第6話 戦い前夜 ~それぞれの思惑~

 オアシスの街バーティアに炎彩五騎士が入ったらしいとの報告を受けて、ジェスダールは持っていた玉杯を投げつけた。

「だから何だというのだ。炎彩五騎士など、ただの若造ではないか」

 足元で這いつくばるように平伏する宰相に、忌々しげに頬を歪める。

 帝国最強と謳われる炎彩五騎士の存在を示す、『月と稲妻』の紋章が縫い取られた大軍旗がバーティアの外壁に掲げられているのを見て、泡を食ったように注進してきた宰相に、ジェスダールは腹が立って仕方がなかった。

 最強などと言われているが、その実態は主座の緋炎の騎士からしてまだ二十六歳という青二才なのだ。

 五騎士の中には十代の者がいるとも聞く。そんな者たちをどうして重臣たちそこまで怖れるのか。どうにも腑に落ちない。

「ルキが送って来た伝書鳥の内容からすれば、皇帝はすでに花毒が回って昏睡状態に陥っておるはず。すべて予定通りで、怖れることなど何もないではないか」

 帝国最強だの何だのと、ただのを怖れるお前たちは臆病者だと、声を大にして叫びたかった。

「頼りになるのは、我が兵士のみだな」

 弱腰になっている重臣たちとは違い、戦意みなぎる屈強の兵たちに、ジェスダールは満足そうに頷いた。

 忠誠心と愛国心が篤く、公王の言葉であれば身命を賭してきく。砂国エンジュが王国だった古来よりずっと続く、頼もしい武家の者たちだった。

 三日月のような曲刀を得手として、果敢に戦う者たち。彼らがオアシスの街バーティアに攻め込めば、すぐにでもかの街は門戸を開くだろう。

 そんな妄想を胸に、ジェスダールは床に這いつくばるように出陣の再考を願い出る重臣たちをゴミのように見やる。

「さっさと出ていけ。今はそなたらの顔も見たくないわっ!」

 蠅でも追い払うかのように手を動かし、ジェスダールは歪めた顔をふいとそむける。

 今のジェスダール公王は誰がどう見ても、正気とは思えなかった。



「公王は何故、あのような妄想に取り憑かれたのだろうか」

 まるでゴミでも掃き捨てるかのように公王の前から追い出された重臣たちは、宰相の部屋に集まって深いため息をついた。

 国力にしても兵の数にしても天と地ほども違う帝国に牙を剥いて、本当に勝てると思っているらしい公王が理解できなかった。

 たとえアステア姫が皇帝の暗殺に成功したとしても、この国を「公国」ではなく「王国」として独立させたあとに何が残るというのか。

 当然いままで手に入っていた帝国からの援助は何もなくなる。

 そうなれば、この国は昔のように、ただただ困窮し滅びゆくのみだということが、ジェスダールには分からない。

 否、以前はそれを心得ており、帝国との友誼を大切にしていたはずだった。

 それなのに、ラーカディアストの皇帝が代替わりした四年前から、ジェスダールは帝国を軽んじるようになった。

 それは単に皇帝が年若くして即位したせいなのか。それとも他にきっかけがあったのか。重臣たちがいくら諫めても変わることはなかったのだ。

「ルーンの花毒が手に入ってしまったことで、最後の一線を越えてしまったのだろうが……我らは一体どうするべきなのか」

 すでにジェスダールの兵たちは出陣の準備を終えている。明日の朝にはバーティアに向けて発つことになっていた。

 このまま開戦となれば、被害は大きくなるはずだった。


「彼の言うことを、みんなが無視すればいいんじゃないか?」

 困惑しきったように頭を抱えた重臣たちの耳に、場違いすぎる飄々とした明るい声が聞こえてきて、宰相のマカヤは苛立たしげに顔をあげた。

 普段から深い眉間の皺が、さらに深くなる。

「公王の言葉を無視するなど出来るわけが……うん?」

 抗議の声を上げようとして、目の前に居る見知らぬ男の顔にマカヤは首を傾げた。

 その健康的な美しい褐色の肌は、砂国エンジュの武家特有の肌色ではあるが、この男の顔には見覚えがなかった。

「この場所は、重臣以外は立ち入り禁止だぞ」

 自分が知らない顔ということは、無冠の兵士なのだろうと思う。それにしては、縹色はなだの瞳がやけに強い意志を宿していて、どこか存在感のある男だった。

「……俺は、姫の護衛で来ただけなんでね」

 その男はにやりと笑って、背後に佇む小柄な影を指し示す。

 訝しげに重臣たちがそちらを見やると、その小柄な人物は被っていたフードをさらりと外し、美しい金の髪があらわになった。

「アステア姫……?」

 男の長身に隠れるように立っていたのは、ラーカディアストの帝都に居るはずのアステア姫だった。

「お兄様は、どちらにいらっしゃいますか?」

 アステアはわずかに青ざめた顔で、けれども凛と強い、青い瞳を重臣たちに向けてそう訊ねる。

 重臣たちは一瞬顔を見合わせて、苦しそうに頭を振った。

「カイル殿下は姫が出立なさったあとに此度のことを知り、強く計画を反対された為に北の塔に幽閉されております」

 妹を刺客として帝国に送ったことも、バーティアへの攻撃も。どちらも無謀で義に反すると父を諫めたことで、ジェスダールの怒りを買ったのだという。

「良かった……カイル兄さまがこの企てを承諾するはずはないと思っていました」

 どこか安堵したように、アステアはほうっと深く息をついた。もし兄が叛乱の企てに参加していたならば、自分がここに来た意味がなくなるところだった。

「姫の言ったとおりだったな」

 ふっと、明るい太陽のような笑みをその縹色の瞳に宿して、男は子供を褒めるかのようにアステアの頭を軽く撫でる。

「おまえ、平兵士の分際で、姫様に無礼だろうが」

 思わずマカヤは声を上げた。

 この男の顔に見覚えはなかったが、アステアの護衛として帝都についていった兵士の一人なのだろうと思っていた。

「この御方は、ラーカディアストの碧炎の騎士様です。帝国は、条件をのめばエンジュを滅ぼさずにいてくださると約束してくださいました」

 アステアは、必死の思いを伝えるように、宰相マカヤ以下、重臣の者たちを見渡すように目を向ける。

「私は、この国を守りたいのです。だから……私を信じてください」

 目の前の男が炎彩五騎士のひとりだと聞いて、にわかにその場が騒然とした。そんんな宰相たちの動揺を抑えるように、アステアはにっこりと笑ってみせる。

 王族だけが知る城の抜け道を使ってまでここに連れてきてもらったのは、その為なのだから。

「……姫さま」

 今まで自分の考えを強く主張したことがない気弱な姫だった。その少女がこんなにもはっきりと、この国をまもりたいと言う。

 宰相マカヤは深く深呼吸をするように心を落ち着かせて、自国の姫と帝国の騎士を交互に見やった。

「分かりました。姫様のお言葉を信じましょう。帝国の条件を是とするかどうかは別として、まずはお話だけは聞かせて頂きます」

 自分たちだってこの国を守りたいと思っている。けれども公王に意見しても怒りを買うだけで何も止めることができず、無力さを痛感していたところだった。

 だからこそ、話を聞いてみるのもいいもしれない。そう思った。

「まずは、お兄様のところに連れて行ってください。そこで、エンジュが生き残るための帝国の条件をお伝えします」

 どうかこの話し合いがうまくいって欲しい。アステアは両の手を顔の前で組み、祈るように目を閉じる。

 残された時間は少ないけれど、自分にできることを精一杯するつもりだった。


***


 ラーカディアストに行ったはずの妹と、父に仕える重臣たち。そして炎彩五騎士の一人だという青年が突然やってきて、カイルは驚きつつも穏やかに出迎えた。

 刺客として送り出されたと聞いて連れ戻しに行こうとしたところで、父にこの部屋に閉じ込められた。

 もう二度とアステアには会えないと覚悟していたというのに。元気な姿を見られたことが嬉しかった。

 けれども。彼女の話す帝国の条件というものが、にわかには信じ難い。

「それでは帝国の条件というのは、父を退位させて私が公王の座につき、この事態を収束させろということですか? ……そんな、帝国にとって何のメリットもない」

 思わずカイルは呟いた。

 叛逆を起こした公王を殺すでもなく、ただ退位させるだけで済むというのも甘すぎる罰だった。

「どうしてなのですか?」

 無言のままこちらの話し合う様子を見ていた碧炎の騎士に、カイルは確かめるように視線を向ける。

「まあ……気を悪くするかもしれないが、正直に言うとな。この国を取っても取らなくても、うちには何の影響もないんだよ」

 にこりと、碧炎の騎士は笑った。その太陽のような明るい笑顔はこちらを蔑むでもなく、ただ本心を話しているのだと分かる。

 確かに、今でもラーカディアストはこの砂国エンジュを援助こそすれ、何も利益を得ていないのだ。そんな国がどうなろうとも、何も変わらないのだろう。

「あとは、とりあえずルーンの花毒なんて物騒なものを生成するカンテの花はすべて燃やす。陛下が出した条件はこれだけだ」

「……分かりました。父の無謀な野望に、国や民を巻き込むわけにはいきません」

 カイルは重臣たちを見回し、彼らにも反対の意がない事を確かめると、ゆっくりと頷いた。

「それにしても、帝国の炎彩五騎士には、エンジュの武家出身の方がいらしたのですね。少し、誇らしい気がします」

 ずっと友好関係にあったエンジュと帝国のあいだでは、これまで移住した者も多い。そんな移住者たちが蔑ろにされていないのだということを知れて、カイルは嬉しそうに碧炎の顔を見やった。

 碧炎は特にそれについては何も答えずに、ただ朗らかに笑って見せた。


「明日にはジェスダールの兵と我ら炎彩五騎士の軍が戦うことになるだろう。兵たちの被害を最小限に抑えたければ、作戦の実行も手早くすることだ」

 戦いが始まってしまえば、死傷者が出るのは避けられない。碧炎は忠告するように次期公王を見やる。 

「……分かっています。すぐにでも準備に取り掛かりますのでご安心ください」

 カイルは力強く笑って見せた。

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