第5話 忠義と不忠
「これが、私の知るすべてです。弁解できることは何もございません。本当に申し訳なく思っております」
ジェスダール公王の企みをすべて話し終えると、アステアは深々と頭を下げた。謝っても許さるはずのない、叛逆の意志。
これを皇帝に告げることは、父への裏切りでもある。しかし、砂国エンジュの国と民を護るためにはこれしかない。
もちろん、自分が刺客であることには変わりなく、処刑されるであろうこともアステアは覚悟していた。
「話は分かった。私が死んで帝国が混乱に陥った隙に、エンジュは独立を果たすと」
エルレアは無感情にそう言った。そのグレイの眼差しは、どこか呆れているようにも見える。
「まあ、もし私の暗殺に成功したとても、帝国は特に混乱には陥らないがな。単に橙炎が次の皇帝になるだけだ」
自分の死などはなんでもない事だというように、エルレアは笑った。
子供がいな現時点で皇位継承権の第一位に在るのは、従兄である橙炎の騎士ミレザだった。本人は皇位に興味がないようだが、性格が物騒なことを除けば、優秀な君主になる素質はある。
「げっ。橙炎が皇帝になったら、この国は終わりだって」
茶化すように言葉をはさんだのは、白炎の騎士クォーレスだ。いつも橙炎の騎士には遊ばれているので、反撃できそうな機会は逃さない。
「ふふ。ひどいな。でもまあ、その通りだけどね」
にっこりと、橙炎ミレザは微笑んでみせる。白炎の反撃など痛くも痒くもないというようなその笑顔に、クォーレスはむっと口を結んだ。
「……ちっ。無駄に爽やかな笑顔はやめろっての」
その物騒な性格に反して天使のような優しげなその美貌は、はっきりいって性格を知り尽くしている者にとっては呆れる他はない。
「まったく、おまえたちは少しは事態の重さを考えろな」
ごつんと白炎の騎士の頭にげんこつを落としながら、碧炎の騎士は場を茶化す二人をたしなめるように見やる。
この部屋に居るのは告発者のアステアを除けば、皇帝と側近のカレン。そして炎彩五騎士が揃っているといういつもの面子で、気楽になる気持ちも分かる。しかし、今はそういう時ではなかった。
「ってぇな、ゼアの馬鹿力。……それにしても、独立が目的だったなんてなぁ」
頭をさすりながら、白炎の騎士は呆れたように溜息をついた。
今でも砂国エンジュは国としての体裁を保っており、帝国はほとんど統治に口を出していない。
まして、本来なら従属国として税等を帝国に支払うはずのところを、逆に帝国が資金を援助しているくらいだというのに。
公国ではなく、王が治める王国に戻りたいと。そんな子供じみた願望だけで、ここまで無謀な策を立てるとは呆れ返る他はなかった。
名も大事かもしれないが、実の方がより重要だと思うのだ。
「ルーンの花毒……か。初めて聞いたけど、その解毒剤はあるのかい?」
橙炎ミレザは少し考えるように首を傾げ、暗殺の方法を告げた少女を見やる。
男性にのみ効果がある毒。しかも遅効性で、幾人もの政敵を消してきたというのに、その存在がこれまで知られずに来たのだということは怖ろしい。
これまでの被害者は皆、原因を特定できずに突然死ということにされたのだろう。
「今はありません。昔はエンジュの王宮に保管されていたようですが、ここ数十年はルーンの花毒も作ることが出来なかったため、新しく解毒剤を作ることもなかったそうです」
アステアは申し訳なさそうに答えた。
「花毒は使用しなければ、生成されてから約
新月の日に作られるルーンの花毒は、次の新月が来る頃には無害な水へと変わってしまう。だからこそ、この毒を入手したエンジュの王は即座にそれを使おうとする。
この無謀な暗殺計画も、そういった経緯で生まれたものだった。
「どおりで杜撰な計画なわけだな」
緋炎ルーヴェスタは、嘲笑するように琥珀の目を細める。
反乱を企てるのであれば、もっと緻密に計画を立てるべきで、行き当たりばったりな策は身を滅ぼすだけだ。
「ええ。大胆な行動を起こすにしては杜撰すぎるのは確かです。でも、兵を招集しているのは間違いないので、その対策は取るべきでしょう」
静かな紫の瞳が、皇帝のグレイの眼差しを捉えてにこりと笑う。
「ご下命いただければ、我が部隊を率いてバーティアの街に向かいます」
兵を挙げて最初にジェスダール公王が狙うのは、帝国の拠点となっているオアシスの街バーティアだろうということは予測できた。
その街の防衛に、紫炎の騎士が自軍の投入を提案する。
エルレアは可笑しそうに口端を上げて、ゆるりと首を振った。
「いや、今回出る者についてはあとでまた話そう。場合によっては、五騎士すべてを投入する」
「 ―― !」
皇帝のその言葉に、アステアは思わず悲鳴を上げた。
炎彩五騎士すべてを投入するということは、完全に砂国エンジュを亡ぼすという事と同義に思えた。
「反逆の首謀者である我々への処罰はいかようにも受けます。それでも……エンジュの民は無関係なのです。どうぞお許しください」
懇願するように、アステアは両手を合わせて床に降りる。それだけは、どうしても阻止しなければいけなかった。
「エンジュの国を亡ぼすつもりはない。そのための、炎彩五騎士だからな」
にやりと、皇帝は楽しそうに笑った。人並外れて強いからこそ、炎彩五騎士は滅ぼさない戦い方もできるだろう。
そう言いながら、皇帝は床に座り込んだ姫の、華奢な身体を立ち上がらせるように手を差し延べる。
一瞬、ぐらりとバランスを崩したアステアの手が、皇帝の手の甲に小さな傷を作った。
「あっ! も、申し訳ありません、傷が……」
「構わない。この程度は傷のうちに入らない」
慌てて謝罪をするアステアに、皇帝は苦笑するように口端をあげる。そこまで恐縮するほどではなく、ほんのりと、爪の当たった箇所が赤くなっているだけだった。
「ところで、そのルーンの花毒というのは今どこにあるのですか?」
皇帝の背後に付き従うように立っていたカレンが、じっと見据えるようにアステアに訊いた。
その眼差しは美しく研ぎ澄まされた刃のようで、思わず圧倒されてしまう。
慌ててアステアは胸に付けていたブローチを外し、青い宝石の中から小指ほどの大きさの瓶を取り出して見せた。
「この中に、入っています」
小さなその器を手のひらに載せて、皆に見えるよう目線の位置まで掲げると、陽の光が反射して瓶の中身が透きとおって見えた。
「え……?」
思わず、アステアは絶句した。
「どう……して?」
陽に透けて見える瓶の中は、空っぽだった。
「何も、入っていないようだが」
獲物を狙う黒豹のような琥珀の眼差しが、警戒したように細められる。その低い声が、更にアステアを動揺させた。
「あ……まさか……ルキ……?」
アステアは何かに気が付いたように、一気に顔が蒼白になった。
今朝もいつも通り、侍女のルキが身支度をしてくれた。
まさか自国の罪を告発しに行くのだとは言えず、皇帝と朝食の約束をしたと嘘をついたのだ。
その時ルキが言った言葉を思い出す。
「それでは、その準備をいたしましょう」
確かにそう言っていた。その時は朝食にふさわしい装いをするのだろうと解釈していたけれど。
よく考えてみれば、自分の役目は『夜の相手』であれば口紅に毒を混ぜ、それが叶わない時は、爪に花毒を塗って皇帝に小さな傷をつけることだった。
その準備 ―― それは、アステアの爪にルーンの花毒を仕込むということだ。それが、ルキにとっての忠義なのだから。
今朝はいつもより念入りに、ルキが手のマッサージをしていたことを思い出した。
「陛下。エルレア陛下。申し訳ございません。……ああ、どうすればいいの」
泣き叫ぶように、アステアは崩れるように座り込んだ。その視界には、先ほど自らの爪が皇帝の手に付けた、小さな傷が映り込む。
「どうした?」
とつぜん錯乱したかのような姫に驚いて、皇帝はその顔を覗き込むように身をかがめた。
そのグレイの強い眼差しが、どこか気遣うような色を浮かべているのを見て、更にアステアは辛くなる。
「陛下……私の爪に、ルーンの花毒が仕込まれていたかもしれません。もしそうだったら……陛下は昏睡状態に陥ってしまいます!」
血を吐くように、アステアはその事実を告げる。
傷から毒が入れば数日後に昏睡状態になり、そのまま目覚めることなく衰弱して死んでいくのだと。先ほど彼女から説明を受けたばかりだった。
「 ―― !」
告白の意味を理解して、炎彩五騎士は互いに顔を見合わせた。カレンは燃えるような眼光でアステアを睨みつけ、そっと皇帝の腕をとる。
「……まずは、事実確認だ。そのルキという侍女を捕らえて話を聞くように」
皇帝だけが少しも表情を変えず、ただ、そう五騎士に命じた。
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