第728話

――――テュポーンがトライデントを使って、ゼウスとの戦況は徐々にテュポーン有利に傾き始めていた。


 ゼウスの振るう雷槍ケラウノスはキュクロプスが作り上げた神器であるが、トライデントもまた同じくキュクロプスが作り上げし神槍。


 得物の差を埋めたことにより、再び戦況は二人の神が戦う激戦に移行した。




『オォォォォォォォォォォォォッ!!!』


『ガァァァァァァァァァァァァァッ!!!』





 周囲には遠目からその激闘を見守る神が集っていたが、それも無理のない話。


 何しろ、帝国の主神で総大将であるゼウスと、そのゼウスと正面切って戦えるテュポーンの戦闘なのだ。


 一撃一撃の威力や余波は凄まじく、迂闊に近付けば巻き込まれて瀕死の重傷を負いかねない程、二人の周囲は危険地帯と化していた。


『うぉっ!?』


『気を抜くな!!! この距離でも、油断すれば二人の攻撃に巻き込まれるぞ!!!』


 ミシャグジの言葉に、周りにいる神々も二人の攻撃の余波を回避する動きを徹底するようにし始める。


 その上で、隙あらばテュポーンの援護をするつもりで、ミシャグジやマーラは略式で術を唱えていた。




――――あの爺、まだ何か考えているな……




 二人が抱いたその予感は、一笑に付すには少々悪寒が酷くなるもの。もしゼウスが何かしらの隠し玉を残しているのだとしたら、その時はテュポーンとのタイマンも無視して介入するつもりでいた。


 尤も、現状テュポーンの姿を見る限りは、そのような事は起こりそうにないと言えるのだが……


『相変わらず怒ると暑苦しい姿になるよなァ!!!』


『テメェは変わらな過ぎて逆にイライラしてくんだよ!!!』


 トライデントを振るうテュポーンは、ゼウスとの戦闘で全身に大きな変化が表れていた。


 まず、全身の筋肉が大きく隆起して赤熱し、上半身の筋肉という筋肉が赤々と輝き始めていた。


 そして、下半身の蛇鱗はそれ以上に熱されているからか、表面に付着する土などの汚れを焦がし、赤く融解させたりしながら、僅かな水分を瞬く間に蒸発させている。


 何より一番変化しているのは、テュポーンの黒っぽくなっていた髪が、あっと言う間に燃え盛る炎に包まれた髪に変わっていることだろう。


 その中に混じる大蛇の髪も、チロチロと火が着いた舌を動かしながら、喉の奥から煌々と燃え盛る火を吹き出して、ゼウスに威嚇をしている。


 勿論、この変化は伊達や酔狂でなっているのではなく、テュポーンの纏った嵐を熱波に変えて、ゼウスの身をジリジリと焼いていた。


『こんなに暑いと、海にでも飛び込んで整いたいところだなぁ!!!』


『なら、テメェの亡骸をノルドにあるっつぅギンヌンガガプの底にでも叩き込んでやるよ!!!』






『いや、そいつは勘弁して欲しいんだが!?』






 テュポーンの発言に思わず拒否反応を示すトール。まぁ、ある意味厄災の塊みたいなゼウスを、亡骸とはいえノルドで引き取るのは御免被るということだろう。


 とはいえ、その程度のやり取りで集中力が切れる手合ではなし。寧ろ、より一層集中して一挙手一投足に目を向け、隙あらば互いにその首を落としてやろうという殺気をありありと晒していた。


 最早、何合目かもわからない鍔迫り合いに、余波で付いた地面の断裂跡。偶に放たれる突きは、山や地面に抉ったような痕跡を残している。


『クカカッ!!! そんなに荒れておると、ここが人の住めぬ地になってしまうぞ?』


『心配はいらねぇよ!!! どうせ、ここらにいる人間の殆どは死ぬんだろうからな!!!』


 テュポーンのその言葉は核心を突いていて、ゼウスはその気になればこの帝国の地諸共、テュポーンや周りにいる雑多な神々を消し飛ばしてやろうと考えていた。


 それをしていないのは、偏に目の前にいるテュポーンの攻勢が、ゼウスの行動を制限して下手な一手を打てないようにしているからである。


『チェァ!!!』


 甲高い猿叫と共に振るわれたゼウスの雷槍が、テュポーンの頬に小さな傷を付け、赤々とした髪の一部を斬り裂く。


 それに対して、テュポーンはゼウスの足の甲を狙った踏みつけを行うが、それは素早く足を引かれたことで避けられ、ただ地面が溶解した足跡を残しただけで終わる。


 尤も、避けたことで僅かな隙が生まれたのも事実。トライデントを横薙ぎに振るうことで、ゼウスの纏う光輝の鎧が大きく斬り裂かれ、腹部の装甲に三本の斬撃の跡が残る。


『この鎧も得難い代物なのだがな!!! コレが終わったら、貴様の鱗と皮を剥いで鎧に張り付けてやろうか!!!』


『そうかい!!! なら、俺ァテメェの首を切り落として、棒にぶっ刺して棍棒にしてやろうか!!!』


 互いに挑発しながら槍を交わし、掠り傷としてテュポーンは皮膚や髪の端を斬られ、ゼウスは光輝の鎧に傷が増える。


 その戦闘の激しさはより一層増していき、二人のいる場所は巻き込まれれば重傷を超えて一撃死もあり得る、正しく破滅の嵐の中心地と成り果てていた。






『オォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!』



『ガァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!』




 咆哮と共に突き出されるトライデントとケラウノスの先端が激突し、強烈な衝撃波と暴風を周囲に撒き散らす。


 その影響で、宙に浮いていた神々は大きく後ろに吹き飛ばされ、戦場の近辺に生えていた草木は疎か、山々に至るまでが薙ぎ倒されて荒野に変わる。


 そして、両者共に衝撃の余波で間合いを外れ、大きく後ろへと下がった状態となり、再び互いの顔を睨みつけながら、その手に持った得物を構え直した……そのときであった。






『――――あっ、あなた!!!』




『ムッ!!! その声は、ヘラか!!!』







 大きな声を上げて、遠くからゼウスの元に疲弊した状態で転がり込んでくる女神ヘラ。


 その後ろで、ヘラを追う大勢の神々を視認したゼウスは、その前方に向かって雷槍を振るい、地面を裂いて追手にたたらを踏ませる。


『なんだ、ヘラか。ゼウスのクソ野郎に惚れ込んだ毒婦が、随分と汚らしい姿になったもんだな』


 ヘラの纏う白い衣は血や泥で汚れ、裾や端の飾りなどは切れて、千切れ落ちてしまっているものもある。


 マルテニカ方面を所領と自称するヘラであるから、アトラスやプロメテウスに追われ、どうにか命を繋いでここまで逃げ切ることが出来たのだろう。


『……ゼウス。済まないが、お前はこの世界に大罪を生み出し過ぎた』


『……はぁ、成る程。腑抜けた親父を今でも愛しているのか、クロノス』


 追手の中に混じっていたハデスの声と姿を確認し、ゼウスは合点がいったのか呆れた声色でハデスに言葉を返す。


 既にゼウスに従う天使や神々は討ち取られ、残っているのは己の妻であるヘラ一人。


 そのヘラも体には矢傷や切り傷があり、他の神々と戦える程の力もない。


 周囲にはケーニカンス方面や東の海側から上陸してきた神々が集まり始めていて、ゼウスは完全に四面楚歌の状態に陥っていた。




『最早、テメェに勝ち目はねぇよ――――大人しく、その首を斬り落とされろ』




 トライデントを突き付けたテュポーンの言葉に、ゼウスに代わって息を呑むヘラ。


『……あ、あなた。わ、私は――――』


『安心しろ、ヘラ。こんな奴らに負けるとでも思ってるのか?』


 こんな状況でも尚その顔に余裕を残し、地面に膝をついたヘラに手を差し出して、ゆっくりと立ち上がらせるゼウス。


『そ、そうよ!!! あなたなら、こんな有象無象に負けるわけがないわ!!!』


『あぁ、その通りだ!!! ……なぁ、ヘラ。今だけでいいから、力を貸してくれるか?』


 ポロポロと、壊れかけの鎧が崩れ落ち始めている中で、気力を取り戻したヘラにそう問い掛けるゼウス。



『えぇ、勿論よ!!! あなたの為なら、幾らでも力を貸してあげるわ!!!』


『――――そうか!!! ありがとうな、ヘラ!!!』



 ヘラの答えに、満面の笑みを浮かべるゼウス。それを見たヘラも、その顔に綺麗な笑顔を浮かべてみせた。


 そのまま、ゆっくりとヘラを抱き寄せるゼウス。それを嬉しそうに受け入れたヘラは、キッと鋭い眼光でテュポーン達を睨みつける。




『よっし!!! なら、早速ヘラに一つだけ頼ませてもらおうか!!!』



『えぇ、大丈夫よ!!! あなたの為なら、私は――――――』












































『――――じゃぁ、俺の為に死んでくれや』






















――――そう言って、ゼウスはヘラの胸を右手で貫き、突き出した背中側で、もぎ取ったヘラの心臓を握り潰した。

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