第804話

 声が、聞こえた。私にとって大切な……そう、とっても大切な騎士の声が。


 暗い闇の中で、私の体がふわりと浮き上がる。水の中に沈められた時のような息苦しさも、生まれた傷口が滲みて痛むような感覚も、徐々に私の体から失われていく。


 そんな私の手を掴むのは、忘れもしない金の髪を揺らす騎士の手。


「――――アマネ」


「――――ぁ……モード、レッド」


 私を抱き寄せるモードレッド。夜闇のように暗く黒い空間で、私の視界は彼の顔を捉え続ける。


「やっと、君の元に来れた」


「――――ごめん、なさい。私……私は…………」


 私は謝らないといけない。私のせいで、モードレッド達に……いや、この世界に迷惑を掛けてしまったのだから。


 だけど、モードレッドの指先が私の口を閉じさせる。これ以上の言葉を紡がせないようにするために。


「謝らなくていい。アマネには、何の罪も咎もありはしない」








『キィィィィィィィィィィィィィッ!!!!!』










 モードレッドに口を塞がれた後に響く、途轍も無い高音の叫び声。


 癇癪を起こした子供のように叫ぶそれを見て、漸く私の頭は正常な動きを取り戻し再稼働し始めた。


「すぐに終わらせる。だから、少し待っててくれ」



「――――お姉!!!」


「――――アマネ!!!」



 そっとモードレッドが私を地面に下ろすと、ボロボロのユーリとヒビキが駆け寄ってくる。二人共、私が傷付けたようなものだ。


 そして、クラレントを構え直して前へと進むモードレッドもまた、同じように傷付きボロボロになっていた。


 黒い鎧にはヒビが入り、金の髪には薄っすらと血の汚れが付いている。足取りも、よく見てみると少しだがふらついているように見える。


「モードレッドは……」


「アイツの癇癪からお姉を守る為に、無理矢理体を間に挟み込んで盾になって……」


 ああ、やっぱり私が傷付けたようなものだった。妹だけでなく、何の関係もなかった彼まで私は巻き込んでしまったのか。



「――――っく、ぅッ……!」



 立ち上がろうと動かした全身が痛い。着ている服は血の汚れで所々赤くなっているし、首周りには青痣が出来てしまっていた。


「お姉、無理しちゃ……」


「無理はするよ。だって、皆が私の為に無理をしてくれたんだもの」


 痛む体を無理矢理動かして立ち上がった私を、ユーリが無理をしないでと座らせようとする。


 でも、ここで蹲っていたらいけない。私は、彼の為にもここで無理を通さないといけないんだ。


「ユーリ。ガイスター、持ってきてる?」


「え、あ、うん。お姉のだから、インベントリに入れてあるけど……」





「なら、伴奏をお願い。私も、一緒に戦うから」
















 迫る兵隊に笑いは無い。あるのは、女王の癇癪に触発されて怒気に満ちた絶叫のみ。


「流石に、無理をし過ぎたかな」


 アマネがいる手前、体の痛みを無視してどうにか前に出ていた。が、正直に言えば少しでも気を抜いた途端に激痛で意識を失いそうになっている。


 恐らく、あの時の一撃で内臓や骨の幾つかに致命的な損傷を受けたのだろう。口の中は血の味で満たされていて、咽るとより一層口の中に血が溜まる。


 今はまだ戦えるが、ユーリとヒビキの助力を期待するわけにはいかない。


 ユーリは本来の得物を失っているし、ヒビキは疑似餌となった時に重い一撃を食らっている。それに、二人共軽装だから二撃目を食らった時点で致命傷は確実となってしまう。


 故に、ここは無理をしてでも戦い抜くしかない。クラレントを構え直し、迫る兵隊を睨みつけた――――その瞬間だった。








 女王の癇癪の声をかき消すかのように、暗い空間に歌と音色が響き渡る。


 思わず背後を振り向けば、そこには傷だらけの状態でありながら声を震わせ歌を紡ぐ歌姫アマネと、その側で音色を紡ぐ姉妹が立っていた。



『――――私も、貴方の為に歌うよ』


「――――そうか。なら、絶対に負けられないな」



 声とも音ともわからない意思が、言葉となって脳裏に響く。彼女と共に戦えるのであれば、ここで倒れるわけにはいかない。





『――――行こう。全てを終わらせる為に』


「――――あぁ、勿論だ」





 私と彼女の意思が繋がるのを感じる。響き渡る歌が私の傷を癒やし、音色が壊れた鎧に染み込んでいく。




――――やがて、私の纏う黒い鎧は姿を変え、胸部に譜面のような黒いラインが引かれた、純白と金縁の鎧が我が身を覆っていた。


 そして、私の右手のクラレントが光に包まれ、五本の線を剣身に宿した白き剣に姿を変える。


 剣の銘は『共鳴剣【レゾナント】』。彼女の歌と音色を共にする至高の聖剣。





「――――もう、私に敗北はない」






『キィィィィィィィィィィィィィッ!!!!!』








 癇癪を起こした女王が剣を抜く。一つは黒いバラの鍔がある刺突剣で、もう一つは黒いユリの鍔の両刃の細剣だ。


 そのまま、抜き身の刃で乱雑に振り乱して黒い真空波を飛ばす悪夢の女王。剣を知らない素人の放つ技など恐れるに値しない。


 レゾナントを横に薙ぐと、五本の線が飛翔する真空波を斬り刻み、飛び散った残滓を音符に変えて宙に溶かしていく。


 それを見て、私は一気に前へと歩を進める。騒がしいだけの聴衆は、このまま音色に溶かして消えてもらおう。


 剣や槍を構える兵隊を斬れば音符に変わり、その音符を弾くように飛ばせば、直撃した兵隊もまた全身を砕け散らせながら音符に変わる。


 レゾナントをまっすぐ突き出せば、宙に漂っていた音符が五本の線に添うような風となり、兵隊も茨も音色に変えて溶かしていく。



『キィィィィィィィィィィィィィッ!!!!!』



 ただただ音色に変えられていくだけで役立たずの兵隊達に憤り、悪夢の女王は自ら前に出る。


 振り下ろされる黒百合の剣と、レゾナントの刃が交差する。


 サイズ差で言えば、大人と子供を超えて巨象と蟻の領域であると言える程。


 しかし、打ち合ったレゾナントが押し負けることはなく、寧ろ激突した黒百合の剣の刃を半ばから斬り裂いて両断し、宙に舞う刃の大半を音色に変えてしまっていた。


 それを見た悪夢の女王は、大量の剣を宙に生み出して逃げ場も無い程に飛ばしてくる。



「――――お前の刃は、何をしても届かない」



 それらもまた、宙に漂う音符が盾となって貫かれると同時に崩れ去り、音色となって地に落ちる。


 彼女を守る兵隊も茨も何もない。皆、歌と音色に包まれて溶けて消えていった。



『キィィィィィィィィィィッ!!!』



 喧しく叫ぶ悪夢の女王。この距離は、もう既に私の間合いだ。


 私を貫こうとする黒薔薇の剣を避け、その剣身の上を駆け抜ける。刺突剣である以上、刺突に特化した刃は私の鎧の脚部を斬ることすら叶わない。


 ましてや相手はタダの素人。突き刺した剣を引き抜くのにさえ時間が掛かるような者に、円卓の騎士が負ける筈がない。





『――――ヒッ!?』





「――――その身に己の罪を刻み、そして無に還れ」





『――――至高の騎士に福音の加護よ、あれ』






 歌姫アマネの願いに応えるように、レゾナントの刃に光が集まり、円環を描いて剣を五本の線が回り始める。


 そして、その線に貫かれるように音符が連なっていき、それは遂に一つの譜面として完成する。


 そうなれば、剣を止める必要はもうない。レゾナントを縦に振り上げ、避ける間も与えること無くその刃を振り下ろす。


 斬った音はしない。ただ、剣閃は確かに女王の体を頭の上から下まで斬り裂き、傷跡だけ残すこと無く剣を振り抜いていた。




――――そして、ピシリと女王の体に亀裂が走る。





『ギッ!?』





 ボコボコと沸騰したお湯のように体表面が泡立ち、そして落ち着いた所からヒビが入って割れていく。


 よろめく悪夢の女王は、自らの顔や体を抑えながら後ろに下がり、そして――――












『ギィャァァァァァァァァァァァッ――――!?』















 ボシュン、という音と共に弾け飛んだ。






















「だからッ! 私は何も知らないわよ!!!」


 バンッ! と、取調室の机を叩く令嬢。殺人教唆等という罪に問われているとなれば、冷静さも礼儀作法も維持することなど出来ない。


「――ハァ……わかったわかった。これ以上は平行線だな。少し休憩しよう」


「平行線も何も、有りもしない虚言に踊らされてる分そちらが悪いでしょう!!!」


 無実の罪で逮捕され、そのまま塀の向こうで一生を終えるなど御免被る。そもそも、罪の大半は私ではなく露見させた父や母、役員達の罪だろう。


 私には何の関係もない。それなのに、何で私が塀の向こうに送られる話になっているんだろうか。




『――――ァァァァァァ…………』




「…………? 何の、声――――」





 怒りに震える私は、ふと何かの声を耳にする。


 とても醜悪で耳障りな声だ。何処かで品のない男女でも騒いでいるんだろうか。




『キィィィィァァァァァァァァァァァァッ!!!』




――――そう思っていた私の頭の中に、耳が壊れるほどの絶叫が響き渡る。




「ギャァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」




「な、なんだ!? 何があった!?」




「出し、出してッ!? ここから出してッ!?」




『――――シニタクナイ!? シニタクナイ!?』




「……これは、一体」




 警察は、取調室の中で嗤い叫びながら頭を抑えて地面を転がる令嬢を見て、理解が出来ずただ呆然とそれを見ていた。

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