7.強制労働

「お前は特別な子の片割れだね」

 人の顔をかたどった白いお面をつけた、黒い長髪に赤い着物の男性が、初を見下ろしている。

「絹の片割れ。きっとお前にも特別な力が分け与えられていることだろうね」

 初はその長身の神様に話しかけたいのに、眠くて眠くて、言葉を一言も発することができない。

 ……ニギ神様。どうか私たちに……せめて絹だけにでも、お恵みをください。お願いします。そう念じる。

「できる範囲でね。私の力も随分と弱まっているからね……」

 ごめんね、とニギ神様は言った。


 そこではっと目が覚めた。

 壁の中に入れられてから五日目の朝だ。

「起きろ、ガキども! ちゃきちゃき動け! 寝ぼけてる奴はぶっとばすぞ!」

 やかましい怒鳴り声と、鍋を叩いているような騒音が、耳をつんざく。

 とにかくここの日々は恐怖で満ち満ちていた。

 朝ご飯は与えられないまま、服も着替えさせてもらえないまま、初たちは労働に駆り出される。

 主なやることは、新しい農地を耕すことだった。それも、手動で。

 機械化の進んだこの世の中で、人間がちまちま畑を耕すなんて馬鹿げている。だが理由を尋ねられる勇気を持つ子どもは誰一人としていなかった。

 何しろこの壁の中では、軍人の気分次第で、理由もなく撃ち殺されるのだ。怠けても死刑。作業が遅れても死刑。軍人の気に障っただけで死刑。たまたま目についたから死刑。ごろごろと子どもの遺体が転がっている。それをとっとと引き摺り出し集団墓地に放り込んで始末しなかった場合も死刑。

 監視兵の気に食わなくても殺されなかったとしたら、白い壁の施設に連れていかれる。人々はそこを「拷問部屋」と呼ぶ。中からは時折、この世のものとは思えない苦痛の叫びが聞こえて来る。そこから出てきた人は体の形が少し変わっていたり、始終「皇帝様万歳、天神様万歳」とブツブツ独りごとを言うようになっていたり、とかく何らかの形で「壊れて」いる。

 病気や怪我で働けなくなった場合は、これまた白い壁の「病院」に行って「治療」を受ける。だが「病院」から生きて帰ってきた人はいない。だからかあそこに連れて行かれたら墓場行きだと思ったほうがいい。

 そんな世界で、どうして文句なぞ言えようか。ただもくもくと手足を動かす他に、できることなど何一つとして無い。お腹がぎゅるぎゅると鳴る。空腹で耐えきれない。だが弱音は吐けない。手も足も止められない。持てる力を全て込めて、鍬を地面に突き立てる。全身の力を使って鍬を引き、土をほぐす。どんなに弱っていても全力でやらないといけない。我が身を守るために。

 いつになったら終わる。いつになったら、いつになったら、いつ、いつ、いついついついつ……。もう五日間も同じことの繰り返しで心身共にかなり疲労している。

「ガキども、飯だ! とっとと来やがれ!」

 待ちわびた呼び声に子どもらはワッと駆け出す。もらえるのは水と見紛うほどに薄い薄い粥を一椀。それでもむさぼるように食べる。これだけが一日の楽しみだった。

 ようやく人心地がついた初は、駆け足で畑に戻りながら、絹のことを考える。絹はまだ無事だろうか。今朝の夢のニギ神様の様子からすると、まだ生きているという気がする……そう思いたい。

 つう、と流れた涙を舌で舐めとった。今は流れ出る塩分すら惜しい。

 それからハッと姿勢を正した。

 今、軍人の一人がこちらを見ている。

 泣いているところを見られただろうか。

 気に障っただろうか。

 冷や汗が出た。殊更に一生懸命、鍬を動かす。

 視界の隅で、軍人はまだ初のことをじっと見ている。

 手が震えた。

 嫌だ、死にたくない。撃たれるのは怖い。あの破裂音を聞くと身が凍りついたようになる。あれが自分に向けられると思うとそれこそ生きた心地がしない。

 やめて、こっちを見ないで。私は真面目な優等生です。ちゃんと働けます。役に立てます。使い物になります。だから殺さないで。殺さないで、殺さないで、殺さないで……。

 軍人はゆっくりと立ちあがった。ぞわりと全身に鳥肌が立つ。あの人はこっちに来るだろうか。初に何をするつもりだろうか。

 ……だが、軍人は、その場を離れて、別の場所の監視に移った。

 初は内心、非常にほっとした。ふっと力が抜けるかと思ったが、まさかその場にへたり込むわけにはいかない。他の誰が見ているとも知れないのだ。とにかく労働時間中はいっときも休まずに働かなければ。

 くたびれ果てて日も暮れ果てた。夕食の時間だ。慌てて道具を片付けて食堂に向かう。もらえるのはやっぱり薄い粥だった。

 皇帝様は新留村の人を全滅させるおつもりなのだ、とひそひそ話が伝わってくる。初は無言でそれを聞いている。食事中に無駄口を叩くことさえ怖かった。

 ひそひそ話は続く。

 新留村の人が異教徒だから、働かせるだけ働かせて、あとは殺してしまうおつもりなのだ。ここで必死に生き延びても待っているのは死のみだ。

 そんな話をするな、と初は腹立たしく思った。暗い気持ちになるではないか。ここで健康に生き延びるには、気持ちの面の制御も欠かせない。希望を捨ててしまっては、生きられる時間が短くなるだけだ。

 初は強い子だから大丈夫だ。希望を失ったりなどしない。

 絹は……気弱そうに見えて、とてもしっかりした気丈な子だ。だから絹も死なない。きっと大丈夫。

 ……絹に会いたい。今頃どんなめにあっているのか。助けてあげたい。励ましてあげたい。私がついているから大丈夫だよと言って、手を握ってあげたい。

 ……絹……。

 就寝時間になった。子どもたちは粗末な汚らしい四角い小屋で、布団もないまま、泥のように眠った。明日からまた、過酷な日々が始まる。


 そして初はまた夢を見た。

 ……あまりにもひどい夢を。


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