17.一人だけ


 絹の言う通りだった。

 翌日、壁内の怪死事件は十件に増えた。

 因みに死者数はもっといる。いつも通り銃弾や病院で殺された人が何名か。それから、壁の外に出ようとして撃ち殺された人が一人。……これは本当に外へと逃げ出そうとしたのではなく、現状に絶望するあまりわざと殺されに行ったのだ、という見解が、村人たちの間では主流だった。

 それほどまでに村人たちの精神はすり減っていた。

 軍人やお役人たちも、さすがにこれはおかしいと思い始めたようだった。十人の怪死事件はどれも凄惨なものだったらしい。いずれも、人の形を保っていなかった、という話である。なお、初の目の前で殺された一人は、脳と内臓が破裂したようで、随分と派手に肉を周囲に撒き散らしていた。目撃者も大勢いた。こんな死に方をする病気など聞いたことが無いと、軍人たちは青い顔で囁き合っていた。

 初が畑の雑草をむしっている間、監視兵たちは集まってひそひそと話をしていた。

「天神様がお怒りなのだ。ここの村人が異教を信仰するのをやめないから」

「ならば何故、我々軍の者もやられている? 我々は心から天神様を信仰し、皇帝様を敬愛しているではないか」

「……まさか、異教の神の仕業か?」

「お前、何を言っているんだ」

「新留村の村人どもの信仰する神が、暴れ出したのではあるまいな……」

「おい、冗談でもそういうことを言うのはやめろ! 天神様の他に神などおられない。異教の神が存在するなどと思うのは、もってのほかだ!」

「では何故こんな天罰のようなことが次々と起こっている!? 我々が殺されるのも天神様のご意向だというのか」

「……そうだとしたら、我々は何かを間違っているのか……?」

「間違いであろうはずがない。天神様に選ばれし皇帝様が下されたご命令を忠実に遂行している我々が、天神様のお怒りに触れるなど、おかしいではないか」

「きっとやり方が足りないのだ。もっと徹底的に異教徒を弾圧しなければいけないのだ。このままでは生ぬるいということではないか?」

「……これでもかなり厳しくやっているつもりなのだがな」

「しかし、それ以外に理由は思いつかない……」

 みんな馬鹿だなあ、とぼんやり初は思った。素直にマガ神様の存在を認めたらいいのに。そうしたら何が起こっているか分かるし、解決策だって分かるのに。


 だがそのまた翌日、そんな呑気なことは言っていられない事態となった。

 怪死事件に疑問を持った軍が、とりあえずの策として、村人への弾圧を強化し始めた。

 村人たちは列を組んで並ばされ、銃を向けられた。

「皇帝様、万歳! 天神様、万歳!」

 みんなは声を揃えて言った。

「声が小さい!」

 軍人は恫喝した。

「皇帝様への尊敬の念が足りん証拠だ。もっと大きな声で!」

「皇帝様、万歳! 天神様、万歳!」

「よし、行ってよし。とっとと働け、ゴミカスどもが。次の組!」

 指名された初たちは急いで並んだ。初は軍人の後ろにマガ神様が佇んでいるのを見て震え上がった。絹が初の手をぎゅっと握った。

「さあ言え!」

「皇帝様、万歳! 天神様、万歳!」

 次の瞬間、初以外の村人たちが、溶けた。

「!?」

 体の全ての構成要素がどろどろの液体に成り果てていた。血も骨も肉も皮膚も臓腑も脳みそも髪も何もかもみんな。

 初の足元はぬめぬめの粘っこい水たまりとなった。足を上げると、ねちゃあと液体が糸を引いてついてきた。

 軍人は恐怖の叫びを上げた。後ろに控えている別の組の村人たちも同様だった。

「何だこれは! 何だこれは! 何だこれは! 何なんなんだなんなんななななななななななななななななななななななななななな」

 軍人は全身を機械のようにガタガタさせ始めた。

「なななななななななななななななななななななななななななななななななななななななな」

 初は青い顔で軍人を見ていた。この人も様子が変だ。

「ななななななななななななななななななななななななななななななななななななゴバアッ」

 軍人の口から臓物が溢れ出た。それらは異様に膨れ上がっていて、とても人体に収まりきらない大きさだった。軍人の姿はさながら、本体が木の幹で、口から真上に飛び出した臓物が枝葉という、ちょっとした巨木のような有様だった。

 キャーッと再び悲鳴。村人たちは恐慌状態に陥った。中には初を指差してこう言う者もあった。

「何であの子だけ無事なんだ! 何であいつだけ! あいつがやったのか!? あいつがマガ神様をけしかけたんだな!?」

 こらっと叱る声もある。

「この愚か者が。マガ神様は人間の言いなりになるようなお方ではない! 滅多なことを言うな!」

「じゃあ何であいつだけ無事なんだよ! あいつだけ! あいつ一人だけ! あいつは何か知ってるんだ! そうに決まってる!」

「およし! そんなこと言ってあの子の気に障ったら何をされるか……!」

 初はすっかり慄いてしまった。絹は初にぎゅうっとしがみついている。

「わ、私は……」

 何と言えばいいのか分からない。絹がついているから特別に助かったと、正直に言うのか? そんなことをしたら……妬まれる。疎まれる。恨まれる。この閉鎖的な空間で、村人にすら嫌悪を向けられるようになったら……どうなるか分からないが、多分すごく恐ろしいめにあうに決まっている。

 だが初が何と言おうと、事態はもう手遅れだった。

「醜い顔をした、手足の曲がった少女だけが、マガ神様の被害を免れた」。

 その事実は変わらない。この話もまたすぐに広まった。

 その日から初を襲う恐怖は三つになった。

 軍人からの銃弾。

マガ神様の祟り。

そして、村人たちからの嫌がらせ。


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