第791話(シリアス注意)
深黒真理愛の悪意はそこから始まったと言っても過言ではない。蝶よ花よと育てられた我儘な令嬢は、名も知らぬアマネに栄誉を奪われた。
財閥の令嬢として、ピアノの才能は彼女を華とする一助を担っていた。プロの手で磨き上げていたその手は、確かにそんじょそこらの奏者の枠には収まらない腕前であると言えるだろう。
――――しかし、その会場にはアマネがいた。小学校六年生にして、その演奏には耳の肥えた審査員達を唸らせるどころか、逆に静まらせて言葉を出させない程の才を開花させた彼女がいたのだ。
「彼女の実力なら、アマネの数少ない
アマネは小学校卒業後、地元でも名門の中学校に入学することになった。友人や知人も少なくない人数が入学していたその学校では、元々の気質もあってかそう長い期間も必要無くクラスの人気者の立場を得ることになった。
しかし、それを快く思っていなかったのが、同じ学校に通っていた深黒真理愛。勿論、彼女も財閥の令嬢として周囲に人を侍らせていたが、自らが羨み恨む相手がすぐ側にいると知り、それを排除する選択肢を実行に移す。
「最初は、ちょっとした陰口や悪口が聞こえる程度だった。アマネも、そこまで人の本質を知らないわけではないから、自分の事を気に入らない人も中にはいるんだろうと流していたの」
ただ、それも日が経つに連れて徐々に違和感を覚える程になり、親しい友人にも相談する程にはアマネ自身も危機感を抱くようになった。
「……ある日、アマネの小学校の頃からの友人が、深黒真理愛の事を話したわ。一緒のクラスになったから、色々と彼女について知ってしまったのよ」
アマネの違和感の正体は、深黒真理愛が密やかに貴方を排除しようと動いているからだ。クラスで過ごしていたら、アマネの事を目障りだ、鬱陶しいと言っていた。
それを知ったアマネは、その事を周りに相談した。周りに、相談してしまったのだ。
「そこからだったの。アマネの周りから旧知の仲である親友が離れていき、あっという間にアマネはクラスの……いや、学校の中で孤立していった」
きっと、周りの人間を脅していたのだろう。証拠こそ無いものの、あまりにも急過ぎる周りの態度の変化は、裏で何かがあったとしか思えない程のものだった。
もしかしたらそういう流れを作れるように、わざとアマネが周りに相談するように動いていたのかもしれない。深黒真理愛は、孤立するアマネに代わってあっという間に学校の中で人を侍らせる程の立ち位置を獲得していった。
そして、周りから聞こえてくる言葉は全てアマネに対する敵意や悪意を形にしたようなもの。親しかった友人の声も混ざるそれは、ジワジワとアマネの心を蝕んでいく。
「教師も、アマネの言葉には耳を傾けなかったわ。それは気の所為だよ、そんな悪い人ばかりじゃないよ。と、調べることも真に受けることも、そもそも考えることさえしないで……」
それもまた、深黒真理愛が仕組んでいたことなのだろう。最初はアマネに味方していた教師も徐々に減っていき、アマネは学校の中で完全に居場所を失っていった。
直接傷や証拠が残るようなことは起きていなかったから、尚更周りの目もアマネの孤独に気付けなかった。人の目があるとそういった様子を見せなかったのも、ユーリや家族にその状況が発覚するのを遅らせる一因になっていたかもしれない。
「……そもそもの教師が、アマネの敵になっていたのか」
「そうよ。両親も直接学校に相談したことはあったけど、向こうの返答は『調査してみます』と『そういった様子はみられなかった』。そして『クラスの人気者でもありますし、アマネさんと合わない人がいるのかもしれません』という言葉しか返ってこなかった」
学校側にそう言われると、アマネの両親もあまり深くは突っ込み難い。それこそ、この行為が逆にアマネを苦しめているのではないか? とさえ疑ってしまう程、学校はアマネの敵となっていた。
そんな状況であっても、アマネの事を親友だと周りの目を気にすることなく付き合う友人もいた。どんなことがあっても、私はアマネの味方だと側にいてくれた。
「――――そんな彼女もまた、アマネから離れることになった」
「……深黒真理愛の側についた、ということか」
「――――いいえ、違うわ。彼女は、交通事故で亡くなったのよ。それも、一家全員」
耳鳴りが止まらない。ログインし直して自室に戻ってきた私は、今まで着けていた装備を全て部屋に置いて、倉庫に詰め込んである適当な装備を身に着ける。
下手に良い装備を持っていったら、彼女が欲しがってしまうかもしれない。渡したくないものは、全てここに置いていこう。
誰かに気付かれるより先に、私は始まりの街へ転移する。下で話中だったからか、誰も彼もが私に気付く事なくクランホームから離れることが出来た。
顔を隠せるフード付きのローブを着ている私は、周りの人の目を気にしながら、一人で街の外に出る。
人が多くなったことで、門番もプレイヤーを一人一人確認する余裕はない。流石に中に入る者はチェックしているようだが、外に出る私には特に何も言いはしなかった。
日も落ち始め、人の居なくなった草原を只管歩き続ける。街道から逸れれば、私の姿を捉える人はもういない。
『――――あら、やっと来てくれたのね』
少し歩けば、その手に剣を持った彼女が変わらぬ微笑みを浮かべてこちらを見ていた。
その声はかなりのノイズ混じりだったが、私の鼓膜が痛みを訴えながらも聞き間違えないように力を尽くしてくれる。
『取り敢えず、何か使える装備でも持ってきていないのかしら? こんな初心者の装備なんて、私には不釣り合いでしょ?』
「……私で用意出来るものは無いんです。倉庫に取りに行くと、他の人に見られてしまうので」
『そう……でも、今の貴方の装備ならまだ使えそうよね。武器は仕方無いとして、そのローブくらいは私に頂戴?』
私に断る選択肢は存在しない。もしここで断れば、彼女はきっとユーリに手を出そうとするから。
黒に近い赤のローブを渡すと、満足気な表情を浮かべた彼女がそれを身に着ける。赤い髪と相まって、それなりに似合ってはいる。
『私は港町まで行きたいから、早くそこまで行くわよ。それと、こっちでの名前はローズ。真理愛とは呼ばないでね』
「……わかりました、ローズ様」
彼女の前で間違ったことは絶対に出来ない。呼び方や敬称を間違えただけで、彼女は私の周りに不幸を呼び寄せるのだから。
そのまま、侍女のように彼女の後ろをついていく私。暗くなりつつある草原が、冷える風を幾度となく体に当ててくる。
そうして歩いていると、ガサガサと背の高い草をかき分けて、姿を現す生き物達が私とローズの前に立ち塞がった。
『あら、可愛らしいウサギね。最初の敵なのが可哀想なくらいだわ』
「…………」
私の前に飛び出そうとしたのは、初めてこの世界で出会ったグラスラビット。
懐っこい彼らはあの時と同じように私に近付こうとして、私の前に立っているローズに気付き、警戒の声を出しながら姿勢を低くする。
『あらあら、随分とやる気みたいね? アマネがいるのなら、どんなに凶暴なモンスターも大人しくなるって聞いていたのだけれど……』
そう言って、私を一瞥するローズ。僅かに口角を上げて微笑みを浮かべていることから、私がモンスターに攻撃されないという事も既に知っているのだろう。
『ふふ……残念だけど、私の経験値として死んでもらうわ。ほら、そのままジッとしていなさい? でないと、どうなるかわからないわよ?』
「…………大丈夫、だから」
耳の良い彼らに聞こえるように、小さな声でそう呟く。ローズに聞かれたら、きっと私の周りに酷いことが起こるだろう。
ローズが片手に握った剣を振り上げる。完全に初心者の動きで、動きの速い彼らにとって避けるのは造作もない攻撃だ。
だが、彼らは賢かった。もしここで攻撃を避け、その女を倒してしまえば、大切な
――――――――――ザシュッ!!!
「…………え」
私の目の前で、グラスラビットが斜めに斬られて倒れていく。
私は大丈夫なのに、彼らは抵抗も逃走もせずにローズの前にその身を差し出し、無抵抗のままローズの振るう剣を受けて死んでいく。
『アハッ! アハハハハ! やっぱり予想通りねぇ! アマネがいれば、どんなモンスターでもただのサンドバッグになると思っていたわァ!』
彼女を止めようと私の口が開くが、そこからは何も出てこない。
こういうときに限って、私の喉は何の音も発してはくれない。やめての一言すら、心に刻まれた恐怖が掴んで離さない。
「…………ごめん、なさい」
――――私の口が代わりに紡いだのは、その一言だけだった。
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