第719話

 イアソンが起こした事態は、想定以上に想定外の効果をもたらしていた。エーディーンの大将軍であったナポレオン・ボナパルトと、その麾下の者である元帥達の復活がいい例だ。


 勿論、これはイアソンが狙っていたものではない。寧ろ、ここまで大勢の英霊達を呼び起こせるとは、事を起こした本人さえ思いもよらない出来事なのだ。


『……やれやれ。生徒のうっかりで起こされるとは、教師として少しばかり補習を行うべきでしょうかね』


『やるなら後にしてやれ。それに、ハッキリ言って儂はよくやったと褒めてやりたいくらいだからな』


 名も亡き国の王は、セントールの賢人に対して軽く諌めるように語る。イアソンが英霊達を煽るような形で起こしてくれたお陰で、アマネの訪れた全ての地にその力が及んだのだ。


『それで、ここからどう動くか決めているのかな? アガメムノーン王?』


『決まっている。我ら人は人として、人の世に生まれた歪みを正しに行く。それだけのことだ』


 亡国の王、アガメムノーンの見つめる先にあるのは、後世まで遺してしまった悪意の収束点。帝国という名の負の遺産。


 それを叩き潰すことこそ、人である我らが成すべき使命であると、彼女と接していた王はそう思っていた。


『なら、今再び遠征軍の総大将をお願いします。私は、そうですね……軍師としてでも務めましょうか』


『カカッ! 数多の英雄を育て上げたケイローン師が儂の軍師か! これはまた、随分と贅沢な軍師であるな!』


 そう笑うアガメムノーンの目には、ギラギラとした業火のような黒い焔が灯っていた。


 当然と言えば当然で、彼はゼウスらの企てた謀略の果てに祖国を失い、己自身の命でさえ逆賊、背教者として処されることになったのだ。


 その恨みを鑑みれば、ゼウスらを崇める帝国の賊軍に報復を願うのも無理はない話である。


『それで? 当然だが、遠征軍というのだから他の連中も戻ってきているのだろう?』


『えぇ、それは勿論。特に愛弟子は、いの一番に最前線を駆け抜けているでしょうから……』







『ハッハァ〜ッ!!! まさかテメェと肩ぁ並べて戦うことになるとはなぁ!!!』


『あ~もう、うっせぇなぁ!? アンタについてけるのは俺くらいだってわかんねぇのか!?』


 そう言って爆走する二人の英雄は、大きな崖の上から一飛びで帝国の軍艦に飛び乗り、その手に持った槍を振り回して海兵を次々と斬り裂き貫いて倒していく。


「き、貴様ら、何者だッ!?」


『オイ、言われてんぞヘクトール!』


『それはテメェもだろ、アキレウス!』


 船上で暴れに暴れる二人の英雄に、単なる賊上がりの軍人が勝てるわけがない。更に言えば、既に死んだ英霊で死に恐怖感が無い事も、死を恐れる帝国軍との差を広げる一助にもなっていた。


『ハッハッハ! あまり暴れ過ぎるな、御二方! 我等の功が無くなってしまうではないか!』


『テミストクレス殿。彼らにとって功とは早い者勝ちの代物だ。うかうかしていると、あっという間に狩り尽くされてしまうぞ?』


『……それはマズい!? 全軍、突撃!!! あの二人に功を狩り尽くされる前に、我等の分の功を稼ぎに行くぞ!!!』


『なら、切り込み隊長はこのアイアースが務めさせていただこう!』


 そう言って、帝国の軍艦に横合いからラムアタックを仕掛け、そのまま艦内へ突撃していくテミストクレスとアイアース。その後を、配下の兵士達が追い掛けるように乗り込んでいく。


 このような光景は、状況こそ違えど様々な場所で起き始めていた。蘇った小国の英雄や将校が、同じように近海を我が物顔で航行する帝国の軍艦を襲い、そして船員を全滅させて船を奪う。


 こうすることで彼らは帝国に渡る為の船も手に入るし、仮に沈められたとしても元々相手側の船なのだからそこまで損害はない。


 半分霊体のような部分もある為、本来であれば船など使わずとも軽く浮遊するような形で海を渡ることが出来たが、この方が帝国にダメージを与えられるので自然とこのような形になっていた。


『今の船ならば、あの戦いの時も幾許かマシな戦になっていたのかもしれんなぁ!』


『尤も、乗ってる兵士がコレならば、船が良くとも意味はないでしょうよ!』


 アドラストスという王とディオメデスという勇将は、軍艦に乗る雑兵の海兵達を駆逐し、乗っ取った船の上でそのように話し笑う。


 彼らもまた、ゼウスら主神達の手により国を滅ぼされ、己の命も奪い取られた被害者達。船は帝国が奪取した地を取り戻す為に、ゆっくりとその船首を傾けていく。


 その船に乗る彼らの視線の先にあるのは、帝国が領有する島で戦う大勢の英霊達。この島も元々はフランガが領有していた島であったが、遡ればここも滅びた小国の所領である。


『……ふむ。アレはアテナイのイフィクラテス殿のようだな。共に戦っているのは、スパルタのレオニダス王か』


『流石はアテナイのペルタスト! 空を飛ぶ天使共も彼らの投槍には敵わんようですな!』


 島内で戦っているのは、テミストクレスと同じアテナイの将校であるイフィクラテスと、スパルタのレオニダス王。


 どちらも主神達の手により国を滅ぼされた者で、その怒りをぶつけるかのように帝国兵や天使達を次々と斬り裂き、貫いて討ち取っている。


 特にスパルタ勢の戦いは凄まじく、上裸にマントで円盾を構え、槍を突いたり投げたり、盾で殴り飛ばしたり、剣を抜いて斬り裂いたりと、身に着けている装備品だけでもそれだけの無双を行っている。


 剣も槍も失えば徒手空拳で帝国兵を殴殺し、武器を奪った上で死体を投げつけて、怯んだ相手を投げた死体諸共一太刀で両断。或いは、そのままタックルを仕掛けて壁と己の肉体とで敵を圧殺することもあった。


 そして、アテナイの精兵であるペルタスト。軽装歩兵である彼らは、島の周囲を飛ぶ天使に対して投槍を行いながら、縦横無尽に戦場を駆け回って帝国兵を突き殺していた。


『我等も遅れるわけにはいかないが……』


『間に合いそうにはないな……』


 二人の英雄も武器が折れれば代わりの武器を奪い取るなり拾い上げるなりして継戦しているし、レオニダスに至ってはそこらの石で敵を殴り、空を飛ぶ天使を投石で落とすような事さえしている。


『――――おっと、すまない! 島に落とすつもりだったが、少し狙いが逸れたようだ』


『おぉ!? これは……まさか、ミダス王が?』


 そんな激闘の様子を見ていると、空の上から黄金の天使像と共に甲板に落ちてきた男が、二人に詫びの言葉を告げる。


『その天使は、もしや……』


『ラファエルと名乗る天使でな。明らかに他の天使より上位の天使のようだったので、他の天使を足場にしながらこうして呪いに蝕まれてもらったのだよ』


 ミダスと呼ばれた王は、コンコンと恐怖した顔のまま黄金と化した天使をノックするように叩く。


 ミダス王は嘗てディオニュソスに呪いを掛けられ、自らの国フリュギアを黄金に変えられた過去がある。触れたもの全てを黄金に変える呪いは、商業国家であったフリュギア自体を金に変えてしまったのだ。


『フリュギアは今も地の底に?』


『いや、金の龍の住処となっているな。尤も、その龍もゼウスを喰らいに飛んでいったようだが』


 そんな歓談をしながら、時折ミダスは空に向かってデコピンを行っていた。最初はそれが何なのかわからなかった二人も、その後に起きた事で何をしていたのかすぐに理解出来たのだが。


 というのも、ミダスは空に向かって指先を弾くことで、大気中の元素を通して空を飛ぶ天使達を黄金に変えていたのだ。


 急に体が金に変わり、被害者となった天使は勿論のこと、周りにいる天使達も驚愕して動きを止めてしまっている。


 勿論、戦場でその隙は致命的。すぐさまペルタスト達の的となり、避ける間もなく全身に槍を受けて海へ落ちていった。


『うっかり触れてしまわないようにするのが大変だがな。今となっては、随分といい武器を貰ってしまったと思うよ』


『普通なら、呪いは呪いと憎む筈なんですがね……』


『憎んではいるさ。ただ、これはこれで使い方次第ではいい力になるからな』


 パチン、パチンと指を鳴らしながら、ミダスは笑みを浮かべながら足を組んで天使像に座る。


『この船を金に変えることだけはやめてくれよ?』


『それは勿論だとも。そんなことをしたら、私も海に落ちてしまうからね』


 この話の間にも島の制圧は進んでおり、また周辺に集まる奪取した艦船の数も増してきた。


 その艦船の兵士が掲げる旗は様々。それだけ多くの国、多くの勢力を闇に屠ってきたと言えば、主神達の業の深さもよく分かる。


『このまま周辺に存在する領地を奪還し、徐々に彼奴らの息の根を止めに行くか』


『それが一番いいだろうね。勿論、君達はこのままのんびりとしているつもりはないんだろ?』


 金の髪を揺らすミダスに対し、二人は一度目を見合わせた後、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべて応えた。

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