13.また


 次の朝になると初はまた暴行を加えられ、苦痛を増す薬を打たれた。怪我の痛みと病気の痛みに薬の痛みが重なって、気が狂うかと思った。

 昼になって苦痛が収まるのをひたすら待つ。昼から夕方にかけては、病気が進行していくのをじっと見つめる。

夕飯時に、薬を飲み込む。

 だが、薬の効きは良くなかった。

 拷問官は初の服を脱がせると、全身の様子を診察して「ふうむ」と唸った。それから興味半分といった様子でこう訊いた。

「見る? あなたの今の様子」

「……いえ……」

「ほら」

 初は手鏡を突きつけられた。嫌でも目に映る、醜悪な顔。左目はまぶたがボコッと腫れあがっている。額には火傷のような痕がある。右頬にもコブのような膨らみができているから、顔の輪郭は左右非対称で何とも奇天烈だった。

 全身も例外ではない。腕、胸、腹、背中、脚などに、膨らみや凹みができている。皮膚も、体の表面積の一割くらいが赤黒くなっている。そしてその全てがずうっとずくずく痛むのだ。

「うーん。貴重な被験体だから、病院送りは避けたいんだけどねえ」

 拷問官は資料に何か書き込んだ。

「うん、薬を調節するよ。もう下がりな」

 そんな感じで幾日もが経過した。十五日ほど経過したあたりで、病状が良くなって来た。腫れが引き始め、痛みも薄れ始めた。

「うん、なかなかいい結果が出たかも」

 拷問官はまた初の服をひん剥いて観察し、満足そうにそう言った。

「あとはあなたが本心から反省したらここから出したげる。病院送りか労働に戻るかは、他の人が決めるから」

 病院送りは嫌だなあ、と初はぼんやり思った。

 そうして、薬による拷問は、その後数日間続いた。

 そもそも「本心からの反省」なんて誰にも決められない基準なのだから、これは拷問官の気が済むまでということに過ぎなかった。数日で飽きられたのは幸運だった。下手したら死ぬまで飽きられない可能性もあったから。

「もういいや。子ども第一号はこんなもんで」

 痛みを緩和しようと、寝転がった姿勢で必死に息をする初を見ながら、拷問官はつまらなさそうに呟いた。

「あなた、今日の昼からここ出ていいよ」

 初は安心していいのか不安に思えばいいのか分からないまま、気を失うようにして檻の中で眠った。


「お前は、助けてあげようね……」

 ニギ神様の声がする。これは夢か現実か、朦朧としている初にはよく分からなかった。

「お前は絹のかたわれで、きっと特別な力を持っているから……」

 今更助けてくれたところでもう遅い。初の体はもうぼろぼろで、きっともう使い物にならない。労働力にならない子どもの運命は決まっている……。

 ニギ神様は苦しそうだった。歌と踊りで抑えていたニギ神様の中にある何かが、出て来そうになっている。それを必死で抑えているのだ。

 ニギ神様もつらいのだ。もうすぐ抑えていたものが顕現してしまう。

 怖い、怖い、怖い。

 ニギ神様も苦しい。初も苦しい。

 初は視界が暗くなるのを感じた。気を失いかけているのだった。


 さて、昼になって薬の効果が切れると、初は軍人に連れられて、病院の前の施設に連れて行かれた。初はまた、ガタガタと震えていた。

 病院送りは死を意味するからだ。

「うん」

 医者らしき人が初の診察をした。

「腕の骨折は……これはまた随分と治りが早いけど、何か変な風にくっついてるね。動かせる?」

「はい」

「皮膚の痛みは?」

「ありません」

 うん、と医者はまた頷いた。

「この子はまだ使える。小屋に返しなさい」

 はっ、と軍人は言って、初を以前いた小屋に連れ戻した。初はびっくりしながら、足を引きずって小屋の空いている場所まで体を持って行った。

 病院送りにならなかった。殺されなかった。

 ……ニギ神様が助けてくれたのかな?

 そうかもしれない。

 ニギ神様は力が弱まっているから、初の怪我と病気を防げなかったけど、死の淵からは救い上げてくれたのだ。腕も急にやたらと調子がよくなったし、気持ちもいくらかすっきりしている。


 また、労働の日々が始まった。

 小屋の仲間たちは、また初のことを、気味悪そうに見たり、心配そうに見たりした。

 初は足を引きずりながら、腕を変な角度に曲げて鍬を持って、畑を耕した。なるべく、健常者に遅れを取らないように、頑張って全身を動かした。

結果として何とか、監視兵の気に障らない速度で労働ができた。

これもニギ神様のご加護なのかも知れなかった。

 畑の耕作は大方終わっていた。労働者たちは畑に苗を植え始めていた。

 綿花の苗だった。

 この土地の気候に合わせて品種改良された綿花だそうだ。

 手作業で苗を植えて、綿花が爆ぜたら、また手作業で摘み取るのか。

 気が遠くなるような遠大な作業だ。

 だがやっぱり誰も文句を言わず、もくもくと手を動かしていた。初も変な角度の腕を土まみれにして、一生懸命に苗を植えた。晴れの日も、風の日も、雨の日も。軍人に怒られないように。銃殺されないように。

 ダァン、ダァン、と気まぐれに鳴る銃声。拷問部屋を出ても、壁の中の環境はさほど変わっていなかった。

 初は、生き延びることに必死になりすぎて、忘れていたことがあった。

 月の終わりに、絹が姿を現した。

 初はすっかり驚いてしまった。

「絹!」

 労働中にもかかわらず、囁き声で言う。

「もう来てくれないのかと思った!」

 少し、なじるように言う。絹は気にしていない風で、優しく初の腕に触れた。

「可哀想な初」

「絹……」

「明日は月の初めだよ」

 絹は言った。

「またお祭りをやろうね、初」

 初は一瞬、硬直した。

 すかさずダァンと銃声が鳴る。絹が初を咄嗟に押し倒したお陰で、初は銃弾の餌食にならずに済んだ。

「……また、あれをやるの、絹」

 だらだらと冷や汗を流しながら初は尋ねた。

「うん。でないとマガ神様が来ちゃう。マガ神様が来ちゃうよ。マガ神様が来たら大変なことになるよ。お祭りをやろう、初。でないとマガ神様が来ちゃうんだよ。怖い、怖い、怖いんだよ」

「……絹。お祭りのせいで、私の体はこんなになっちゃったんだよ」

「お祭りをやらないともっとひどいことになるよ」

 絹は言った。そしてふいっと着物の裾を翻して、湯煙のようにその場からうっすらと消えていった。


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