第788話

 結局、ダンジョン探索はこれで切り上げることになってしまった。私は続けてもいいと言ったのだが、続けたらダンジョンの攻略より先に腹筋が壊れてしまうと全員に拒否されてしまったのだ。


 まぁ、確かにこの先もこんな感じで笑いを取りに来られると、私以外の面々の腹筋が過労死してしまう可能性が否めない。


「真の敵は身内だった……?」


「アマネが敵とか勘弁して欲しいわね。冗談抜きでホントにやめてよ?」


 レンファにもそう釘を刺されたが、この場合も全部私の責任になるんだろうか……なんか納得がいかないんだけど。


 ちなみにボス部屋にある奥の扉を開けると、中継地点っぽい部屋と三つの階段がそこにあった。


 どうやらチュートリアルフロアをスキップして、ここから再スタートすることが出来るらしい。まぁ、毎回毎回チュートリアルを受けるのも面倒だしね。


「彼処の紋章は転移しても変わるんだよね?」


「訪れる毎に切り替わるみたいだよ」


 今回は拳、牙、草の紋章が階段の上にあったので、格闘系モンスターのフロアと噛みつき攻撃をしてくるモンスターのフロア。そして植物系モンスターのいるフロアの三択だったようだ。


 掲示板で確認したものだと魚や兎の紋章もあるそうなので、何回か試したらそのフロアの階段に巡り合うこともあるんだろう。


 尤も、今回のようなことが起きると考えると中々行く機会が無くなりそうなものだけどね。


「次に試練の迷宮に挑戦する時は、腹筋が強そうな面子で固めるしかないだろうね……」


「選考基準のことを考えると、並大抵の防御力じゃ貫通してそのまま崩れ落ちることになるわよ」


 ユーリとヒビキが真面目に対策を考えているのだが、二人は私の腹筋も狙って壊そうとしているんだろうか。


 それと、対策チームを作ったところで相手がそれを上回ったら結果は何も変わらないような気がする。チュートリアルフロアだからあんな感じだった可能性も勿論あるけどね。


「ま、何にせよ今日はこんな感じでサラッと終わるのも有りかもね」


「折角だし、始まりの街に寄り道してってもいい? プレイヤー関係の問題で、受け取りに行かなきゃいけないものがあるんだ」


「別にいいんじゃないかしら? 時間ならたくさん余っているわけだし」


 長い時間をダンジョン探索に費やすつもりだったが、予想外のハプニングにより日が沈むより先に切り上げることになったから、時間的な余裕は全然ある。


 多少寄り道をしたところで、クランホームでの夕食の時間までには余裕で帰ることが出来るだろう。


「偶にはプレイヤーの多い街に出掛けるのも悪くないかもね」


「それじゃ、私達は始まりの街に行こっか!」


「私は市場の方に行こうかしら。確か、今は各地の布や糸、飾り物が並んでいる筈なのよね」


 アリアドネも買い物する気満々のため、ベリアも含めて始まりの街に転移することになった。


 ちなみに、ベリアの転移分はこちらでちょっと弄くってもらって許可を出していただいた。ティリエラに一声掛けてみたらすぐに使えるようにしてくれたけど、やっぱり持つべきものは友だよね!



















「んじゃ、ちょっと行ってくるね〜!」


「……ヒビキ。心配だから一緒に行って」


「仕方無いわね……」


 始まりの街に来て早々にあまりにも脳天気なユーリが駆け出していくので、ヒビキにお願いして御目付役になってもらう。


 いや、問題ないとはわかってるんだけど、ユーリの普段のことを考えてしまうとどうにも信用し切れなくてちょっと困るというかなんというか……


「レンファ、寸法測りながら買いたいから市場までついてきてよ」


「なら、その分しっかりしたドレスを仕立ててちょうだいね?」


 アリアドネとレンファは始まりの街の市場に向かって歩いていく。二人共財布の中に物凄い量の資金を詰め込んでいるので、下手したら市場の布や糸が粗方買い取られてしまうかもしれない。


 それだけ買ってどうやって持って帰るんだと言われれば、私がインベントリ経由で倉庫に配送してしまえばいいだけだしね。


 持ち運びの難は私の存在で解消されている。となれば、高給取りの二人の財布が緩むのも仕方無いと言えば仕方無いのだろう。


「二人は行かなくていいの?」


「ん……今はアマネの側にいた方がいい気がする!」


「……ベリアの勘は外れないのよね。この街に来てからそう言ってるから、私も側に控えさせてもらうわよ」


 ベリアとエリザベートは私の側にいてくれるらしいが、その理由がなんとも曖昧なものでちょっと困惑してしまう。


 まぁ、二人は強いから護衛として頼りにならないということはないだろう。魔王の娘を護衛とすることに異論は出てきそうだけどね。


「それにしても、異界人が多いわね……」


「ウチのクランホームの影響だねぇ。第二の街と始まりの街が近いから、人の往来もその二ヶ所で盛んになっているらしいよ」


 始まりの街は第二の街に次ぐ活気に満ち溢れている。世界各国の品々は主にマルテニカ連邦から始まりの街経由で国内に入ってくるので、その分ここの市場に活気が湧いている。


 そして、始まりの街に様々な品が集まるとなればそれを求める住人だけでなく、掘り出し物や素材を探しに来るプレイヤーも必然的に吸い寄せられるようにこの街へ戻ってくることになるのだ。


 これにより、始まりの街は過去類を見ない程の活気に包まれており、地元住民もこの機を逃すな! と盛んに商売を行っていた。


 街の彼方此方に軽食の屋台が建てられ、地元の店がセールで大量の品物をバンバン売り捌き、ガラの悪い人が街の衛兵の手により運ばれていく。


 掲示板でもこの混雑に関する注意事項などが叫ばれているらしく、油断するとスリの被害を受けたり、詐欺師に騙されてしまったりと、それはもう被害者の声も含めた阿鼻叫喚の図になっているんだとか。


「流石にアマネに手を出す輩はいないと思うけどね」


「色々と有名になり過ぎちゃったからなぁ……」


 以前、ここの世界の住人がファンとして民度が高いと言うことを情報組の柚餅子に話した事があったからか、プレイヤー達は私を見ても声を掛けることはない。


 ライブ中とかなら歓声の一つや二つを叫んでくれるんだろうが、今は完全にオフの日。それを理解しているから、サインを強請るような人もこちらには来ていないのだ。


 民度が良くなってていいなぁ……そう思いながら、中央の噴水広場に目を向ける。


 始まりの街でログアウトした人達が絶え間無く噴水の周りに現れる。この世界の住人もその光景に慣れてしまったのか、特に気にする事なくそれを受け入れていた。


「あれ、ホントに不思議よね。知らない人間が急に広場の周りに現れるって、普通ならかなり恐ろしい事だと思うんだけど……」


「昔からそういうものだと言われてるらしいよ。私としては、そうやって受け入れてもらえるのが嬉しい事なんだけどね」


 私もこの世界の住人として受け入れられている。そんな感じがするから、私はこの世界の人達……いや、生命全てを好いているのだ。


「なんか、こうやってボーッとしてるのも暇だし、屋台のご飯食べにいかない?」


「ベリア……貴方、少しは空気を読むことを覚えてくれないかしら? 折角アマネがいいことを言ってたっていうのに、一気にそれが崩れたわよ?」


 ベリアの発言に怒るエリザベート。そんな姿を見ていたら、私も思わず笑みが溢れて微かな笑い声を漏らしてしまう。


 ただまぁ、お腹が空いてくる時間であるのは間違いない。ガッツリ食べると夕食が入らなくなるだろうが、おやつ程度のものを食べるくらいなら問題は無いだろう。


「それじゃ、ちょっとだけ屋台を見に――――」





















『…………く、人が多過ぎて鬱陶しいわね』
















 遠く離れた場所から聞こえた微かな声。忘れたことなど無い……『忘れることなど出来はしない』その声が私の鼓膜を揺らす。


 私の喉が掴まれたような感覚に陥り、微かな息がヒュッと口から漏れ出てくる。


 思わず広場の方を向いた私。急な動きにベリアやエリザベートが驚く姿が視界の端に写ったが、今の私にそれを気にする余裕はない。




「――――――な、んで?」




 私の目は、それを見逃さなかった。二度と会うことは無いと思っていた、彼女の姿を。


 薔薇のような赤い髪を揺らし、初心者の装備が似合わない程の美貌を撒く彼女の姿は、周りのプレイヤーの視線を集めている。


 だが、彼女が呟く一言一句はそんな有象無象を腹立たしいと思うものであり、その語彙や口調の強さだけで、そこにいる彼女が『本人』であることを否応無しに理解させてくる。




――――そんな彼女が、クルッと振り向いた。視線を集め過ぎたと、その場から離れようとしたのだろう。




 その顔を見た瞬間、私の心臓の鼓動が歪む。早くなったようにも感じられるし、ピタリと止まったようにも感じられた。


 多分、私も彼女と同じような顔をしているのだろう。彼女と目があった瞬間に、彼女は驚愕に目を見開いた後――――





















――――――悍ましい程の笑みを、そこに浮かべていた。



 きっと、私の顔は酷い状態になっているのだろう。恐怖を形にするかのように、流れ出る汗が肌に不快感を味わわせてくる。


「――――――アマネッ!」


 不意に、ベリアが私の腕を引く。小柄な彼女は魔族であり、見た目以上の力を有している。


 そして、エリザベートが私と彼女の視線を切るように間に入り、私を連れて何処かへ連れていく。


 抵抗なんて出来はしない。強張った私の体は、二人の力に促されるままに動いていく。


 そんな私の後ろ姿を見ていた彼女の顔がどうなっているのかなんて、私にはもうわからなくなっていて。








『――――逃がさないわよ』









 ただ、そんな声だけが、私の耳を蝕んだ。

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