19.加速
マガ神様の夢を見る。
白い空間をうろうろと彷徨っておられる。
マガ神様は何も考えておられない。
笏で指した人を殺す、ただそれだけの存在だ。
何となく殺そうと感じたものを殺すために徘徊する。
ただそれだけ。
何となく、自分を呼び覚ました小娘を殺そうと感じていたが、そんな動機さえも意識の混濁の中に埋もれてなくなってしまった。
そんな災害そのもののような存在だ。
その中に理性のようなものがあるとすれば……。
それはニギ神様の存在だ。
マガ神様の中にはニギ神様が閉じ込められている。
再び笛と舞いが捧げられる時を待っている。
「ニギ神様ーぁ……」
初は呼ばわった。
「ごめんなさい。ニギ神様をこんなお姿にしてしまって。さぞやおつらいでしょう。私が悪いんです。怖くて踊れなかったんです。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……ううう……」
初はそう言って泣き伏した。
マガ神様は依然としてうろうろと当てもなく歩き回っている。
初の声は届かない。
……そんな、夢だった。
インチキ祈祷師の助言によって、軍人による村人への締め付けは、尚いっそう強くなった。
あの「皇帝様、万歳! 天神様、万歳!」の掛け声は、毎日やることになった。労働中に受ける暴行も苛烈さを増した。それから、拷問部屋に連れて行かれる人の人数が大幅に増えた。
ある時、初が畑の雑草をむしっていると、動きが遅い、と監視兵に目をつけられた。
「すみません」
だが不自由な手足ではなかなか思うように動けない。
すると監視兵は怒鳴った。
「態度が悪いんだよ態度が! 俺にへつらえ! そしてさっさと動け! 動けっつってんのが分かんねぇのかこのクソガキがよぉ! 遅ぇんだよいい加減にしろ! 遅えなあこのクソガキが! クソガキが! クソガキがァーッ!」
驚く初に、監視兵は鞭を振り上げた。
あっという間だった。絹が止める隙も無かった。
左の二の腕に衝撃が走った。
初は細い悲鳴を上げた。
「さっさと動けぇーッ!」
監視兵は雷のような声で怒鳴ると、痛みで転がる初に背を向けてその場を去った。
絹が急いで、初の破れた服の袖から、傷の様子を見た。
皮膚が裂けて肉が露わになっている箇所があった。
血が後から後から出てきて止まらない。絹は傷を強く押さえて止血をした。
動けと言いながらこれほどの怪我を与える。理不尽なことこの上ない。
だがマガ神様の方がもっと理不尽だった。
今日は何人死んだ、こんな状況だった、と怯えた村人や監視兵たちが語り合う。それぞれの情報は一致していなかったが、さまざまな噂を繋ぎ合わせて考えると、毎日だいたい十人前後が犠牲になっているようだった。
それが五日経つと十五人に。
十日経つと二十人に。
死に様の凄惨さも、どんどん増しているらしかった。
今朝は拷問部屋の主任がやられたらしい。その話を聞いた時、あの女の人か、と初は体をこわばらせた。顔を思い浮かべるだけでおぞましい、あの冷血な人間。その死に様は、体が縦に細長く細かく規則正しく裂かれた状態だったそうだ。見た人によると、ぺろりぺろりと体の右側から一枚ずつ体が裂かれ始めたので、じわじわと迫る死と激痛の中で拷問官は悲鳴を上げて暴れ回ったそうである。そして彼女がこときれると、ばらばらと一気に最後まで裂かれ終わったのだとか。
はあ、と初は嘆息した。彼女の死に対して何も思うことは無かった。……依然として踊るのは怖い。体の芯が凍ったような気持ちになる。
その日は初の前にもマガ神様が現れた。ここしばらくは夢以外ではその姿を見かけなかったから、初はゾッとした。小屋を建てるための木材を運んでいる最中だったが、それを投げ打って、咄嗟に絹にしがみつく。
「大丈夫」
絹は言い聞かせた。
「おい、何すんだよ! 殺されるぞ! 馬鹿ガキ!」
木材の反対側を持っていた村人が、急に仕事を放り出した初を叱りつけた。初はぱくぱくと口を動かした。その様子を見た村人は、徐々に顔色を失わせていった。
「……おい……お前って、例の娘っ子だよな……? マガ神様か……? マガ神様がいらっしゃるのか?」
初はこくこくと頷いた。
周囲の人々は唖然として作業の手を止めた。
「マガ神様!?」
「嫌だ、せっかくここまで生き延びたのに!」
「見逃して下さい、見逃して下さい、お願いします!」
見張りの軍人は激怒した。
「おい、誰だ! マガ神様などと言ったのは! 異教の信仰は禁じるとあれほど……! この分からん奴らめが!」
それから銃を乱射した。村人たちはこの世の終わりのような悲鳴を上げて逃げ惑う。
マガ神様はうろうろと迷っているかのように足を運んでいた。人の姿が見えていないかのようだった。ぐるぐると同じ場所を回ることもあれば、誰もいない方角へと向かうこともある。かと思えばぐるりとこちらに顔を向けて振り返り、笏を持ち上げたりする。その行動の原理は皆目分からない。
そして今回指されたのは、銃を乱射した軍人だった。
彼は銃を取り落とした。
村人が目を見張って彼を見つめる。その視線には安堵の気持ちと恐怖する気持ちの両方が含まれていた。今回の犠牲者が自分では無かったという安堵と、もしかしたら追加で自分もやられるかもしれないという恐怖。
軍人の皮膚が割れた。そして彼は、一瞬にして、赤ちゃんのような大きさにまで縮んだ。バキョッと骨が砕ける。皮膚も筋肉も縮んで、縮みきらなかった血肉が、身体中の裂け目からでろりと溢れ出る。折れた骨も所々突き出している。これで、真っ赤で小さな肉塊の完成である。
災禍は以上で終わりだった。人々は今度こそ安堵した。
マガ神様の祟りにさえ、人々は馴染み始めていた。いかに残忍な殺しが目前で起きても、恐怖の感情が鈍ってしまっていて驚かなくなってしまっていた。
とはいえ、怖いものは怖い。次は自分だと誰もが震えている。
「マガ神様の殺しは加速している。誰も祭りを捧げないからだ」
村人たちの意見は一致していた。
ところが役人たちの意見はこうだ。
「天神様のお怒りが収まらない。もっと異教徒への締め付けを強化しなければ」
監視兵の話を聞いた初は、うんざりしながら、以前よりも薄くなった粥をごくごくと飲んだ。
お腹が、まだ足りないとばかりに、ギュルギュルと鳴った。
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