14.変貌


「初、お祭りをしに行こう。お祭りをしに行こう。お祭りをしに行こう。お祭りをしに行こう。お祭りを……」

「絹、やめて」

 初は頭を抱えて呟いた。

 真夜中、小屋で休んでいる時だった。

「お祭りなんて怖くてできないよ」

「お祭りなんて? お祭りは大事だよ。ニギ神様がお喜びになるよ。マガ神様が来なくなるよ」

 絹は初の曲がった手を引っ張って、またしても無理矢理立ち上がらせた。

「絹……やめて」

 呻きを上げても一向に聞いてもらえない。

 絹はまた、農地の真ん中まで初を連れて来た。

「いくよ、初。踊ってね」

 絹は笛を口元まで持って行った。


 ヒュウヒャララ!


 やむなく踊ろうとした初の全身に、汗がどっと湧いて出た。初の全身が固まった。

 ……できない。怖い。苦しみと痛みの記憶が蘇る。

 無理だ。無理、無理、無理、無理……。

とてもできない! 怖すぎる!

 動け、体。

動け、動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け……。

 初がいつまでも踊りを始めないので、絹はカッと目を見開いて笛を下ろした。

「初、お祭りは手順を間違えちゃいけないんだよ!」

 焦った口調で絹がなじる。

 そうだ、合図があったら始めなくてはいけないのだ。でも、でも。

「無理……できない……踊れない……」

 初は荒い息を吐いていた。汗がぼたぼたと滴る。震えが止まらない。そんな初の様子を見た絹は、初の背中をぽんぽんと優しく叩いた。

「もう一回やってみよう。もしかしたらやり直せるかも」


 ヒュウヒャララ!


 それでもやはり初の体は、どう頑張っても、動かなかった。石のように硬直したまま、指先一つ動かすことができない。汗ばかりが出る。足ががくがくし始めた。初は土の上にぺたんとへたりこみ、げほげほと咳き込んだ。胃液が喉からせりあがってきて、初はオエッと吐いた。

 絹は白い顔を更に白くした。

「……駄目だった!」

 絶望的な声で言う。

「ニギ神様をお守りできなかった!」

 そして悲鳴に近い声でこう叫んだ。

「マガ神様がやってくる……っ!」

 さあっと、初と絹の間に、神の光が降臨した。

 ニギ神様が降りて来られる。

 ニギ神様は、「うぅ……うぅぅ……」と呻いていた。

「ニギ神様! お気を確かに!」

 絹が縋り付いたが、ニギ神様は手でそれを払った。絹は地面に転がった。

「ニギ神様!」

 絹はなおも呼ばわるが、返事はない。

「うぅ……あぁぁ……」

 メキメキメキッ、と音がした。ニギ神様の大きな背丈が更に大きくなっていく。体が裂けんばかりの勢いで縦横共に成長する。

 次いで、ザァァッ、と不思議な音がする。ニギ神様がまとっていた衣の色が黒く染まる。長い袖には、ばらばらになった人間の体のような紋様が浮かび上がる。手に持っていた鈴は、いつの間にやら、大きな笏へとすり替わっている。

 そして、パキッという音。ニギ神様のお顔を覆っていた白いお面にヒビが入り、パキンと真っ二つに割れて落ちる。そこから現れた綺麗な男性の顔が、恐ろしげな顔へと変貌していく。頬まで裂けた涎を垂らす大きな口。その口に収まり切らないほどに大きな牙。額から飛び出た歪な形の二本の角。がさがさに荒れたしみだらけのひび割れた肌。あり得ないほどの角度に吊り上がった眉。血のように赤い大きな四つの目は、それぞれ別の方向を見ながらぎょろぎょろと動いている。

 ニギ神様は、マガ神様に取って代わられた。

「グオオオオオ!」

 マガ神様は咆哮した。

初と絹は恐ろしくて、座ったままお互いにしがみついた。


「そこ! 何をやっている!」

 あの時のように、監視兵が駆けつけて来た。懐中電灯を持っている。その数、五人。きっと月の初めだから警戒態勢を強めていたのだ。だが今の初は監視兵たちを怖がる余裕さえ無かった。

 マガ神様は声のする方をゆっくりと振り返った。そして、手に持った笏で、五人の監視兵をぴたりと指した。

 バキャッ、グニャッ、ベシャッ、と人体にあり得べかざる音が立て続けにした。マガ神様が人を殺したのだ。初は恐る恐るそちらの様子を窺った。そして、その光景のあまりの凄惨さに、呼吸が止まった。

 五人の遺体は、内側からぐるんとひっくり返されているかのような格好だった。内臓と肉と脳みそと砕けた骨が露わになり、顔面や肌や手足は見当たらない。心臓と筋肉がまだぴくぴくと脈動している。おびただしい量の血があふれ出し、大地をぬらぬらと艶っぽく光らせていた。

 腰が抜けている初を、絹が叱咤した。

「初! 逃げよう!」

「あ、あ……」

「初ったら!」

 その時、マガ神様はのそりと体を動かして、初を真っ直ぐに見た。初はその姿に釘付けになった。

 マガ神様が笏を振り上げる。ぴたり、と初のことを差す前に、絹が初を両腕で抱えて走り出した。信じ難い速さで農地を駆け抜け、小屋まで初を運んでゆく。

 初は絹の着物にしがみついていた。

「ごめん、ごめんなさい、絹……! 私のせいで! 私が踊れなかったせいで!」

「初のせいじゃないよ」

 絹は思いがけずも淡々となだめた。

「皇帝様がニギ神様の信仰を禁じたから、こうなったんだよ。悪いのはマガ神様を粗末にした人なんだよ。初は悪くないよ」

 静かに小屋の扉を開ける。絹は床の空いた箇所に初をゆっくりと寝かせた。そして優しく、かつ決然と言った。

「これからは私が初を守ってあげる」

「……本当に?」

 初は震え声で言った。

「今度こそ嘘じゃない?」

「嘘じゃない。私が初のことを、マガ神様からも、皇帝からも、守ってあげる」

 それからいつかのように、手を初のまぶたの上にかざした。

「マガ神様が来ないかどうか、ちゃんとここで見張っておいてあげるから……今はおやすみ、初」



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