第576話

 タイラントローカスト達が前に立って移動する先にはとても大きな広場があり、そこに対して周りの虫系モンスター達がギチギチと威嚇の鳴き声を上げている。


「――なぁるほどなぁ。こりゃ、コイツらが追い返そうとするのも理解出来るな!」


「全くだな! 勝てぬ相手ではないが、被害の度合は計り知れなさそうだ!」


 ゴリアテもオデュッセウスも、この広場の中央に立つその異形の人影を見て即座に戦えるような構えを取る。


 いや、構えているのはモードレッド達もだ。ユーリ達も、反射的に武器を構えてその人影をみつめている。


「カッカッカ! 随分と警戒されたもんじゃの! 尤も、このワシ相手に武器を構えただけでも大したもんじゃがなぁ!」


 その人影はハッキリ言って人間ではなかった。金に近いような甲殻がある人影は、一言で言ってしまえば正しく『ハエ』と形容するしか無い。


 二足歩行で直立しているハエ。しかも、やや猫背の体勢のその頭部には冠のような黄金色の角みたいなものが生えている。


……さっき、ベルフェゴールに出会ったからこの人影が誰なのか見当がつく。つくが、間違ってたら恥ずかしいので向こうが名乗れるように場を整えよう。


「はじめまして、アマネと申します」


「ほう? 他の者らと比べて随分と落ち着いておるの。しかも、ワシの姿を見て揺らぎもせんとはな」


 私の挨拶に素直に感嘆したのか、偽ることなく率直に私を評価してくれたハエの人。


 ただ、私としてはその評価よりハエの人の名前の方が聞きたかったんだけどなぁ……


「それで、貴方の名前は言わないのかい? こっちは先に名前を名乗ってるんだけどね」


「名乗ったのは嬢ちゃんだけじゃろ……と、言いたいが、お主等の守る主がその嬢ちゃんなのは目に見えてわかるからな」


 そう言うと、ハエの人はその手に槍のような形状をした大きく長い杖を生み出して、石突で地面を突きながら名を名乗る。








「ワシは『暴食の悪魔』ベルゼブブ! 蝿の王と恐れられし、偉大なる悪魔の王である!」









 ドンッ! と、衝撃を感じるような圧が私の体を通り抜ける。正直なところ、そういう威圧をされても私の体が反応出来ないからやめてほしい。


 ただ、他の面々には大分効果があったようだ。ユーリ達は威圧を食らって腰砕けに座り込んでいるし、モードレッド達も僅かに体と足を後ろに引いている。


 この中で怯んでいないのはタイラントローカスト達だろうか。ベルゼブブの威圧を受けて尚、ギチギチと威嚇の音を鳴らして前にさえ出ようとする動きを見せていた。


「……ほぅ。バッタ共も随分と威勢がよくなったものだな。嬢ちゃんもだが、中々面白い事になりそうじゃ」


 ベルゼブブは怯まないタイラントローカスト達を見て、手に持った槍杖と呼ばれている武器をこちらに向ける。


 そうした途端、ベルゼブブの周りに集まり始める無数のハエ達。鋭い牙を持つハエは、小さい個体でも枕くらいの大きさはありそうだ。


「私としては、戦うことなく温和に会談など出来れば幸いなのですが……」


「先に敵意を向けたのはそちらじゃからな。とは言え、御主らと戦うのは割に合わなそうじゃの」


 チラリと、私の背後に広がる森に視線を向けるベルゼブブ。恐らくだが、グレガリオが何処かでベルゼブブに殺気でもぶつけているんじゃないだろうか。


 それを感じてか、こちらに向けた槍杖の穂先を下ろすベルゼブブ。モードレッド達も、警戒こそ残しているが武器を収め始めた。


「さて、会談というが一体何を話すつもりかの? ワシには嬢ちゃんらに持ち掛けるような話など無いのじゃがな」


「そんなに難しい話じゃありませんよ。ただ、ベルゼブブ様には共にゼウス神を討ち取る戦いに参加して欲しいという御要望をお伝えしたいだけです」


「……カッカッカッ!!! それはまた、随分と身の程を知らん大層な夢物語を語ったもんじゃの!!!」


 大層な夢物語というのが、ベルゼブブから見た評価であるらしい。


 まぁ、何も知らない状態でそんな話を聞いたら、どんな人も「それは無理だ」という反応を返して当然なのかもしれない。


「それで? そのような夢物語を語るのだから、それなりに勝算があってこの話を持ち掛けたのだろう?」


 ただ、ベルゼブブは夢物語とは言いつつも、何故そのような提案をしたかについては気になるようだ。


「現在、ゼウス神とそれらに与する帝国は秘密裏の同盟により包囲されております。加盟国は十を超え、参戦する神々は百以上となりました」


「……カッカッカッカッ!!! 何とまぁ、いつの間にかあの業突く張りも既に喉元に短剣を突きつけられているんじゃぁないか! これは実に愉快!」


 あぐらをかいて大きな石に座るベルゼブブは、とても楽しそうに自らの膝を叩いて大笑いしていた。


 どうやら、いつの間にかあのゼウス神が囲い込まれていることに、喜びを隠しきれなくなったらしい。


「やはり、ベルゼブブ様もゼウス神には骨髄を満たす恨みが?」


「左様。我が身をハエに落としたのはかの神々である故な。ワシの力を恐れ醜きハエに変えたようだが、そこから先は奴らも予想出来んやり方で覆してやったがのぅ!」


 そこからベルゼブブは昔の話をしてくれたのだが、なんとベルゼブブも元は土着の神様であったらしい。


 ベルフェゴール同様の土地神に近い神で、崇める民のために雨を降らせたり恵みを与えたりしていたそうだ。ただ、ベルフェゴールよりも血気盛んだったみたい。


 まぁ、そこから先の流れは似たようなもので、ベルフェゴールのように崇める民は帝国の兵士らによって根切りにされ、ベルゼブブ自体にも天使達の凶刃が向けられたそうだ。


 その際にベルゼブブは激しく天使達と戦い、その身にハエの呪いを受けてしまったそうだ。


「じゃが、それで力を落とすと思っていた奴らの裏をかいてやっての。結果として奴らの軍は這々の体で追い返してやったぞ」


「よく勝てましたね……?」


「そこはまぁ、言っていた通り裏をかいてな」


 なんとベルゼブブ。ハエの姿に変えられた事を利用して、豊穣神の一面を捨てて飢餓をもたらす悪神にその権能を変化させたらしい。


 変化したことで大量に生み出された眷属のハエ達が一斉に天使達や帝国軍を襲い始め、ベルゼブブ自体も敵の天使の総大将相手に槍杖を振るって襲い掛かったそうだ。


 これには流石の天使達も押し切れず、逆に押し返される形となって一斉に逃げ出した。それに合わせて、地上の帝国軍も慌てて背を向けて逃げ出したという。


「流石に本拠地までは落とせんかったが、その他の砦や街や村には我が眷属を伴って食えるもん全て食い荒らして去ってやったわ!」


 ベルゼブブの眷属であるハエ達はとても強力で、ベルゼフライという固有種になった彼らは石造りの要塞も牙で噛みついて削り、瓦礫の山へと変えていったそうだ。


 ただ、流石に本拠地まで攻め込むような真似は出来なかったようだし、途中で討伐軍が派遣されて相当量の眷属を失ったので、この森の奥地でまた眷属を増やして再編成を行っていたという。


「アマネ。ワシは御主の同盟に加わらせてもらおう。勿論、開戦となれば我が眷属全てを引き連れて天使共を食い尽くしてやるわい」


「ありがとうございます。ベルゼブブ様の御力が借りられるのであれば、私達の勝率も大きく上がることでしょう」


「あぁ、期待してくれて構わん。それまでに、ワシも眷属の数を増やしておくからのぅ」


 そう言って、ベルゼブブは再びカッカッカッと笑い始めた。


















「…………ふむ、やっと行ったか」


 大きな石の上であぐらをかいていたベルゼブブは、手を振って去っていった歌姫の姿を見送って、最後に額の汗を拭っていた。


「全く、ワシが本気でないのは御主が見てもわかることじゃったろうに……」


 先程からピリピリと肌を焼く殺気が、ベルゼブブの全身を覆っている。アマネとの歓談中には幾分かは抑えられていたが、それでもベルゼブブに死を感じさせる程の殺気は与えられていた。


 その殺気の主は誰か? それは、アマネを守る一人の陰の者しかいないだろう。


「言っておくが、ワシはアマネの嬢ちゃんを裏切ることも傷付けることもせん。そんな真似は、元とは言え神としての矜持にも響くからの」


 そこまでベルゼブブが告げたことで、濃密な殺気は何も無かったかのように霧散し、未だにギチギチと威嚇していたタイラントローカスト達も散らばって何処かへ行ってしまう。


 眷属のベルゼフライも、漸く気が抜けると地面に降り立って暫く休憩し始めた。









「やれやれ……まさか、アヤツまでもがあの嬢ちゃんに入れ込んでおるとはの……」










 そう言って、ベルゼブブはこの出来事を知り合いである悪魔と堕天使に話すかどうか、ゆっくりと思案し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る