第772話

 私の宣戦布告のメッセージが届いてから大体五日くらいは経っただろうか。敵国への工作を願い出た四人の忠臣の死を受けて、私は魔王軍全体に号令を掛けて侵攻準備を始めていた。


「ベリア様、各地方の軍も間もなく集結致します」


「ありがとう、レーナ。お父様がお休みなのが心苦しいところだけれど、この機を逃すわけにはいかないものね」


 魔王軍の招集は順調に進んでいる。アンデッドを主とする死霊軍も休眠中の予備役まで全部動員しているし、北方の獣魔軍も志願兵まで募ってこちらに来てくれている。


 南方の悪鬼軍も、嘗て前線にて戦っていたとされる巨人兵全員が此度の開戦の為にワザワザ足を運んでくれていた。


「悪魔軍も近衛騎士団も問題はないか?」


「悪魔軍はジャール将軍が、近衛騎士団はカーミラ女公爵が指揮しております」


 本来ならばお父様が魔王軍全体の指揮を行うのだが、タイミングが悪く今は古傷の療養期。故に私が彼らの上に立つ事になっているわけだが、正直に言うと魔王軍全体の命を預かれる程の実力は無い。


 だからこそ、お父様の代理を務める宰相のバルホスが関係各所への根回しを行い、バルホスが臨時の元帥として指名したエルトリルムが全体の指揮を行う事になっている。


「四人の忠臣に死ねと命じたと同義の私に、彼らの命を預かる資格など無いもの」


「……そのような事はありません。彼らも、その覚悟があったからこそ敵地へ行く事を志願したのですから」


 デルバル、ザルドロス、ベルガロス、そしてリジャクト。この魔界で故郷に思いを馳せる老公達の為に、彼らが故郷の地を踏めるようにと自ら向こうの世界へ出立した者達だ。


 彼らは魔王軍が勝利を掴む為に向こうで仕込みをしてくると、リジャクトを隊長として向こうの地に身を投じた。


 その時に言っていたのだ。もし我々の生命が潰える事があれば、向こうの国にもそれ相応の痛手を与えている事でしょう、と。


 今回の宣戦布告も、彼らが遺してくれたその言葉があったからこそ、選択肢として迷うこと無く選ぶ事が出来たのだ。


「……レーナ。敵はどれぐらいの規模で軍を動員するのかしらね」


「……先に逝った彼らの事を考えても、恐らく十万単位の兵士はいるのではないかと思われます」


 魔王軍の兵数として、各軍団の戦力は凡そ八十万。各軍によってその数値はバラバラだが、どの軍も基準となる数字はそこまで変わらない。


 なので、死霊軍、獣魔軍、悪鬼軍、悪魔軍、そして近衛騎士団の合計は約四百万。今回は志願兵も募っているので、実際の数値はそれよりももっと多くなるだろう。


 敵方にどれ程の痛手を与えたかは分からないが、広い大陸を戦場とするならば、四百万の数字は少ないとさえ言える。


 何せ、敵となるのは敵国の軍だけでなく、向こうの大陸に住むモンスターもこちらを襲ってくる可能性があるからだ。


 人間よりも身体能力に優れる魔族と呼ばれた私達が、その人間の軍に大して簡単に引けや遅れを取るとは思っていないが、地の利が向こうにある状態で現地に住むモンスターまで敵となったら被害は相応のものになると素人でもわかる。


「相手が何であろうとやることは変わりません。私達は、多くの同胞の為にこの戦いに勝たなくてはいけないのですから」


「……そうね。青い空と太陽というものを子供達に見せるためにも、私達が戦わないと」


 私もお父様やレーナ達からしか聞いたことが無いが、向こうの世界にある青空や太陽というものを知らない子供達を、これ以上魔界の夜闇の世界に閉じ込めるわけにはいかない。


 他の将軍や軍団長も、そんな私の決意と覚悟に変わらぬ忠誠を捧げてくれた。


 その思いを、仲間の死に臆したからとドブに捨てるわけにはいかない。もう、止まるわけにはいかないのだ。


「……姫様。全軍、集結致しました。何時でも進軍可能です」


「……そう、わかったわ。苦労を掛けてごめんね、エルトリルム」


 嘗て先代の魔王が身に着けていた鎧で、お父様の右腕とさえ呼ばれる地位にまで忠義と共に剣を捧げたリビングアーマーの騎士が、私の前で臣下の礼と共にその時を告げる。


 遂に、私達は狂信者の国と戦う時が来たのだ。この体の震えは恐れからではなく、武者震いで起きているものだと思いたい。


 ただ、そんな私の背中をパンッ! と叩く者がいた。それも、振り返れば叩かれた私を優しい顔で見つめている、頼りになる者達が。


「馬鹿みたいに緊張してんじゃないわよ! アタシ達はそんなに頼りないの?」


「リシェーラ……」


 ゴーレムやキメラなどの兵器から日用品に至るまで、様々な品を開発して魔王軍に貢献してきたホムンクルスのリシェーラが、いつもの白衣姿で腕を組みながら、ニヤッと口角を上げて笑う。


「ウチの姫さんは無駄に背負い込み過ぎてんだよな。もっと俺等を頼ってくれていいってのによ」


「だからこそ目が離せない子供のままなのだ。大人である我々が、姫様の為に身命を賭すべきであろう」


「メルドア……アズラース……」


 獣魔軍の将軍である黒い人狼のメルドアに、悪鬼軍の将軍である黒い肌に赤い戦化粧を施したアズラースが、私を見てそんな事を話す。


『カカカッ! そんなに心配せずとも、我等の武威を以てすれば人間の軍など鎧袖一触よ!』


「その通りさ! アタシ達は姫様を守る為にも全力で戦ってやる! そんでもって、先に逝った奴等にはあの世で野戦築城を命じておくのさ!」


「あら、それは良いわね。こちらに一報さえ送らない私の娘にもそう命じておけば良かったわ」


 骨だけの体で藍色のローブに身を包んだ、死霊軍の将軍ザックラークがカラカラと笑い、悪魔軍の将軍であるディオニレアがそれに合わせて堂々とその言葉を口にする。


 近衛騎士団に所属する吸血鬼達の首領とも呼べるカーミラ女公爵もまた、堂々としたディオニレアのその言葉に賛同し、向こうの世界にいるエリザに対して静かな怒りを抱いている。


「……ベリア様、大丈夫です。私達が、貴女を護ってみせますから」


「レーナ…………」


 そして、幼い頃から一緒に過ごしてきた侍女にして側近のレーナもまた、私の顔を見ながら恥ずかしげもなくそのような言葉を言ってのけた。



…………全く。ここまで信頼されてしまったら、もう怖いも逃げたいとも言えなくなってしまったじゃないか。





「うん、そうだね。私は、この国に生きる皆の為に一緒に戦うよ」



















――――大勢の将校や兵士達を前にして、私が言ったことは唯一つだけだった。



「――長々と語るつもりはない。私がこの戦いお前達に望むのは『絶対に生きて帰ってこい』ということ。それだけだ」



 私のその言葉に心奮わなかった者は居らず、その場にいた全員の士気は大きく高まった。


 それと同時に、私はお父様の代わりに魔王として向こうの世界に繋がる門を開く。


 門の開いた先が見えないのは難点だが、人間に門の出現の予兆は感じ取れない。故に、門の出現は敵の不意を突くのにも使えるのだ。






「――――全軍、進めぇッ!!!」






 残る私の仕事は、彼らの総大将として座に座ることだけ。開いた門を維持するのは難しくないが、私の手にある鍵が壊れてしまえば門の開閉は出来なくなる。


 故に、この鍵が壊れれば魔界と向こうの世界が繋がったままになってしまうし、門が閉じた状態で壊れれば魔界にはもう戻れなくなる。


 だからこそ、総大将にして魔王の娘である私がこの金の鍵を大事に持っているしか無いのだ。


「ベリア様。どうやら、広い草原に出たようです」


「……ここが、向こうの世界なのね」


 話でしか聞いたことが無かった向こうの世界。門を越えた先はとても明るく、眩しさから目が眩んで倒れそうになってしまった。


 でも、この世界を見てしまえば老人達の郷愁の想いがよく分かる。これは、確かに故郷に帰りたくなるはずだ。


「……ボーッとしている暇は無いわね。取り敢えず、急ぎここに陣を――――」








――――――敵影、確認ッ!!!!!








 私の言葉より先に、物見役を兼ねていたアールヴの弓兵が、魔王軍の敵と思わしき者を見つけた。



「……あれは、少女?」



 動揺からか騒めく魔王軍の見つめる先には、私とそう変わらない容姿の若い女性が、緩やかな丘の上でジッとこちらを見て立っていた。


 ただ、その後ろには大きな砦もあるし、彼女は丘の上に建てられた舞台の上でこちらを見ているのだ。タダの一般人であるという可能性は限り無くゼロに近いだろう。


「あの人は、一体……」


 動揺が困惑に変わりつつある中、その少女はゆっくりとその手に持つ長い旗を横に向ける。






『――――嘗て、この世界と共に生きてきた同胞よ。先ずはその再訪と帰還を、ここに言祝ぎましょう』






――――その声は、思わず膝を付きそうになる程に神聖さを感じさせる。






『長き時を経て、既に貴方達が恨むべき相手は世を去りました。偏に、それこそが貴方達と私達とで共通する、最大の敵であったから』






――――横に向けた旗が横に振り抜かれると共に、彼女の周りが眩い光に包まれる。




「……う、そ」




 思わず閉じてしまった目が開かれた時、そこには信じられない光景が広がっていた。


 視界を埋め尽くす程の大軍勢。魔王軍と対峙しているその軍勢には人も霊もモンスターもいて、数もどれ程いるのか検討がつかない程だった。





『古きこの世界の民よ。貴方達の心中に募る恨みは察するに余りある。――――故に、その恨みは私達で受け止めましょう』





 最後に、少女は横に薙いだ旗を縦に突き立て、そして堂々と私達に向けてそう言い切る。


 これが、私達が戦う相手なのか。だが、ここで退いては、門を閉じるより先に彼らの軍勢が我等の領域にまで踏み込んでくるのは明白。


「……エルトリルム!!!」


「御意!!!」





 ならば、私達がやるべき事は唯一つ! 例え我等が散り果てることになろうとも、ここで彼らを迎え撃つ。それだけのことだ!

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