第8話 嵐の向かう先

「可能であれば殺さずに、戦闘の継続を不可にできれば十分です。ただ、危ないと思ったら無理はせずに後退を。あとは僕たちが対処します」

 紫炎の騎士は静かに部下たちに指示を出す。

 通常であれば負けを知らない部下たちも、相手を殺さないように戦うなど慣れてはいない。そういった余計な考えを持って戦うことは、本来の力の半分も発揮できないに違いなかった。

 二万の帝国軍にぐるりと囲まれたジェスダールの兵たちは為すすべもなく、一種の恐慌状態に陥ったように固まっている。

 だからといって、このままただ囲んでいるだけでは、新たな公王からの指示が届く前に事態が悪化することは予測できた。

 勇猛なるジェスダールの兵たちがこのまま萎縮しているはずもなく、どう抗っても敵わない大軍に対し、いずれ死を決してを仕掛けてくることは想像がつく。

 そうなれば厄介だからこそ、彼らに考えるいとまを与えない。だなどと心を決める余裕を与えない。

 そのためには間断なく刺激と恐怖を与え、戦意を挫くのが手っ取り早かった。

「もちろん、いざという時はためらわずに倒してしまって構いません」

 相手の犠牲を出さないために、味方の犠牲を出すのでは本末転倒だ。その境界はしっかりと把握している。

 今回のいくさで炎彩五騎士が指揮官として中央で指示を出すのではなく、それぞれ最前線に出てきているのもその為だ。

 もともと五騎士が前線に身を投じることを好む性格たちということもあるが、をすることにいる自分たちが前線で暴れる方が効率的で、しかも相手に与える精神的ダメージも大きい。

 もちろん配下の者たちが、自分の指揮がなくともその意に沿って動くことが出来ると確信しているからこそ出て来られるのだが。

「紫炎様、他の御三方も予定通りにっておられるようです」

「分かりました。僕もすぐに出ます。あとはお願いしますね」

 紫炎ラディカは腹心の青年に自軍の指揮を任せると、翠珠槍すいじゅそうと呼ばれるまっすぐ伸びた優美な槍を片手に馬を駆る。

 それに続くのは、紫炎の騎士が指名した最精鋭の数百騎のみだった。

 周囲では他の五騎士も同じく、僅かな手勢のみを連れて囲いの中心に向けて動く様子が見て取れた。

「 ―― さんっ!」

 ジェスダールの兵たちが応戦するように矢を射かけてきたのを確認し、紫炎ラディカは短く指示を飛ばす。

 その声に、紫炎を先頭に固まって駆けていた一団は秩序だったまま散開し、飛び交う矢を器用に避けて進んでいく。

「白炎の放った矢ならともかく、そんなもので五騎士の兵は傷つけられません」

 眼前に飛来した矢を難なく槍で叩き落しながら、ラディカは紫色の双眸をわずかに細め、静かに笑った。

 他の三人が居る方をそれぞれ見やっても、もちろん被害を被った様子はない。

 同時に四方に応戦しなけれないけないジェスダールの兵たちが、どこか散漫な戦い方になるのは当然で、その分こちら側の意識が一点に集中できるのは、大きな強みでもあった。


***


「いったい、どういうことなんだ……」

 怒涛のように砂漠を駆け、自分たちを踏み潰すように押し寄せてくるかと思われた二万騎の帝国軍は、ジエイたちの予想に反し、矢のぎりぎり届かない範囲をまるで円陣でも組むかのように留まっていた。

 あのまま数を恃んでこちらを打ち倒す方が楽で確実な方法のはずなのに、なぜ囲むだけなのかが分からない。

 しかも、その一部だけが囲みから離れ、こちらへと向かって来るのである。その動きの真意が分からずに、ジエイは不安そうに唇を噛んだ。

「あれだけならば太刀打ちできないこともないが……」

 四方から切り取られたように向かって来る部隊を排除できたとしても、その背後にはまだ大軍が控えている。

 そのまま波状攻撃でもされたらたないのは明白だった。

 先ほど射かけた矢も、敵の数を減らすことは出来ていない。それでも何も対応しない訳にもいかず、ジエイは必死に思考を巡らせる。

 探るように周囲を見回すと、橙の炎色旗を掲げる南の陣が他より少し手薄に見えた。こちらに向かって来る部隊も他の方角よりも少数だ。

「……奴らがここに集結するのを待つのも馬鹿馬鹿しい。我らは先攻して南の敵に向かい、これを撃つ!」

 敵陣突破への一縷の望みをかけ、少しでも層の薄い場所へと向かった方が得策だと判断し、ジエイは周囲で矢を射かけていた兵たちに指示を出す。

 相手は騎馬隊のみ。こちらは歩兵と騎馬が半々で、すぐに残り三方の隊に追いつかれるのは必至だ。けれどもいま、多くを考えている余裕はなかった。

 

「……え?」

 兵を率いて駆けながら、ジエイは目の前の光景に思わず目を疑った。

 こちらに向かい来る部隊の先頭では、紅茶色の髪があざやかな美貌の騎士が笑むようにジエイを見ていた。

 虫も殺せないような優しげな顔をしたその騎士は、何故か手には槍も剣も持っておらず、まるで戦いなどする気がないように見えた。

「ふふっ。思惑通り、こっちに来てくれて良かったよ」

 ジエイを見やる穏やかそうな翠玉の瞳が、ふと、蜘蛛の巣にかかった獲物を見るような眼差しに変わる。

「と、橙炎の騎士……」

 橙を基調とした軍装に月と稲妻の紋章を見出して、ジエイの隣を駆ける兵が呆然と呟いた。

 天使のようなあの顔に騙されてはいけないのだと。五騎士の中で最も残酷なのは彼なのだと。この中で知らない者はいなかった。

「 ―― 罠かっ!」

 自分たちがこちらに向かうよう、わざと層を薄くしたのだろう。

 そう気づいても今さら引き返すことも出来ず、ジェスダールの兵たちは橙炎率いる数百の騎馬と入り乱れるように激突した。

 迷うことなくジエイに向かって来る橙炎ミレザの右手が、ふわりと。風を撫でるかのような優雅さでわずかに動く。

「な、んだ?」

 ひゅんっと、鋭く風を切るような音が耳元で聞こえたかと思った瞬間、ジエイが右手に構えていた三日月のような刀剣が粉々に砕け散った。

「……本当は、おまえたちの頭をそうしてやりたいところだけど、陛下のお言葉があるからね。見逃してあげるよ」

 にっこりと微笑みながら、橙炎ミレザは再び手首を翻す。まるで空気がしなるように、ジエイは何かが目の前を通り過ぎていくのを見た。

「 ―― っ!?」

 橙炎の騎士を囲もうと動いてた数人の兵たちの剣が、先ほどと同じく粉々に砕け散る。

 よく見ると、橙炎ミレザの右手には、光の束で出来ているのではないかと見紛うほどに優麗な、しなやかな鞭が握られていた。

「あれが……」

 ふと、それを見つめたまま、ジエイは何かを思い出したように息を呑む。

 橙炎の騎士には、その鞭で敵将の首を三つ落としたことがあるという途方もない噂があった。

 大げさに語られただけの愚にもつかない虚言だと思っていたあれは、本当だったのかもしれないと、今更ながらにジエイは身震いをした。

 いともたやすく剣を打ち砕いたあれが人に当たればどうなるか。想像しただけでも怖ろしい。

「もう、戦うのをやめて投降でもした方が良いんじゃないかな」

 ふうわりと、相手を気遣うような優しい笑顔で、けれどもその眼光だけが狂気にも似た光を宿し、ミレザはジェスダールの兵を束ねる男を見やる。

 天使の美貌に浮かぶその表情は、逆に凄みを増して敵の戦意を挫く。ジエイは怖ろしさに、知らず冷や汗が流れるのを感じた。


「 ―― 偉いじゃないか橙炎。ちゃんと殺さずにいるな」

 明るい声が聞こえたかと思うと、さっと碧い外套マントが目の前を流れるように過ぎていく。

 北から来た碧炎がここに居るということは、東西に居た緋炎や紫炎もすでに追いつき、ジェスダールの兵たちと剣を交えていることを表していた。

「……陛下の指示に、私が逆らうことは滅多にないよ」

 肩をすくめるようにミレザは碧炎の騎士を見やり、わずかに苦笑する。

 もちろん殲滅したい気持ちはあるけれど、それを為すことが皇帝の意に沿わないのであれば仕方がない。

「それで ―― どうするんだい?」

 周囲では、緋・橙・碧・紫と。四つの炎色旗がゆらゆらと炎天のもとにはためいて、相手を圧倒している様子が見て取れた。

 このまま戦い続ければ、いずれ犠牲者は出る。

「投降するか、続けるか。決めるのはおまえたちだ」

 すでに武器を失い、戦うことも逃げることもできないでいるジエイとその周辺の兵士たちに、碧焔の騎士も重ねるように問いかける。

 その青年の肌が自分たちと同じ褐色なのを見て、彼が元々は砂国エンジュの王家に尽くすはずの武家出身だとすぐにわかった。

「 ―― おまえ、ジェスダール公王を……」

「おっと。裏切り者とか言わないでくれよ。俺は子供の頃から帝国人なんでね」

 にやりと、碧焔ゼアは悪戯っぽく右目を閉じる。

「それに、もうジェスダールは公王じゃない。さっき、白炎の騎士が公国旗の蠍をすべて壊しただろう? すでに日輪の横に鎮座する象徴ものは『フクロウ』に変わっているからな」

 淡々と紡がれたゼア・カリムの言葉に、ジエイは動揺したように目を泳がせた。

 知恵の象徴であるフクロウを紋章として戴いているのは、公王の継嗣であるカイルだということはもちろん知っている。

 それでもいきなり公王が変わったなどと、にわかには信じ難かった。

「カイル殿下が、そのような不孝をなさるはずがない」

 ぐっと拳を握り締め、ジエイは奮起を促すように大きく息をつく。

「そして ―― 我ら砂国エンジュの兵は、公王のめいがある限り、戦いを止めることはない!」

 潰えそうだった戦意を必死に立て直し、ジエイはそう叫んだ。

 もし本当に公王が変わったのであっても、その新しい指示が届くまではこれまでのめいを無視することは出来ない。それが、自分たちという存在だった。


「やはり、ダメか……」

 エンジュの武家出身だとしても、公王に従う以外の道もあるということを示したかったが、通じなかったことが残念だった。

「……まだ来ないのか。公王からの使者は」

 予定よりも到着の遅い使者を待ちわびるように、ゼア・カリムは空の彼方に視線を向けた。

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