18.祈祷師


 村人は、初を小屋の入り口付近の寝心地の悪い場所で眠らせたり、足を引っ掛けて転ばせたり、わざとぶつかったりして初の作業を遅らせたりした。遠回しに初の体力を奪ったり、射殺される可能性を高めたりするのが、村人たちのやり口だった。それに、誰も口を利いてはくれない。

 初は心が寒くなるのを感じた。村人たちは運命を共にする仲間だと思っていたが、今や忌み嫌われてしまった。ただでさえ極限状態なのに、心の支えをまた一つ失ってしまった。

 今や初が頼れるのは絹だけだった。その絹も、時々言動がおかしいから、少々心もとないのが難点だった。

「いや、仕返しとかしなくていいから……」

 初は、足を引っ掛けた村人を殴りに行こうとする絹を、そう言って止めた。

「何で? ああいうのは放っておくと調子に乗るからよくないって、初がいつも言ってたんじゃない」

「まあ、確かに……。でもほら、おおごとになると監視兵が来ちゃうから……。あんまり騒ぎを起こしたくないんだよね」

 絹は聞く耳を持たず、村人の腹部を思い切り殴った。

 見えない謎の力による強烈な打撃を食らった村人は、顔を青くした。

「マガ神様……か……!?」

 怯えた目で初を見る。

「お前、マガ神様を呼んだのか!?」

「そう思うなら悪戯なんてしなければよかったのにね」

 初はもう諦めて、あえて意地悪を言った。

 うわあああああああ、と村人は叫んで、半狂乱になって駆け回った。手足を滅茶苦茶に動かして暴れている。

「嫌だあああああ!! 殺される! 殺される! 殺される! 殺される! マガ神様に殺されるぅ!」

 ダァン、と彼の頭に銃弾が命中した。彼はばったりと倒れた。

 ちょっと言いすぎたかな、と初は思った。

 こんな、本来なら恐ろしいはずの光景も、今や慣れてしまって何とも思わない。


 午後、薄すぎる粥を流し込んだ初は、みんなで死体を埋める溝を掘る仕事に行かされるところだった。

「そこのガキ、来い! お前だ、お前!」

 役人に呼ばれたので、初は列から外れて、足を引きずって役人の後を追った。絹もてくてくとついてくる。

 コンクリートの高い壁の近くに、人だかりができていた。初はそこから少し離れたところに立たされた。

 役人たちの話しぶりからして、どうやら外部から客がやってきた様子である。珍しいこともあるものだ。

 客の正体は祈祷師だった。普段は天神様をお祭りする仕事をしているらしい。昔ふうの紫色の立派な着物を着ていて、頭には烏帽子を乗せている。初の目には何とも珍妙な姿に映った。

「資料で送った通り、このところ怪死事件が相次いでいる。とても人のできることではないと判断したのだが」

「そうですか」

 祈祷師は厳粛な面持ちで頷いた。

「では天神様にお伺いを立ててみましょう」

 初は若干の期待を込めて祈祷師を見守った。彼は地面に布を敷くと、その上に座り、木でできたお盆を置いて、その上に握り飯やら果物やらを乗せた。

 初のお腹がグゥと鳴った。湧いて出る唾をごくりと飲み込む。

 祈祷師は、紙の飾りがついた不思議な棒を取り出して、それを左右に振った。さらりさらりと紙が揺れる。祈祷師はその動作を繰り返しながら、目を瞑って、何かお祈りをしていた。時折、不可思議な謎の言葉を呟いている。よく聞き取れないが、初にはこんなふうに聞こえた。

「あんやーまいまーあいやーまんまー。ほにゃほにゃほにゃほにゃ。ぶつぶつぶつぶつ……。あんやーまいまーあいやーまんまー」

 あれで天神様と対話していることになるのだろうか。甚だ怪しいと初は思った。そもそも天神様と会話しても何にもならない。これはマガ神様のなさっていることなのだから。だが、何も言わずに見守ることしか初にはできない。

 やがて祈祷師は儀式をやめて厳かに立ち上がった。

 そして頓珍漢なことを言った。

「一連の事件は、天神様からの天罰です」

 はあ? と、初は思い切り顔をしかめた。このインチキ祈祷師が。村の伝説にあるような祈祷師とは大違いだ。

「うふふっ」

絹は笑った。

 役人たちは、動揺してどよめいていた。

「こんなことがあり得るのか……」

「天神様がこれほどひどい罰をお与えになるとは。初めて聞いた」

「天神様はよほどお怒りなのだな? 我々はどうすればいい?」

 祈祷師は重々しく頷いた。もう、その動作も顔つきも何もかもインチキくさくてたまらない。初は羽虫を見るような目で彼を見ていた。

「天神様は異教がいまだ蔓延っていることにお怒りです。その取り締まりが甘いということにもお怒りでいらっしゃいます」

「なるほど……。それと、祈祷師、お前に是非見てもらいたいものがある。おい! こっちへ来い!」

 役人は急に大声を出して初を呼んだ。初は背中を乱暴に押されて前に進み出た。

「この小娘なのだが」

「ああ、これが、資料にもありました、神の罰を免れた者ですか」

「その通りだ。何が起こっているのか説明してくれ」

「ふーむ。そうですねえ」

 祈祷師はじろじろと初のことを見た。上から下まで、前から後ろまで。そして、非常に間抜けなことを言った。

「たまたまでしょう。まぐれです。この娘からは特別な力や聖なる力は感じられません。ただ運が良かっただけです」

 役人たちはお喋りを始めた。

「まぐれであのおぞましい厄災を逃れるとは……」

「何と運の強い奴なんだ」

「軍人でさえ天神様のお怒りに触れたというのに」

 初は呆れ果てて、こっそり溜息をついた。

 絹は再び、実に愉快そうに「うふふっ」と笑った。

「ふふっ。うふっ。うふふふふふふ!」

 そんなことより、あのおにぎりや果物なんかを食べたいなあ、と初はぼーっと考えていた。まあ、食べた後のことが恐ろしいから、絹に頼んで取ってきてもらったりなどはしなかったが。


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