第802話

 悪夢の女王の嗤いが響く。胸元を斬り裂いた傷跡は綺麗サッパリ元通りになり、代わりに歌姫の胸元から赤い血が流れる。


 俯いたままの歌姫から苦悶の声が上がることはないが、そのような状態であっても懺悔の言葉は止まらず、自らに付いたその傷さえ報いだと思っているような雰囲気を感じさせていた。


「傷付けたらお姉にダメージを移すとか、マジで最悪中の最悪なんだけど!?」


「あの杖を持っている限り、何度でも傷を移すつもりなんでしょ!!! なら、あの杖を奪うなり壊すなりしてしまえば、傷を移す先も無くなる!!!」


 ギャンギャン喚くユーリに対し、この場に於ける最適解を言い放つヒビキ。


 杖の中の歌姫に傷を移すというのであれば、その杖が無ければ傷を移す先が無くなってダメージが入ったままになる。


 壊してしまえば尚良し。鳥籠の中の歌姫を解放できれば、それだけで攻撃時の代償として受けているダメージもゼロにすることが出来る。


 問題は、女王の手にあるその杖をどうやって奪取するかだ。破壊するのも一つの手ではあるが、もしその身を盾にされてしまえば、受けた傷を移されてしまってより一層状況が悪くなってしまう。


 なので、優先するべきは杖の奪取であり、黒い兵隊達が守る先の、女王の手に収まっている杖をこちらのものとする方法を見出すこと。


「奪うって言っても、この数の差を前にしたら最高峰の無茶だよねぇ!?」


 モードレッドの剣閃を食らったからか、女王は杖を振り乱して大量の兵隊達を呼び出し、更には天井から鋭く尖った槍まで降らせて、ユーリ達を仕留めようとしていた。


 その密度は凄まじく、女王の攻撃に兵隊が巻き込まれてもお構い無しで、特にモードレッドを討ち取ろうと弾幕を濃いものとさせている。


 とはいえ、円卓の騎士に名を連ねていてしかもその中でも上級。更に言えば最強の騎士の名も囁かれているモードレッドだ。


 その身に攻撃が直撃することはなく、鎧を掠めることはあっても致命的な一撃を受けることは一切無かった。


 だが、それは裏を返せばモードレッド程の騎士であっても、この場を打開する道筋がハッキリと見えていないということであり、この間にも救うべき相手の体には無数の傷が増えつつあるということでもあった。



『キャハハハハハハハハハハハハハッ!!!』



 歌姫の血が滲み、汚れ破れてボロボロになっていく白服に、喧しい嗤い声を叫び続ける悪夢の女王。歌姫が傷付く度に、女王の配下が次々と湧き出してくる。


 近寄る兵隊を片っ端から斬り裂いていくモードレッドも、何十何百と剣を振るえば疲弊して動きが鈍る筈だった。


「モードレッド、無茶しないで!!!」


「――――無茶も無理もしていないよ」


 ヒビキの言葉に淡々と返事を返すモードレッド。既に鎧には避け切れなかった攻撃により傷が付き始め、致命的な一撃は受けていないが限界が近いことを表していた。


 だが、モードレッドの戦意が挫かれることはなく、未だに女王を睨む視線は鋭い。それこそ、少しでも隙を見せれば再び斬り掛かり、腕を斬り落として杖を奪い取ろうとしそうな程の気迫があった。


 尤も、そんなモードレッドの怒気を更に逆撫でするように、悪夢の女王は杖の中で傷付いている歌姫の姿を見せつけながら、ケラケラキャラキャラと嗤って見下している。


 あまりにも醜悪で邪悪な女王。付き従う配下も下卑た嗤い声で嘲り笑い、そして殺意と悪意を以て無惨に殺してやろうと矢を放つ。














――――そして、その時は訪れる。





「――――ぐっ!?」





 急な痛みにモードレッドの顔が歪む。まともに攻撃を受けたわけでは無いが、体の内側から突き刺されるような痛みが広がり、特に肺にきているのか咳き込みそうになっている。


 周りを見れば、斬られ散っていく兵隊や茨に混じり、黒い粒子が霧のようになって周囲に漂い充満しつつあった。


 どう考えても、この粒子の霧が毒として体を蝕もうとしているのだろう。モードレッド自身も毒には強い耐性があるが、それを以てしてもかなりの激痛を伴う強力な毒だ。


 幸いなのは、ヒビキにはアマネの姿を写したことで強い毒耐性があり、ユーリもアマネが身に付けていたルジェの力が込められたペンダントをしている為、今のところは致命的な状態に陥ってはいなかった。


 ただ、それもまた一時的なものであり、もしモードレッドがここで膝をつき倒れれば、その時点で二人の命運も底を突くことになるだろう。


 黒い霧を黒炎で焼くようにして払いながら、喧しく嗤う兵隊達を斬り続けるモードレッド。


 鋭い剣閃は確実に兵隊達を仕留めているが、最初よりも技術的なものに精細さを欠いていた。


 やがて、致命的な被弾を避けることに注力しないと避けきれない程に、徐々に形勢は不利となって悪夢の女王との距離が開いていく。



『アハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!』



 それを見て、悪夢の女王は邪悪な意思に満たされた嗤い声を響かせ、その距離をもっと広げてやろうと杖から粒子の霧を再び噴出させる。


 勿論、その霧が生まれる場所は歌姫のいる鳥籠の中だ。悪意を伴った黒霧は、本来ならば毒や呪いなどを無効化出来る歌姫の身を蝕み、その呼吸を荒げさせる程に苦しめていた。


 ただ、この危機的な状況で動ける者が一人だけ存在していた。


「――――言ったでしょ!!! 私は、あの人の妹だって!!!」


 粒子の霧を刃に変えて、ヒビキの手から無数の短剣が投げつけられる。


 アマネの闇を元に作られた霧は、茨同様に彼女の力の及ぶものだった。


 故に、その霧はヒビキの体を蝕むことはなく、逆に彼女の武器として刃に変わり、兵隊達をハリネズミにする嵐となったのだ。


 これにより、兵隊達は体をズタズタに引き裂かれて一気に数を減らし、女王までの道が大きく開かれる。


 その隙を逃すまいと、モードレッドだけでなくユーリも駆け出して、女王の手から杖を奪取しようと前へ突き進む。


 勿論、悪夢の女王がその様子をただ呆然と見ているわけがない。杖を振るい、中の歌姫に傷を付けながら迫る害意を払おうと無数の剣を生み出して、串刺しにしようとそれを放つ。


 モードレッドやユーリの体格と比較して大剣のような剣の乱射に、ジグザグと蛇行しながら回避と進行を両立させて接近する二人。


 迎撃を試みる兵隊達をすれ違いざまに斬り裂き、時には女王の放つ剣に巻き込ませながら、女王に対する殺意を満たした二人は茨の柵をバラバラに斬り払う。


 その瞬間、柵の後ろで長槍を構えた黒い兵隊達が、その手に持つ槍を突き出そうと前に伸ばす。



「――――そこをッ!!! 退けぇッ!!!」



 それを、たった一振りの剣閃で槍を両断し、兵隊達を半ばから斬って傷跡から黒炎を燃え上がらせるモードレッド。


 だが、刃となって量が減ったとはいえ、粒子の霧の中を全力で駆け抜けていたモードレッドは、耐性の差もあってよろめき膝をつく。


 それでも道を切り開くことには成功している為、その開いた道をユーリは全速力で駆け抜けて、女王の側に接近することに死力を尽くす。



『ギャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!』



「――――邪魔ッ!!!」



 前に出てくる兵隊を片端から斬り裂き、時にはその亡骸が闇に還る前に踏み台として使い、目にも止まらぬ速さで女王に迫る。


 それに対する女王の行動は、眼の前に大量の盾を生み出して、それを無理矢理飛ばすことで壁兼攻撃として追い払おうというもの。


 だが、ユーリにとってその盾は丁度いい足場にしかならない。うまくタイミングを合わせて蹴り、次々と踏み台にして女王の持つ杖を狙う。



「これでッ――――――――!!!」



 素早く納刀したユーリが、目にも止まらぬ速さで脇差しを抜き放つ。


 嘗て模倣するだけだった抜刀術『紫電』は、数多の剣豪、剣聖と剣を交わしたことで今や習熟し、既に並の剣豪に劣りはしない一閃を放てるようになった。


 振り抜いたユーリの腕が、女王に反応させる隙も与えず、鳥籠と杖の接合部を狙い――――














――――ギィィィィィィィィィィィィィン…………

















――――宙に、砕けた刀身がキラキラと欠片を撒き散らして飛び散った。

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