第729話

 ゼウスに心臓を潰されたヘラが、何も理解出来ていない顔のまま、ゆっくりと脱力していく。


『――――テメェ、一体何を!?』


 急なゼウスの凶行に、テュポーンのみならず他の神々ですら驚愕に目を見開き、一部の者は絶句して口を抑えている。


『見てわからねぇか? コイツには、俺の為に死んでもらったんだよ』


 ヘラの体から腕を引き抜いたゼウスは、胸の穴から血を流し続けるヘラの亡骸をそのまま放り捨て、血で汚れた右手を振って表面の血を払い捨てる。


 まるで家畜を処理するかのように、己が愛した妻を淡々と殺してみせたゼウス。その狂気に、多くの神々が少なからず恐怖を抱く。


『さぁて……この感じだと、ハデス以外も裏切ってるんだよな?』


 パチパチと静電気の弾ける白髪を掻き毟りながら、ゼウスはゆっくりと己を囲む神々を見回す。


『別に隠さなくてもいいぜ? ……そうだな。ヘファイストス、アポロン、アルテミス、ヘカテー。んでもってヘスティアか』


『……やはりわかるか』


『当たり前だ。テメェ等の頭が誰か、まさか忘れたわけじゃねぇだろう?』


 ゼウスは帝国に於ける神の頂点。帝国に属する神々であれば、ゼウスはその神々の力を探って生存の有無を確かめることも容易に出来る。


 現状で生き残っている帝国に属する神々はゼウスが挙げた六名程。それ以外は、既に各地の神々や諸勢力によって討ち取られている。


『まぁ、ここまで俺を出し抜いて好き勝手したのは褒めてやるよ。身内に裏切り者がいたとしても、この俺に気取らせなかったのは称賛に値する』


 そう言って、パチパチを手を叩いて拍手をしてみせるゼウス。余裕そうなその表情、その態度を未だに晒すゼウスに一発ブチかましたい神は多かったが、余りにも異様なその雰囲気に二の足を踏んでいた。


『ゼウス……お前、何を企んでいる?』


『なぁ〜んも企んじゃいねぇよ。ほら、俺は隠しもしてねぇぜ?』


 ハデスの問いに、両手を広げて答えてみせるゼウス。その身には、ボロボロの光輝の鎧が身に着けてあって――――











――――その鎧の下から、黒い鎧が顔を出した。







『折角の一張羅がまた一枚ぶっ壊れちまったなぁ……ヘファイストスはいなくなるし、次はどう直してもらうか…………』


 ピシピシ、パキパキとヒビ割れが広がって砕け崩れ落ちていく光輝の鎧。代わりに、その内側に隠された黒い鎧がどんどん表に出始めていく。


 実の息子であるアポロンどころか、兄弟であるハデスさえ知らないその鎧。とはいえ、それもまた無理のない話である。


 何せゼウスがその鎧を纏うのは、嘗てギガントマキアを起こしたガイアを殺した時以来であり、これがその鎧を纏う二回目なのだから。


『まぁ、んなことは後で考えりゃいいか。取り敢えず、邪魔な奴らは全部片してやらねぇとなぁ?』


 バチバチと、ゼウスの右手に再び雷槍が生まれる。だが、その姿は白い槍から反転して黒い槍に変わり果てていた。


 更には、ゼウスの白髪が根本から黒くなり、黒い雷が静電気のように弾け出す。


 もし何も知らない者が見たら、その威容から邪神や悪神の一言が飛び出ることは間違い無い。そのくらいには、今のゼウスが発する圧は邪悪なものに変わっていた。




『んじゃ、早速おっ始めるとすっかなぁ!!!』




『――――ガッ!?』




 テュポーンの腹に突き刺さる、ゼウスの左腕。硬い腹筋に拳が沈み込み、テュポーンの巨体が軽く宙に浮いている。


 そこに、右手の雷槍による縦振りが振り下ろされ、浮いていたテュポーンの体が衝撃を受けて大きく後ろに吹き飛ばされる。


『――――チッ!!! 予想以上にヤベェことになりやがったな!!!』


『――――ぶっ飛ばせ、如意棒!!!』


 ゼウスの動きに直ぐ様反応したのは、トールと孫悟空の二人。


 自らの得物であるミョルニルと如意棒を素早く投げ付けて、追い打ちを掛けようとするゼウスを牽制しようとしていた。


 だが、ゼウスの雷槍が横に一薙ぎされるだけで、ミョルニルも如意棒もその表面に大きなヒビを浮かべ、あらぬ方向へと大きく弾かれる。


 そして、左手に生み出した黒い雷が指先に纏わりつくと、そのまま引っ掻くように空を切り、軌道上にあるものが五本の雷の斬撃によってバラバラに斬り裂かれる。


 辛うじて回避したトールの鎧は肩当ての部分が弾け飛び、悟空の纏う朱色の軽鎧は前面の装甲を斬撃にもぎ取られて消滅した。


『ウォォォォォォォォォォォォォッ!!!』


 そんな中、自身に対して背を見せたゼウスに向かい、巨大な山を投げつけるアトラス。


 遠くからアポロンとアルテミスも矢を放ち、山を避ければその矢がゼウスの身に突き立つような軌道でゼウスを狙う。


 だが、その攻撃に対するゼウスの行動は、振り返りざまの下からの袈裟斬りのみ。


 それだけで、アトラスの投げた山の半分以上が消し飛び、その山の後ろから迫っていた二人の矢も真っ二つに折り払われる。


『おっと、忘れるところだった!!!』


『ガァッ!?』


 アトラスの脳天に左拳を叩き込んだゼウスは、何かを忘れていたのかそんな言葉を発する。


 その直後、ゼウスの雷槍が天高く放り投げられ、雲を突き破ったところで四方八方に細かく散っていく。


 周囲を囲む我々に対する攻撃かと警戒した神々。だが、その飛び散った雷があらぬ方向へと飛んでいったことで、それが全くの見当違いであると直ぐに理解した。




『何をしたッ、ゼウス!!!』








『何って……決まってんだろ? 何時ぞやの海向こうの国みたいに、帝国の人間にちょっとしたプレゼントをくれてやっただけさ!』


















――――場所は変わり、帝国北部。英霊や巨人、モンスターに各国の軍勢など、数多の同盟軍がひしめき合う戦場は、帝国の圧倒的不利で進み始めていた。


「クソっ!!! なんで海向こうの連中とまで喧嘩しなきゃならねぇんだよ!!!」


「そんなん知るか!!! どうせ上の連中が私利私欲で他のところにも喧嘩売ったんだろ!!!」


 北部の要塞に攻め寄せる同盟軍に、防衛に当たる兵士達は口を悪くしながら必死に応戦を続けている。


 彼等も上層部がフランガ王国に宣戦布告したことは知っていた。それに対しても、帝国なら当然の事だと疑問にすら思っていなかった。


 ただ、こうして攻め寄せてくる他国の軍勢やスタンピードに関しては、彼等にとって寝耳に水の出来事だったのだ。


「駄目だ!!! 正門がぶっ壊される!!!」


「材木でも家具でも仲間の遺体でも何でもいい!!! 兎に角、ありったけの資材やら何やらを門に積んで蓋をしろ!!!」


「変に狙わなくていい!!! どうせ外にゃぁ敵しかいねぇんだから、適当に撃てるもんは撃って、投げれるもんは投げつけてやれ!!!」


 押し寄せる軍勢の攻撃を受けて要塞の門が軋み、中にいる兵士達が慌ててありったけの資材を門に積み上げて封鎖しようとする。


 更に、防壁上で戦う兵士達は碌に狙いもせずに弓や銃を撃ち、投擲出来るものは倒れた味方の遺体であろうと外に投げつけた。


 彼等に逃げる選択肢はない。逃げたところで騎兵やモンスターに襲われて死ぬだけだし、仮に逃げ切ってもこの状況では帝国軍人からお尋ね者に変わるだけ。


 完全に死兵となった彼等は、半ばヤケクソのような形で迫る軍勢と戦い続けていた。



「クソっ!!! もう矢の残りがねぇ!!!」


「死んでる奴らから剥ぎ取れ!!! どうせ冥府にゃ持ってけねぇんだからよ!!!」



 必死に抵抗する兵士達だが、残弾も残り少なくなり始め、駐屯していた兵士達も半数以上が戦闘不能となっている。


 いっそ、火薬に火を点けて自爆でもしてやろうか……そんな事を考えていた兵士が、ふと見上げた空に異変を見つける。


「……オイオイ、なんだよアレは!?」


 兵士が見つけたのは、雲を突き破って空を走る黒い稲妻。時折弾けたように拡散していくその稲妻は、間違いなく周囲にある要塞や城砦に向かって飛んでいた。


 現状であの稲妻が味方の攻撃とは考え難い。となると、どの勢力やモンスターかは不明だが敵の攻撃と判断するしかない。


「お前ら、建物の中に隠れ――――!!!」






 兵士がその言葉を言い切る前に、要塞全体を黒い稲妻が襲う。


 要塞の上空で更に細かく分散した稲妻は、小さな雷の弾丸となって、要塞にいる全ての兵士の体に突き刺さる。


 その直後、兵士達は自らを襲った雷が何なのかを理解するより先に、自身の身体を襲う激痛に悶え苦しみ、そしてその身体を変化させていく。



『ギ、ガガガガガガガガガ……』


『ゴ、ァァァァァァァァァ……』



 メキメキと音を立てて全身の筋肉が隆起し、身に着けた装備を破壊して巨大化していく兵士達。


 目は赤く血走り、声を漏らす口からはパチパチと弾ける雷が漏れ、そしてその全身は黒く大きく肥大して、こめかみから赤黒い牛の角が生えてくる。


 ほんの僅かな時間の間に、要塞にいた兵士達はその身体を牛角の生えた大鬼の姿に変えていた。



『ガ、ガァァァァァァァァァァァッ!!!』



 発狂した大鬼達は、本能のままに要塞を飛び出し、自らを狙う敵の群れに正面から突撃。


 自らの手で塞いだ城門も壊し、壁上の者は敵の波に恐れること無く飛び掛かり、只々狂気に突き動かされて暴走を続ける。


「気を付けろ!!! コイツら、只者じゃねぇ!!!」


「なんだよ、こりゃ……!?」


 従軍していた兵士達は、急に姿を変えた帝国の兵士達に圧倒され、前線にいるモンスターや兵士達が次々と彼らの暴走に巻き込まれて吹き飛ばされていく。


 だが、嘗てエーディーンという大国で職務を全うした将軍は、その異常な怪物達を目にして一つの解に辿り着いていた。




『全軍!!! 敵はゼウスの生んだ尖兵、アステロペテス!!! いいか!!! 絶対に単騎で仕留めようと思うな!!!』





 ミノタウロスを模した怪物達は、将軍の声に反応したかのように、一斉に咆哮し猛り狂った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る