皇帝はただの肉の海になっていた。
もう息はない。
マガ神様は満足したように頷くと、あのいつもののそのそ歩きを始めた。
瞳も四つばらばらに忙しなく動き出した。
まだ、殺すつもりなのだ。
災禍は新留村の内には留まらなくなったということだ。
今にきっと、国中で怪死事件が多発する。
花咲國はもうおしまいだ。
笛と踊りを知っている村人はおそらくほとんど死んでしまった。
誰もマガ神様をなだめられない。
この、皇帝の死は、これから始まる大災害の皮切りとして、実に相応しかった。
ああ、おしまいだ、おしまいだ。
初は汗びっしょりで目を覚ました。
絹の白い着物の背中が見える。
撃たれた銃痕が綺麗さっぱり消えている。
「絹、絹」
初は震える声で呼んだ。絹はさっと振り返った。
「どうしたの、初」
「マガ神様の夢を見た。マガ神様は皇帝を殺した」
「皇帝を?」
絹は首を傾げたが、やがて得心したように頷いた。
「村の伝説にある通りだね。マガ神様は殺しの犯人を殺したんだ」
「でも、それだけじゃあ収まらないよ。きっとマガ神様は国中の人を殺すよ」
「国中かな?」
絹は真顔だった。
「え?」
「世界中じゃないの? マガ神様が首都まで移動できるということは、……新留村に留まらず他の地域でも力を発揮できるということは、……大陸の隣の国にも、移動できると考えた方が良いよ。もしも海を越えられるなら、それこそ世界中だよ」
「……」
「初、お祭りをしよう」
絹は言った。
「お祭りをしよう、初。この災いを止められるのは、もう私たちだけだよ」
初は冷や汗が出るのを感じた。
「わ、分かっ……た……」
今や初を痛めつける者はいない。誰かがこの山奥まで入ってきて初を殺しにかかるとは思えない。
だから怖くない。踊れるだろう、きっと、きっと。
絹は初の返事にほっと息をついて、懐から笛を取り出した。初はふらつく足で立ちあがった。ふうーっと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。絹も、心を落ち着かせるようにして深呼吸をし、大きく息を吸い込んだ。
ヒュウヒャララ!
初は足を踏み出した。
がくがく震える足で舞いを舞った。
歪んだ手をくねくね動かした。
痛む足を踏み鳴らした。
ドン、ドン、ドンドンドン。
……。
気づくと初は茂みの中にぶっ倒れていた。
絹が心配そうに初を覗き込んでいる。
「目が覚めた? 良かった」
絹は言った。
「踊りの途中で倒れちゃったから、心配したよ」
「じゃあ、お祭りは手順通りにできなかったんだ」
「うん」
初は悲しくなった。
「今の私には体力が無いよ。食べ物も丸一日食べていないし、それまでにもずうっと、水みたいなお粥しかもらえていなかったし……」
「でも、働けていたでしょう」
「何とか、ね。踊りを正確に踊るのは、働くのとちょっと違う感じがする。それに、今もまだ踊るのが怖い気持ちが残っているし。今は難しいかも……」
絹は目を伏せた。
「じゃあ私、食べ物と水を取ってくる」
初は目をしばたたいた。
「盗むってこと?」
「うん」
「いいのかな」
「人が死ぬよりましでしょう」
「そうだけど」
「盗んでくる。初は誰にも見つからないように気を付けて待っていて」
絹は一歩足を前に出したかと思うと、姿を消した。
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