第572話

 何処から話そうかと悩む男性。私達にもわかりやすく、そして過去の物語を損なわないようにと、言葉を選びながらゆっくりと話し始める。


「これは、すっごく昔の話だ。昔、ここからだと北東の辺りかな。そこに、私は、『私達』は暮らしていたんだ」


 彼は、元々はここより北東の方にある広い森を携えた山で暮らしていたそうだ。


 山の麓に広がる集落の人達と穏やかに暮らしていた彼は、巫女と呼ばれていた娘達ととても仲が良かったらしい。


「いつも山の神を信仰してくれて、山の神の為に舞を覚えたり、歌を歌ったり、美味しい料理を作ったり……兎に角、器量のいい子が多かったよ」


 こんな舞を覚えたと披露してもらったり、こんな歌を覚えたと綺麗な歌声で歌ってくれたり、うまく出来たかわからないけれどと、至高とも呼べる絶品料理を食べさせてくれたりと、巫女の子達にとても慕われていたという。


「集落の人もいい人ばかりでね。毎日毎日、仕事を始める時は山の神にその日一日の安全の祈りを捧げ、仕事を終える時には感謝の祈りを捧げていた」


「いいですね、そういうの。私も、お世話になった人にはいつも感謝していますよ」


 どんな形であれ、大切にしているものや大切にしてもらった人に感謝するのはとてもいいことだ。その集落の人達は、そんないい人ばかりだったんだろう。


 山の恵みは必ず山にも返すし、人の恵みもお裾分けだと山に捧げる。


 年に一度の大きな祭りと、月に一度の感謝の宴をするくらい、彼らは山の神に対する信心が厚かったそうだ。


「何かいいことがあればすぐに宴を開いて、そして山の神に感謝していたよ。それこそ、山の神の関係が無さそうな祝い事であってもね」


 彼と仲の良い巫女達も、年月を経れば巫女としての役目を次代の巫女に譲り、新たな巫女達が山の神の為に努力して、そしてまた先代の巫女の子供へと巫女の役目を譲る。


 勿論、この巫女達が引退した後も、新しい巫女達に舞や歌を教えてほしいと言われたからと、何かしらの理由をつけて山の神に会いに行っていた。


「とても、穏やかな日々だったよ。子供達は楽しそうに野山を駆け回り、男達は老いも若いも関係無く毎日働いて、女達はそんな男達の帰る場所を守ってくれていた」


 だが、そんな日も永遠には続かず、終わりの時は着々と側へ近付いてきていたという。


「集落に、旅人が来たんだ。色々な国を巡って、神の教えを広めていた宣教師だった」


 集落に訪れた珍しい客人に、宴という形で料理を振る舞って持て成した集落の人達。宣教師の人も、その歓待を受けて非常に喜んでいたという。


 特にその宣教師は様々な国を巡っていたからか、集落の山神信仰にも理解を示していて、集落の人に倣って山の神に祈りさえ捧げてくれたらしい。


 そうして地元の御土産を持たされた宣教師は、集落の人達に見送られて伝道の旅へと戻っていった。








「それから一つか二つ、月が過ぎた頃だった。集落の周りに、火が放たれたのは」







 集落を囲む白い服を着た聖職者と鎧を纏った騎士らしき軍隊が、火矢を構えて一斉に矢を放った。有無も言わさぬ、あっという間の出来事だったらしい。


 集落は一斉に燃え、家屋や人が炎に包まれていく。収穫間近の畑などは、天高く火の粉を巻き上げるほどの大火となって大地すら焦がした。


「私も男達も、集落を守るために戦ったよ。尤も、私がここにいる時点でどうなったかはわかるだろうけどね」


 集落を襲った軍隊を相手に、男達は武器を手に取り戦った。戦えぬ者を山に逃がすための、時間稼ぎも兼ねていた。


 だが、普段から平穏に暮らしていた彼らの武装など言ってしまえば高が知れている。


 剣も槍も無く、薪割の斧や鉈、鍬や草刈り鎌といった農具しかない集落の人に対し、軍隊は容赦無く矢を浴びせ、そして槍や剣で一人残らず討ち取っていった。


 ただ、そんな中でも軍を退けるために、彼だけは最後の一人になるまで戦い続けていたという。


「何故このようなことをするのか。何故女子供まで殺そうとするのか。答えなど出ないとわかりつつも、私は彼らにそう聞いたよ」


 何百と敵兵を討ち取り、女子供が山奥にある山の神の聖地とされている洞窟へ逃げる時間を稼ぐ為に、彼は襲ってきていた軍隊相手にそう問い掛けたそうだ。


「そしたら、彼らはこう言ったんだ」


















『異端の悪魔を信仰する邪教徒を滅することが、我らの使命だからだ』














 理解出来ないその答えには、思わず息を呑んで驚いたそうだ。それと同時に、そんな理由で人の命を容易く奪えるものなのか、と。


 そんな困惑に襲われた彼は、背後の山に向かい一筋の光が伸びていくのを目の当たりにする。


「光が向かったのは女子供達が隠れる洞窟。目の前の軍を放置して、私はそこに向かおうとした。結局、それは叶わなかったんだけどね」


 人の軍を放置して山に向かおうとした彼だったが、その背中を斬り裂かれたことで地面に倒れ、更には胸に剣を突き立てられたそうだ。


 それで死ななかったのだから驚きだが、それよりもその剣を突き立てた相手に一番驚いた。


「私に剣を突き立てたのは、ミカエルと名乗った男だった。背中には、鳥のような白い翼が生えていたな」


「…………天使」


 剣を突き立てたミカエルは『神を詐称する悪魔は、熾天使ミカエルが討ち取った!』と、軍隊に向かってそう名乗りを上げたそうだ。


 薄れゆく意識の中でどうにか体を動こうとしたそうだが、そんな意思とは裏腹に体はピクリとも動かず、そのまま意識は暗転してしまったという。


「その後だな。焼け落ちた集落の中心で目覚めた私は、何故生きているのかわからず少しの間は動けずにいたよ」


 ただ、荒れ果てた集落で目覚めた彼は、すぐに女子供達が隠れる山の洞窟へと駆け出していった。


 ボロボロになった体を必死に動かして、雨の降り落ちる中を必死に走って――――その光景を、目にしてしまった。











「……皆、死んでいた。女も子供も関係無く、その体を冷たくして、永遠に眠り続けていた」








 洞窟の前には血溜まりに沈んだ骸や、火に焼かれたのか黒焦げになって、最早誰なのか分からない姿になってしまった骸が幾つも転がっていたという。


 生まれたばかり赤子を抱いた母親が、赤子諸共槍で突かれて事切れていて、その母親を守ろうとした少年が首のない状態で地面に倒れ込んでいて……


 そして、洞窟自体は崩れ落ちていて、更には火を放ったのか入口を塞ぐ土砂の表面が黒く煤けていた。


「力無き体で、埋まった入口を掘り起こすのは中々苦労したよ。多分、数日はそれに掛かりっきりだったと思うな」


 そうして長い時間を掛けて掘り起こした洞窟の中には、何人もの巫女や女子供が力無く地面に倒れ込んで息絶えていた。


 埋まった洞窟の中で火まで放たれたのだ。空気を求めていたのか、何人もの子供達が喉を押さえながら虚空に手を伸ばしていた。


「墓は作ったよ。力を落とした私だが、せめてそれくらいはしてやらないと、彼女らの魂が浮かばれない」


 集落の男達や洞窟の女子供達の墓を作り、一人一人目を閉じさせた上で土に埋めていく。


 その中で、洞窟の一番奥で亡くなっていた巫女の服の袖から、小さな木の札が零れ落ちてきた。


「死の間際に彫ったんだろうな。酷く歪んでいたけど、その札にはこう書かれていたんだ」







『山の神バアル・ペオル様の無事を願います』







 話の途中で懐から取り出された小さな札には、かなり歪んだ字だが確かにその一文が彫られている。


「それからかな。皆の墓を作った後は、フラフラと宛もなくアチコチふらついて、そしてここに隠れるようになったのは」


 護るべきものを失い、護るべきものを護れないことに恐れを抱いた彼は、最終的にこの洞窟へと辿り着いて、表に結界を張り隠れ住むようになった。


「……眠り続けているのは、護るべきものを護れなかったが故、ですか?」


「このままずっと眠ってしまいたいと思っていた。そうすれば、先に眠っている彼女達に謝りに行けるから。でも、それをしたらこの子の願いを踏み躙ることになっちゃうね」


 彼は最初と比べてスッキリした顔をしていて、今も残された札を見て柔らかな笑みを浮かべている。


 どうやら、彼の心にまとわりついていたモヤは綺麗に晴れたようだ。この姿を見ていると、ルジェと初めて会った時を思い出すなぁ……


「……フフ。ルジェもあんな感じだったわよね」


「いやぁ、恥ずかしいなぁ……」


 あ、ルジェもすっごい恥ずかしがってる。客観的に見るとそういうのって恥ずかしくなってくるよね。


「……なんか、すっかり目が覚めちゃったな。こんなにスッキリしたのは久々かもしれない」


「それは良かったです。あ、そう言えばまだ名前を名乗ってませんでしたね。私はアマネって言います」


 私はまだ彼に名前を言っていなかった。バアル・ペオルという名前を教えられたんだから、その分は返してあげないと駄目だろう。


「アマネ、かぁ。とってもいい名前だ。それなら、私の名前も教えてあげないとね」


 そう言って、彼は札を懐にしまいながら、私と目を合わせて口を開く。







「――――私の名前は、ベルフェゴール。バアル・ペオルはあの時に死んだからね」


「――――はい、ベルフェゴールさん」






…………ベルフェゴールって何かで聞いたことがあったけど、何だったっけ?

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