第7話 偽りの開戦

 目が眩むような強い日差しが黄金色の砂上に降りそそぎ、ただそこに立っているだけでも汗が滲み出てくるようだった。

 夏にはまだ少し届かないこの時期は比較的に過ごしやすい方だとはいえ、普段この場所に住んでいない者にとってはやはり暑い。額に浮かんだ汗をぬぐいながら、少年はそのまま右手でひさしを作るように前を見た。

「ったく、俺だって向こうで戦いたかったのにさ」

 むくれたように口を尖らせて、大きなため息をつく。その左手には身の丈よりも大きい、なだらかな曲線を描く美しい拵えの長弓を持っていた。

「はは。この役目はお前にしかできないだろ、クォーレス」

「そりゃあ、そうだけど……」

 それでも納得がいかないというように、白炎の騎士はむうっと口を曲げて、隣に立つ見上げるほどに長身の男を眺めやる。

 南から迫りくるジェスダールの兵たちに対応するため、すでに五騎士のうち緋炎・橙炎・紫炎の三人はこのバーティアの街から出立していた。

 もうしばらくすれば隣にいる碧炎の騎士も出立する予定で、自分だけこの街に残ることが少し不満だった。

「おまえほど、その弓を巧く扱える奴はいないからな」

 わしゃわしゃと目の前の白い髪を掻きまわしながら、碧炎ゼア・カリムは楽しそうに笑う。

 五騎士最年少の白炎の騎士は、目に見えないほど離れた場所に在る的をも外さないという、神技のような弓捌きの持ち主だった。

 普段から白炎が戦場で使用している小ぶりな弓とは違う、背丈よりも大きなこの長弓を巧く扱えるのもまた、彼だけだった。

「ちぇっ。ゼアだって、真剣にやれば出来そうなのにさ」

 白炎は諦めたように息をつくと、再び顔を前へと向ける。

 前方にはバーティアの街を攻める機会を窺うように、千人ほどのジェスダールの兵たちが展開していた。

 何の備えもない通常時であれば、ただ攻め込めばこの街はひとたまりもなく落ちる。けれども今、この街の防衛に炎彩五騎士が当たっていることは、彼らにも良く分かっているのだろう。すぐには手を出してこなかった。


「あの中に、本当に勝てると思ってるやつはいるのかな?」

「……思わなくても公王の命令ならば遂行する。それが、彼らだ」

 恐れを面にはあらわさず整然と居並ぶ兵たちに、碧炎は小さな溜息をつく。新たに公王に就いたはずのカイルが命を下さなければ、それは終わらない。

「なるべく犠牲は最小限にしたいものだけどな」

 炎彩五騎士はそれぞれ精鋭部隊五千を選抜して率いてきた。白炎だけは自軍を連れて来ていないので、合計二万の騎馬が、たった千人の兵に対して配置されている。

「滅ぼさない戦いってのは、滅ぼすよりも面倒だ」

 それをあっさりと指示してくる皇帝の信頼にはもちろん応えるつもりだが、作戦がうまくいかなければ、あの敵兵たちは全滅するだろう。

「でもまあ、大丈夫なんじゃないか? 橙炎はちょっと分かんないけどさ、緋炎も紫炎も、ゼアだって、あいつらを殺す気がないんだろ。あっちの戦意さえ削がれれば、新たな公王からの指示が届くまでの時間は稼げるよ」

 白炎はにやりと笑って、十歳とおも年上の僚友を見やった。

 視界を遮るものが何もない広大なこの砂漠の上で、ジェスダールの兵たちはまさか周囲にそんな数の帝国軍が待機しているとは思ってもいないだろう。それを目にしたとき、そのままの戦意を保てるのか否か。

「おまえの技量うでにもかかってるな、頼んだぞ」

 碧炎はぽんっと、己の胸の高さに位置する白炎の頭に手をのせると、明るい笑顔を残して壁上から降りて行った。

「……はいはい。分かってるって」

 出立するために去っていくその碧炎の背を見送ってから、クォーレスはすっと表情を引き締める。

 その瞳に映るのは、兵たちが掲げる砂国エンジュの黄色い旗。その先端には、エンジュの紋章である太陽と、公王ジェスダールを表すさそりを象った二つの飾りがつけられているはずだった。

「さてっと。やりますかね」

 時を計るように太陽の位置をちらりと見やり、小さく頷く。

 そうして二メートル以上はあろうかという弓幹ゆがらの中央より下部をしっかりと握り、白炎は頭上に掲げるように弓を起こした。

 鋭いまなざしは前方の兵たちに向けられたまま、きりきりと己の顔の横まで弦を引き絞ると、口元にあざやかな笑みが浮かんだ。

「嵐の始まりだよ。派手に、登場して来いっ」

 鋭い弓弦の音がをあたりを震撼させるのと、自信にあふれた白炎の言葉が零れ落ちたのは、ほぼ同時だった。


***


「ジエイ隊長、もしかするとあの炎彩五騎士の軍旗は、ただのハッタリなのではないでしょうか?」

 一番大きな公国旗を掲げる将の隣で、若い兵士は逸ったように上官を見やった。

 この場所に着陣してからしばらく経つが、閉門されたバーティアの街からは何の反応もなく、静かに時が流れるのみ。

 放った斥候からはまだ何の連絡もなかったが、街の外壁に高々と掲げられた『月と稲妻』の大軍旗はこちらの兵を怯ませる為の偽装で、帝国軍はまだ街に到着していないのではないかとさえ思われた。

「ふむ……そうかもしれん」

 アステア姫に付いて帝国に行っていた侍女からの伝書鳥が、「ラーカディアストの皇帝を花毒に染めた」と公王のもとに知らせてきたのが十日ほど前だった。

 ジェスダールは手紙に記載された日付から皇帝に毒が回る日数をかぞえ、吉日を占い、挙兵の日を今日と決めた。それはもちろん秘密裏に行われたことだ。

 しかし何故か帝国が察知して、素早く炎彩五騎士をバーティアの街に送って来たのだと、宰相のマカヤが出陣を止めるよう昨夜公王に進言して退けられていたのを、ジェスダールの兵たちは同じ場所に居たので聞いていた。

 けれどもやはり、目の前の街からはその気配がないのだ。

「帝国からここまで兵を引き連れて、こんなに早く来れるはずもないか」

 ジエイと呼ばれた男は自身が納得したように頷くと、少しだけ安堵したような表情を浮かべ、ここから少し離れた場所に立つ街の外壁を眺めやる。

 自分たちの使命は、公王より下された「バーティアの奪取」という命令を成し遂げること。

 帝国の拠点になっているバーティアを占拠し、その総領事を放逐することで帝国からの独立を宣言するのが公王の願いだった。

 それがいくら無謀なことであったとしても、自分たち公王に仕える兵士は異を唱えることはせず、逃げることもしない。

 それでもやはり、この数年間に幾つもの国をあっさりとくだしてきた炎彩五騎士の威風を知らない者はなく、彼らと戦わずに済むならばそれに越したことはなかった。

「よし、街攻めを開始しよう」

 心を決めたように、千人の指揮官であるジエイは高々と指示を出す。

 その号令が周囲にも行き渡ると、待つことに飽いていた兵たちの、活力に富んだ大きな鬨の声が、乾いた砂漠の空を震撼させるように響き渡った。


 その ―― 刹那。

 かんっと、何か金属がぶつかるような高く硬質な音が、頭の上の方で聞こえた。

「なんだ?」

 いったい何事かと音のした方を見上げると、掲げていた公国旗の先端部。ジェスダール個人の紋章である蠍の金飾りに、純白の羽根を持った矢が突き刺さっていた。

「矢、だと? どこからだ」

 周囲を見回してみても、あるのは砂の大地のみ。しかし前方に建つバーティアの街からこの場所まで、弓矢が届くはずはなかった。


 ―― かんっ。かんっ。かんっ。


 続けざまに音がして、その都度、掲げられたいくつもの旗の蠍飾りに矢が突き刺さっていく。

 その隣に位置する公国の紋章である太陽飾りには、傷ひとつ付けないその矢の存在に、兵たちは思わず息を呑んだ。

「……白炎の騎士だ。やはり、バーティアには炎彩五騎士がいたか!」

 こんな人間技とは思えない神技のような弓捌きの持ち主は、弓の名手と名高い白炎の騎士でしかありえなかった。

 あまりに正確で強弓な相手の存在を目の当たりにして、一瞬、兵たちは怯むように後ずさりする。けれども、このまま引き返すことなどは死んでも出来ない。

 兵たちは必死に気勢を上げて、反撃に移ろうと三日月のような曲刀を手に取った。


「 ―― 西から、砂嵐がくるぞっ!」

 ふいに、大きく巻き上がる砂塵に気が付いて、西端に並んでいた兵士たちが慌てたように警告する。こんなところで砂嵐に巻き込まれては大変なことになる。

「ひ、東からも、南からも砂嵐が……」

 左右、後方の三方向から、もうもうと砂塵が立ち上る様子が見て取れて、ジェスダールの兵たちは茫然と立ち竦んだ。

 こんな多方向から一斉に巻き上がる砂嵐など見たことがなかった。

「……砂嵐じゃない!? 帝国軍……炎彩五騎士の軍だっ!」

 大地が揺れるような轟音と、砂嵐に混じる多くの影に、それが自然発生のものではないと悟って驚愕の声が上がる。

 怒涛のように砂塵を巻き上げながら近づいて来る三方向の騎馬隊の中央には、緋色と紫と橙と、それぞれの炎色旗に「月と稲妻」が翻っていた。

 砂漠を駆けるその機動力は、平地と何ら変わらない。

「うそ……だろ。あんな数……」

 千人しかいない自分たちに対して、十倍以上もありそうな兵数が取り囲むように疾風の速さで駆けてくる。

 そのあまりに怖ろしい光景に身震いし、活路を見出そうと前方に目を向けると、いつのまにかバーティアの街外に、碧い旗をひらめかせる騎士たちが立ち並んでいた。


 ジェスダールの兵たちは ―― もはや完全に袋の鼠と同然だった。

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